第47話 全国高校自転車競技会 第1ステージ(佐賀空港~博多)④

 神崎高校の吹奏楽部に入部した荒木真理は、去っていく自転車の集団を見送っていた。

 

 部内で、自転車競技部の応援に行くメンバーを募った時、多くの部員が立候補したが、平日で日帰りという事もあり、断念する部員が多かった。

 幸い、1年で立候補する部員は多くなかった為、真理は遠征メンバーに選ばれた。

 空港へは親が送ってくれて、そこから7時の便で福岡へ9時半に着いた。

 そこから顧問が運転するレンタカーのマイクロバスに乗った。

 高校自転車競技ファンだという部長は、コースを全部把握しており、一番長く演奏を聞かせられる場所は、一番減速する場所だとずっと言っていた。

 スピードに乗っていると、自転車でも時速50kmを超えることがあり、その場合だと一瞬で通り過ぎてしまうのだという。

 コース上の一番スピードが落ちる場所を探し出し、そのビルの会社に部長自ら頼み込んだ。

 眼鏡をかけた作業服のおじさんが現れ、快諾してくれた。あとから部長に聞いた話では、会社の社長さんだそうだ。

 どこの県だ?とか、何を演奏するのか?など、質問してきて、最後にはいい演奏を聞かせてやってくれと言って、ビルに戻っていった。

 

 集団の先導をするバイクが走ってきて、演奏を開始する。

 真理は、まだ楽器が吹けないため、演奏する先輩方のサポート係で、演奏が始まると、特にすることは無かった。むしろ、それがよかったのかもしれない。

 真理は、神崎高校の青いサイクルジャージの5人を見つけた。その中で、121番のゼッケンをつけた、選手を探した。5人の中の一番後ろだ。

 真理は、ずっとその選手を見続けた。

 猛々しい雰囲気を放つ集団の中で、その一部に溶け込むかのように存在してるその男を。

 自分が、なぜここまで来たのか。それは今更言葉にする必要のないことだった。

 集団が走り去った方角を、真理はずっと見つめ続けていた。


 メイン集団は、まだ加速していく。

 いくつかのコーナーを曲がった時には、一旦は細長くなるが、曲がり終わるとまた横に広がっていく。

 前を走る選手が、少なければ少ないほど、落車に巻き込まれる可能性は減る。

 ひとたび自分たちの前で落車が発生すれば、最悪の場合は落車した選手に突っ込み、自分たちも落車して怪我でリタイア。また、落車しなくても、前を走る選手たちに対して遅れが発生し、その後の総合争いの中で、タイム差が発生してしまう。

 それを避けるため、総合優勝争いに参加するチーム達は、持てる力のすべてを使用して、チームリーダーを安全な場所で、3㎞地点を通過させることを目指す。

 3㎞地点以降は、落車や機材トラブルで、他チームに対して遅れが発生した場合も、救済措置として、集団と同タイムでのゴール扱いをしてくれるからだ。


 那の津通りに入り、道幅が一気に広がると、集団も横に広がった。

 千葉の神崎高校も、その横に広がった集団の先頭の一部を占めている。先頭は平良柊、続いて船津、平良潤、郷田、冬希の順だ。

 大体、どこのチームも2番手あたりにエースを持ってきてる。危険回避と言われる行動だ。

 集団の両端が突出しており、中央が窪んだ状態となっている。凹という形というより、双頭の蛇のようだ。これは、一番端をついて他のチームが上がってこれないようにするためだ。


 残り3㎞のバナーを一気に通過する。ここで総合系チームの役割は半ば終え、ここからスプリンター系チームのステージ優勝争いが始まる。

 

 しかし、ここで集団が危険な状態となった。

 油山での山岳区間で、総合系のチームとスプリンター系のチームで前後に綺麗に分かれすぎてしまったのだ。

 総合系のチームはペースを落とし、スプリンター系のチームは前に出ようとする。これにより、集団は一気に密集状態になってしまった。

 選手同士がぶつかり合い、集団内で怒号が飛び交う。福島のゼッケン72番エースアシストの日向政人は、後ろにエーススプリンターである松平幸一郎を牽引したまま行き場を失い、集団落車の危機に見舞われていた。

「千葉の郷田です。前を曳きます」

 前方で大きな声がすると、一気に集団が縦に伸びた。落ちかけた集団のペースがまた上がったのだ。集団の各所で、助かったという声やため息がする。

 日向は、アシストの一人であるゼッケン73番の荒を前に出し、集団の前方を確保するために動き出した。


 集団のペースが緩んだ瞬間を見て、郷田は先頭を曳いた。集団が一気に伸びる程の強烈な曳きだった。それは、集団の危機を救うとともに、自分たちがこのステージで勝負するという意思の表れでもあった。

 細くなった集団の両脇から、熊本、鹿児島が上がってくる。島根の321番、草野芽威がアシストの坂田、吉田の2名に引き上げられてきた。郷田に並ぶや否や、力尽きた吉田が下がっていき、草野のアシストは坂田1枚となる。

 山梨の191番柴田、北海道の11番土方、佐賀の全日本チャンピオンジャージ、坂東もそれぞれアシストに引き連れられ、上がってきた。

 郷田と冬希は、遅れて上がってきた福島の荒、日向、松平の3名のトレインにかぶせられ、後ろに下がる。郷田は、冬希の背中をポンと叩き、頑張れよと一声かけて下がっていく。冬希は、松平の真後ろに付いた。


 福岡国際センターの前を右折し、大博通りに入った。ここからゴールまでは1.8kmの直線だ。

 先頭は、福島のアシスト荒だが、アシストを使い果たした草野、柴田、土方ら4大スプリンターの3人が、コース左端を走る福島のトレインに寄ってくる。そして坂東が松平のすぐ隣に付けた。

 大博通りはかなり広い道路だが、隊列は2列から3列程度で縦長になっている。先頭は相変わらず福島の荒、その後に同じく福島の日向、そして「白虎」松平、「駿馬」土方、「出雲の隼」草野、「疾風」柴田ら4大スプリンターが固まっている。


 この日のクライマックス「大博通りの出来事」はここから始まった。


 まず、冬希は、坂東が少しずつ松平に寄せていくのを見た。冬希は松平の真後ろに居たが、少し軸線を右にずらし、坂東の右側に半分ほど体が出る位置まで移動した。何となくそうするべきな気がしたのだ。

 残り800m、脚を使い果たした先頭の荒が、大きく右に避けて、下がっていく。変わって、松平のアシストである日向が先頭に立つ。このまま日向はゴール前まで松平を牽引し、ゴール前で発射するつもりだ。

 そこで、冬希は、目を疑うような瞬間を目の当たりにする。

 坂東のロードバイクの左側のブラケットの部分が、松平のハンドルのバーエンドキャップにぶつかった。

 冬希にはわざとかどうかはわからなかった。が、松平はそのままコース外に吹き飛んでいく。

 日向の真後ろには、そのまま坂東が収まる。まっすぐ前を向いて、無心で先頭を曳いている日向は、後ろに松平が居ないことに、気づかない。

 

「坂東、てめえええええええええええええ!!!」

 後方から松平の叫び声が聞こえる。

 ここで日向が後ろを振り向き、松平が来ていないことに気が付き、牽引を外れる。

 これは坂東にとって計算外だった。


 牽引を外れた日向の代わりに先頭に出てしまったのは、坂東だった。

 残りまだ500メートル、スプリントをするには早すぎる。

 坂東は後ろを振り向く。土方、草野、柴田がいる。

 今仕掛けると、坂東は標的にされてしまうので、まだ仕掛けるわけにはいかない。

 一気にペースが落ちる。

 残り400メートルを切る。

 ペースが緩んだすきをついて、後方から熊本のゼッケン431番小泉、鹿児島のゼッケン461番加治木が一気に仕掛ける。ロングスパートで押し切る算段だった。

 二人の仕掛けを見た柴田がペースアップするか躊躇する。それを見た草野、土方も加速。

 こうなっては仕方ない。柴田、土方、草野ほどキレる脚をもたない坂東は、動かざるを得ない。

 舌打ちしながらスプリントを開始する。

 横一線。最強のスプリンター達が僅差で、全力スプリントを展開する。


 冬希は、草野、土方の真後ろで加速するが、80%の力を意識する。全力のスプリントは、100メートル強ぐらいしか持たない。

 徐々に離される。だが、自制心をフル稼働し、必死に仕掛けを我慢する。


 残り150m。

 ふと、前の二人の勢いが止まる。

 冬希は、ここぞとばかりにスプリントを開始する。

 ハンドルを引き付け、全力でペダルを踏みこむ。

 脚の止まった二人の間を、一瞬で突き抜けた。

 その瞬間、冬希は信じられないものを見た。


 そこには誰もいなかった。

 見えるのはゴールと、沿道の大勢の観客たち。

 

 自分が、先頭に立ったことを理解するのに、一瞬かかった。

 その瞬間、冬希の更に外から、一人の選手が突っ込んできた。


 ゼッケン1番 前年度総合優勝者、静岡の尾崎 貴司


「しまった!」

 冬希は我に返り、必死に抵抗する。

 しかし、脚色が悪い。

 スプリントがわずかに早かったのだ。

 

 尾崎がグングン迫ってくる。

 

 冬希の前輪のホイール半分の位置まで迫ってきた。

 

 そこが、ゴールラインだった。

 尾崎はハンドルを叩いて悔しがる。

 

ゴール付近に設置されたスピーカーから熱を帯びた声が聞こえる。

『第1ステージを制したのはゼッケン121番、千葉の青山冬希選手です!』


 冬希は、第1ステージのゴールラインを、先頭で通過した。

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