第56話 冬希のスプリント

一、福島 72番 日向 政人(3年)


 表彰式が終わった後、選手たち一行は、前夜宿泊した所と同じホテルへ向かうため、桜島フェリーで、鹿児島市内を目指した。

 錦江湾の海は穏やかで美しく、時折エイが水面近くを泳いでいるのが見えた。

 日向は、自分のチームのエース、松平を見る。

 松平は、今日の僅差の負けを引きずっていない。

 元々、さばさばした性格で、僅差でも負けは負けと、割り切っているようだ。

 松平は、全く別のことを口にしてきた。

「政人、俺は今まで、自分以外のスプリンターがどんなタイプかなんて、気にしたことは無かった。むしろ、自分がどういうタイプかすら、考えたことも無かった。だが、青山。あれはなんだ?」

 日向は、松平の言葉に驚いた。

 速ければ勝つ。それだけしか考えていなかった男が、頭を使い始めたのだ。

「俺は、あいつに勝てる気がしねぇんだ。どうやったら勝てる?」

「幸一郎。お前は、決して青山に劣るスプリンターではない。青山は、特殊なタイプで、ここまでのところ、奴に有利な展開になっているというだけだ」

 日向は、第1ステージでの冬希のスプリントを繰り返し確認した。

 そして、今日のゴール前、松平をリードアウトした後、冬希の動きを観察していた。

 そこで、確信したことがいくつかあった。


「大体の場合、全力でスプリントをした場合の持続距離は、200m程度だ。北海道の土方、山梨の柴田や島根の草野も、大体そんな感じだろう。坂東は、250mぐらいから勝ったところを見たことあるが、トップスピードでは、お前たち4人には及ばない」

 日向は、甲板から海を見下ろしながら言った。

「青山のスプリントの持続距離は、100mと短い。だが、スプリント開始から最高速に乗るまでが異常なほど早い」

 日向は松平の方を見る。

「そしてその分、最高速もお前たちより少し速い」

「マジか。ちょっとショックだな。そんな凄そうなやつには見えないんだけどな」

「お前や柴田は、スプリントと関係ない筋肉までつけすぎなんだよ」

 松平は筋肉の塊だし、山梨のエーススプリンター、柴田もバランスの取れた美しい筋肉をしているが、自転車ロードレーサーというより、体操選手に近い筋肉の付き方をしている。

「通常、スプリントをする際は、ペダルを踏みこみながら、バイクを左右に振る」

「ああ、だいたいみんなそういうもんだろ」

「青山は、バイクを引き付けながら、ペダルを踏みこむんだ」

「違いがよくわからねぇなぁ」

「青山は、第1ステージの最後、上ハンドルの、ブラケットの部分を持ったままスプリントをしていた」

「マジか・・・」

 スプリントをする際、スプリンターは基本的には下ハンドルを握ってバイクを振る。

 下ハンドルを握った方が姿勢が低くなり、空気抵抗を軽減できるからだ。

「青山は、サドルに座ったまま、左右ではなく、ハンドルをひと踏み毎に手前に引き付けながら、ペダルを踏みこんでいたんだ。つまり・・・」

 日向は視線を海に落とす。

「脚の力だけではなく、手の力も加えてペダルを回していたことになる」

 日向の見立てでは、第1ステージのゴールスプリント時に、土方と草野の狭い間を抜けたが、自転車を振ることが無かったため、殆どバイクがブレずに真っ直ぐ二人の間を抜けていた。


「第2ステージでは、下ハンドルをもって、左右にバイクを振りながらスプリントをしていたが、それも振るというより、ひと踏みごとに左右順番にバイクを引き付けながら、腕の力と足の力を合わせてスプリントをしていたんだ」

 松平や柴田の方が、踏む力単体では遥に上だろう。

「同じことをやれば、俺でも勝てるのか?」

「フォームを作り変えるのには時間がかかる。それに、選手名鑑によれば、青山は中学時代に柔道をやっていたそうだ。そこで鍛えられた【引手】が生きているのだろう。一朝一夕では身に付かんよ」

 自転車競技では、自転車だけをやってきた選手より、他の競技のバックボーンが生きることがある。スキー経験がある選手などが活躍する場合も多い。


「じゃあ、青山は最強のスプリンターという事か?」

「いや、最初に言った通り、展開に恵まれていたという点が大きいんだ。第1ステージも、今日のステージも、最後は尾崎なりお前なりに、差を詰められていただろ?」

「ああ」

「青山のスプリントは持続距離が短い。それが原因でゴール直前で脚が止まったんだ」

「確かにな。だが、俺らの後ろに付けられて、楽に100m地点まで来られたら、俺らはそこから抜かれて終わりじゃねーのか?」

「青山が、持続距離が短いことを知りながら、なぜ100m以前に仕掛けなければならなかったと思う?」

 松平は、冬希の顔を思い浮かべる。

 泰然自若として、勝負を焦るような、浅はかな男には見えない。

「今度は射程距離の問題が出てくるんだ」

 船は、鹿児島市内に近づいて、方向を変えようとしていた。

「いくら、ドラフティングを利用しているとはいえ、脚を全く使わずにお前らのスプリントについていくのは無理だ。実際に、お前の後ろを走りつつ、徐々にお前から離されていた」

「そうだったのか?」

「ああ、あまり離されすぎると、青山が全力スプリントをしたところで、届かずに終わる可能性が高かったんだ。だから、お前との距離、そして残り距離でギリギリ届く差のうちに、スプリントを開始するしかなかった。それが青山のスプリントの制限事項だ」

「具体的にどうやれば勝てるんだ?」


 船は、桟橋に着岸し、下船の案内の放送が流れ始める。

「誰かが早めに仕掛け、青山が早めに動かざるを得ない展開を作ることだ」

 日向は船室におり、荷物をまとめて下船の準備を始める。

「今日は、レース後の移動もほとんどなく、第1ステージでダメージを負った奴らもゆっくり休めるだろう。明日の第3ステージは、全てのスプリンターが総力戦を仕掛けてくる」

 純粋なスプリントステージは、第3ステージを除くと、第7ステージ、と最終日第10ステージの博多だけになる。

 どちらも、山岳ステージの後になるため、スプリンターが制限時間オーバーにならずに、無事に参加できる保証はない。

「草野、土方あたりが、ロングスプリントを仕掛けてくれば、漁夫の利を得るチャンスはあるだろう」

 逃げの選手や、早めにアタックをかけた選手が、ゴール直前まで粘り、青山が捕まえに行かざるを得ない展開もあるかもしれない。

 だが、総合リーダーを擁する千葉のペース配分は、現在のところ非の打ちどころはなく、逃げを捕まえに行くのも、アタックがかからないように集団のペースを速い状態で持続させるのも、完璧だった。

 明日だけ失敗するというのは、希望的観測が過ぎるだろう。


「結局のところ、展開次第という事か」

「だから言ったろ。今のところは、その展開が青山向きだったんだって」

「俺向きになることを祈るしかないのかー」

 日向は、それすらも希望的観測だと思っていた。


「既に2勝している青山が、無理して勝ちに来る必要が無いんだよ・・・」

 日向は独り言ちた。

 草野や土方がロングスプリントを仕掛けたところで、無理して追いかけることはしないだろう。

 早めに追いかけるというギャンブルをしてまで、勝つ必要が無いからだ。

 せいぜい、松平や柴田が仕掛けるまで待って、それから動き出して、二人を躱して3位でボーナスタイムが貰えたらラッキーぐらいのノリだろう。

 例え負けても、集団でさえゴールすれば、総合リーダージャージはキープできるのだから。


 日向には、冬希を止める術が思いつかなかった。


二、福岡 405番 立花 道之(1年)


 立花道之は、チームが宿泊するホテルとは別の、親が確保した高級ホテルに宿泊していた。

 この別行動と特別扱いは、学校からも認められている。


 立花は、自分を超えるスプリンターとして、同じ1年の冬希を認めることにした。

 それは遅すぎるといってもいいぐらいのタイミングだが、プライドの高い立花は、どうしても認めることが出来なかったのだ。

 だが、相手はステージ2勝だ。

 その差は、日本中のだれが見ても明らかだった。

「この男は、ぎりぎりまで仕掛けを待っている」

 立花は、冬希がどのようにして勝ったかを、何度もゴールシーンや中間スプリントのVTRを見て、研究した。

「明日のゴール前、こいつを徹底マークだ・・・」

 それで勝てるとまでは思わないが、それ以外に自分にできることが見つからなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る