第63話 全国高校自転車競技会 第4ステージ(高塚地蔵尊~阿蘇大観峰)③
一、静岡 1番 尾崎 貴司(3年)
1級山岳の下りから、昨年総合優勝の尾崎率いる静岡が、集団の牽引を始めた。
1級山岳を登りきったところで、アシストの一人、陸川が下がり、下りで沢田が牽引を行う。
下りから平坦を牽引し、少し上ったところで沢田もお役御免となり、岸川が登りを曳き始めた。
静岡のアシストは1枚になってしまった。
ライバルの福岡、近田はまだアシストに舞川を残してある。舞川は、去年のこの大会で、山岳賞を獲得したほどのクライマーだ。
昨年、近田が落車で早々にリタイアしてからは、福岡は舞川の山岳賞狙いに切り替えた。
メイン集団には、その舞川も、そしてエースの近田もまだ残っている。
尾崎も、アシストとして岸川が牽引してくれてはいるが、流石に舞川に比べると、力不足が否めない。
こうなってくると、尾崎は逃げの追走に丹羽を送り出したのは大きな失敗だった。
丹羽がいてくれれば、近田と舞川が束になって掛かってきても、十分対抗できただろう。
運営のバイクが、逃げとのタイム差を表示してくる。
縮まるどころか、むしろ広がっている。
恐らく、逃げ集団は、船津と秋葉が協力しながら逃げているのだろう。
こちらは、今集団を引いているのは、岸川一人だ。
尾崎は、岸川の顔を見る、もう限界が近い。勾配はそこまできつくないが、何しろ10km以上続く登りを一人で曳き続けたのだ。
残り5㎞、やむを得ず、尾崎はアタックを掛ける。岸川は下がっていく。舞川が近田を曳いてすぐに追いついてくる。東京の植原、群馬の泉水の姿もある。
アタックは不発、追いついてきた舞川が勢いをつけ、一気に近田を発射する。カウンターアタックだ。
すぐに近田に植原が付く。
尾崎も植原の後ろに付こうと脚を使うが、尾崎自身も泉水にしっかりマークされている、
尾崎は、泉水が気になって、集中力を欠き始めた。
二、群馬 101番 泉水 翔太(3年)
「逃がさねえよ」
泉水は、ぴったりと尾崎をマークする。
第2ステージの朝の一件以来、泉水は調子を上げていた。
第1ステージこそ、初出場の緊張から実力を出せなかったが、冬希と話して以来、緊張も解け、本来の力を発揮し始めていた。
そして、1級山岳の登りでメイン集団から脱落していく冬希の姿が、泉水の闘志に火をつけていた。
第2ステージの朝の一件以降、冬希は、泉水の姿を見ると、声をかけてくるようになった。
スタート前に泉水を見かけると、おはようございます泉水さん。と立ち止まり、慇懃に挨拶をしてくる。
第2ステージ、第3ステージと、優勝してゴール後にTVに大写しになっている中でも、後からゴールした泉水の姿を見かけると、お疲れさまでした。と声をかけてきた。
冬希は、特に泉水に限らず、4大スプリンターの面々や、植原、尾崎にも同じように挨拶しており、見知った顔があれば声をかけているだけなのだが、泉水からするとそれも考えられない事だった。
TV中継中に、優勝者が泉水に挨拶をしているのを見た泉水の田舎の祖父から、あのすげえのと知り合いなのか、と電話があったほどだ。
泉水は、地元では乱暴者として見られていたが、親分肌で情に厚く、プライドが高いところがあった。
その泉水から見ると、1年生にして開幕3連勝、総合リーダーと新人賞、スプリント賞の3賞を獲得し続ける冬希は、もっと傲慢になっても良く、自分みたいな第1ステージから既に遅れている選手など無視しても誰も、泉水自身も冬希を誹らないであろう、それほどの存在だった。
泉水には、自分にまで丁寧に礼を尽くす、冬希の謙虚さが信じられなかった。
その冬希が、集団から脱落していくのを、泉水はなすすべもなく見送った。
泉水は、自分の心に沸き上がった感情が、悔しさだということに気が付いた。
そして、その悔しさを晴らすには、冬希が成し遂げようとした、船津の逃げ切りに協力することだと思った。
そのための、最大の障害である尾崎に対して、徹底的に邪魔をするという道を選んだ。
三、静岡 2番 丹羽 智将(3年)
度重なるアタックに対して、「山岳逃げ職人」山形の秋葉と、千葉の船津は、一切追ってこない。自分のペースでゴールまで向かうつもりだ。
こうなってしまうと、丹羽は、困った。
メイン集団は追いついて来ない。もはや逃げ切りは確定的だ。
丹羽の目的は、ステージ優勝ではなく自分が総合リーダーになる事でもなく、船津を、静岡のエースである尾崎のいるメイン集団に引きずり戻すことだった。
丹羽は逃げの2人の後ろに付き、二人の間に不和が生じたり、ペースを乱すことを期待したが、まったく意に介さずに、むしろ丹羽など最初から存在していないかのように、先頭交代を続けている。
もはやそうなると、丹羽に打つ手はない。
ゴールまで残り500m、秋葉がアタックを掛けた。船津は動かない。
ここでまず、丹羽は選択を強いられる。
秋葉を追うか、だが、秋葉を追うと、船津が丹羽のドラフティングを利用して追ってくるだろう。
そうすると、船津のペースが上がり、メイン集団との、そして尾崎とのタイム差が開いてしまう。
船津が優勝し、1位のボーナスタイム-10秒でも獲得しようものなら、完全に藪蛇だ。
丹羽は、秋葉を見送ることにした。
残り100m、今度は船津がアタックを掛ける。
秋葉はもうゴール寸前で、追いつくことは出来ない。これは2位のボーナスタイム-6秒狙いだ。
ここで丹羽は、さらに選択を強いられた。
丹羽が船津を抜いてゴールすれば、船津のボーナスタイムが2位の-6秒から3位の-4秒になり、2秒奪うことが出来る。
総合争いでは、1秒、2秒で差で最終的に決着がついたことも少なくなく、2秒とはいえ、それは意味のある事だった。だから尾崎は、冬希がスプリントポイントでボーナスタイム-2秒を獲得しに行くことを阻止しようとしたのだ。
しかし、丹羽が2位になると、総合リーダージャージを丹羽自身が獲得してしまうことになる。
そうなると、次のステージ以降、静岡に、レースをコントロールする義務が生じてしまう。
アシストも疲弊してしまうし、良いことはあまりない。
丹羽は一瞬迷ったが、船津を抜いて2位でゴールする道を選んだ。
ステージ優勝は、山形の秋葉、2位が静岡の丹羽で、冬希に代わり総合リーダージャージを獲得。3位は船津だった。
四、追走集団の死闘
追走集団は、近田(福岡)、植原(東京)、尾崎(静岡)、泉水(群馬)、伊達(宮城)、安藤(神奈川)、西野(愛知)、伊勢崎(三重)、秋岡(新潟)、森野(岡山)、星野(広島)、藤松(大分)、有馬(宮崎)の13人。
いずれも、各チームのエースクラスだ。
近田は、ダンシングで大観峰を目指す。植原も何とかついていく。
尾崎は、ペースを守りながらの登りとなり、随所随所で植原から距離を開けられるが、その都度追いついていた。
逃げ集団がゴールした。追走集団とは、現在のところ3分もの差がついてしまっている。
尾崎は、アタックを仕掛け、植原、近田を抜いて先頭に立つ。しかし、泉水が離れない。
尾崎はペースを上げ続けたが、泉水が一向に離れる気配が無い為、アタックを中断する。
そこで、泉水がカウンターでアタックをかける。
尾崎は、アタックで脚を使ってしまい、直ぐには追いかけられない。
近田、植原は、泉水が自分たちから1分以上総合タイムで遅れがあるため、追わない。
泉水は、一気にゴールを目指し、逃げ集団から1分30秒差でゴール地点を通過した。
近田、植原、尾崎、そしてその後に宮崎の有馬が先頭に立っている集団が来ているが、尾崎と有馬との間に、少し距離が空いた。
近田、植原、尾崎はお見合い状態になった。誰かがアタックを掛ければ、カウンターを仕掛けてお互いにタイム差をつけてやろうという、牽制が3人の中で行われた。
その結果、誰もアタックをかけることなく、3人がタイム差なしでゴール、その後に1秒ほど遅れて、残りのエースクラスがゴールしていった。
先にゴールしていた丹羽は、尾崎を見つけると迎えに来た。
「尾崎、逃げを潰しきれなかった。すまない」
「仕方ないさ。今日、総合リーダーは?」
「俺が獲ることにした」
「ああ、その判断は間違っていない。うちは、集団をコントロールして尚且つ勝つだけの力はある。大丈夫だ」
今日はたまたま逃げが決まったが、本来なら、今日の近田、植原、尾崎のように1秒差をつけるだけでも大変なのだ。船津の2秒を消したのは、十分な成果と言える。
「千葉の船津、どれ程の男なのだ?」
「まだ底が知れん。登りは驚くほど速かった」
丹羽の顔には、総合リーダージャージを獲得した喜びより、明日以降どのように船津を攻略するかという、真剣な表情が強かった。
五、千葉 125番 船津 幸村(3年)
3位でゴールというのは、最高の結果だったと船津は思っていた。
2位でゴールすれば、総合リーダージャージを獲得し、そこには集団コントロールの義務が付きまとう。
柊、潤、郷田が、集団からだいぶ遅れてゴールする。
3人は、明日以降のレースに備え、体力を温存しながらゴールして来た。
丹羽には抜かれたものの、船津が有力チームの総合エース、尾崎、近田、植原らに2分程度のタイム差をつけたことを喜んでくれた。目的は十分に果たした。
そして、失格となる制限時間が近づいてきた。
4人でゴールを見つめ、冬希が帰ってくるのを待つ。
冬希がゴールしないまま、制限時間を迎えることになった。
しかし、冬希が失格になることは無かった。
大会運営の想像を超えて、タイムアウトになった人数が多かったのだ。
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