第37話 ピンクのコルナゴ

 雨の降る中、冬希は部室で、自分の自転車の前に立っている。

 これから春奈と二人で、自転車のコンポーネントを付け替える。

 春奈は、汚れてもいい服装に着替えるために、部室棟にある更衣室へ行っている。冬希は部室で着替えた。

 汚れてもいい服装と言っても、冬希は白いTシャツに自宅から持ってきたトレーニング用の短パンだ。

 金曜の夜、帰る前に自転車は洗浄しているので、チェーンのオイルなどが服に付いたりすることは無いはずだ。


「おまたせー」

 着替えを終わった春奈が、部室に入っていた。

「じゃあ、はじめ・・・プッ」

 入ってきた春奈の姿を見て、冬希は思わず吹き出した。

「なんで笑うのっ!?」

 春奈は、中学校の頃のジャージを着ていた。胸には「3-6 浅輪」と書いてある。

 いつも、隙のない佇まいの春奈の、あまりに緩い姿を見て、冬希は笑いをこらえることが出来なかった。

「いや、なんか、すごく似合ってて、ずっと見ていたいなって思って」

 かわいいなと、冬希は心の中から思った。

「バカにしてるでしょ・・・」

 春奈はむっとしている。

「冗談はさておき・・・始めるか」

「おー!」

 二人は、自転車のコンポーネントを外すところから始めていった。


 コンポーネントを外す作業は、1時間程度で終わった。

 冬希もそうだが、春奈もかなり手際が良かった。

 春奈は、自転車の後方を担当し、後輪のギアを変速する、リアディレイラー、後輪のホイールについているスプロケットと言われる11枚のギア、リアブレーキを順調に外した。

 冬希は、ペダルや、ペダルがついているクランク、クランクが刺さっているボトムブラケットの取り外しに苦戦し、その間に春奈がハンドルについているブレーキレバーや、前輪用のブレーキなどを取り外していった。

 最終的に、春奈が前輪用ブレーキを取り外し終えたタイミングで、冬希もフロントディレイラーの取り外しまで終え、冬希の自転車はハンドルとフレームだけになっていた。

 冬希が付けていた105と呼ばれるグレードのコンポーネントは、春奈が使うことになるため、丁寧に取り外されている。


 二人で部室棟にある自販機で飲み物を飲んで、今度はアルテグラDi2と呼ばれる電動用のコンポーネントの取り付けに入る。

 ジャンクションと呼ばれる機械をフレームの中に内蔵する。バッテリーも、椅子と外した後にシートポストに差し込む。

 間違えないようにコード類を差しながら、Di2の装着に成功した。ちなみに春奈は、ブレーキレバー、前後のブレーキ、前後のディレイラーのフレームへの取り付けに大活躍だった。

 1日かかる予定の仕事が、3時間程度で終わった。

 冬希は、後輪を取り付け、作業用スタンドに取り付けてある状態のまま、ペダルを手でくるくると回し始めた。

「春奈、ギアを順番に変えてみて」

「ほいさー」

 気が抜けた返事をしつつ、春奈がガチャガチャとギアを変え始める。


 ポチ、ウイーン、ガチャン

 ポチ、ウイーン、ガチャン

 ポチ、ウイーン、・・・・・

 ポチ、ウイーン、ガチャン・・・ガチャン

「なんでだ!!」

「なんかおかしいね」

 ギアが変わらないところ、一回しか押していないのに、2回ギアが変わるところがある。

 小さな六角レンチで微調整をするが、なかなか直らない。

 もはや何をどう設定したかわからないが、なんとか1時間ぐらいかけてギアは正常に変わるようになった。

 最後に、トルクレンチと呼ばれる、締め付けの強さを調整できる工具でネジの締まり具合をチェックしていく。強く締めすぎるとネジが潰れ、弱すぎると走っている最中に部品が外れ、とても危険なのだそうだ。


「ねえ、冬希くん。少し走ってきたら?」

 春奈は言った。雨はもう上がっている。

 組み立ての自転車に乗ってみたいだろうという気づかいだという事はわかった。だが

「いや、春奈の自転車を先に組もう」

 春奈を待たせてまで、試乗してみたいとは冬希は思わなかった。

 どうせ乗るんだったら、春奈と一緒に乗りたい。

「ふふっ、じゃあ、ちゃちゃっとやっちゃおう!」

 春奈のフレームもすでに部室に届いている。

 ピンク色のアルミフレームには、「COLNAGO」と書いてある。


「コルナゴちゃん」

 二人でコンポーネントの取り付けにかかる。冬希の自転車から外した105だ。

 電動コンポより、取り付けがかなり楽なので、すぐに組み上げることが出来た。

 最後は、春奈が白いバーテープを巻き、冬希がギアの微調整を行った。

「できた!」

「できたなぁ」

 ビアンキとコルナゴ、2台の自転車が並ぶ。春奈はかなりうれしそうだ。

「乗ってみる?」

「うーん、もう時間も遅いし、路面も濡れてるから、明日の朝から乗ってみようか」

「そうだね。ボクも明日は特に何も予定はないし」

 二人は、朝7時に学校で待ち合わせることにして、部室を後にした。


 翌朝、路面も乾いており、空も晴れ渡っている。

 春奈は、グローブにヘルメット、そして神崎高校のサイクルジャージを着ている。倉庫に眠っていた女性用のジャージのようだ。

 二人は部室に来て、早速自転車に乗って利根運河のサイクリングロードを、江戸川方面へ進む。

「すごいねー、全然漕いでないのに、どんどん進んでいく」

 まだ時速20㎞程度だが、春奈は感動しているようだ。

 二人は、江戸川にかかる玉葉橋を渡り、東京側の江戸川サイクリングロードに入った。舗装も良く、道幅も広い。

「じゃあ、俺の後ろに入って」

「こう?」

 春奈は、完全に冬希が風除けになる位置に入った。

「じゃあ、少しずつスピード上げるよ!」

「え、うん」

 徐々にスピードが上がり、時速40㎞になる

「は、はやいはやい!」

 春奈は最初は怖がっていたが、すぐに慣れて冬希の後ろを落ち着いて走れるようになった。


 二人は、みさとの風広場でトイレ休憩を取った。

「初めて乗る人に、いきなり時速40㎞出させるなんて、ちょっとスパルタじゃない?」

 春奈は、ジトっとした目で見てくる。そういう表情すら、驚くほど可愛い。

「膝の調子はどう?」

「全然平気!」

 しばらく自転車に乗っていれば、膝も気にならなくなるだろう。

 二人は、昼前には部室に帰った。


「やあ、浅輪さん、自転車は楽しかったようだね」

 部室には、理事長の神崎と、他の部員も全員いた。これからは、冬希も含めた全員での練習だ。

「その自転車は乗って帰っていいよ。週末にでもまた乗ると良い」

「ありがとうございます。そうさせてもらいます」

 春奈は、このまま残っても練習の邪魔にしかならないだろうと、ピンクのコルナゴに乗ってさっさと帰って行った。


「じゃあ、練習に出ようか。青山は、出来るだけスプリンタースイッチの使い方に慣れておくように」

 キャプテンの船津が言った。

「はい」

「冬希には、おゆみの高校の、今崎のマークについてもらう予定だからな。今日は柊と追いかけっこだ」


 その日の練習は、柊の真後ろをキープし続けることだった。

 夕方遅くまで続いて、冬希は、瞬発力の塊のような柊の、変幻自在のペースに翻弄されながらも、よくついて行った。

「おまえ、しつこいな」

「酷くないですか!?」

 柊の後ろにへばりついて離れなくなった冬希に、柊は疲れ切ったように言った。

 実際に柊は疲れていた。急加速や、スプリント、緩急をつけたペース配分と、かなり頑張った。

 冬希は、基本的に柊の後ろに貼り付いてドラフティングが活用できたので、柊よりかは楽だった。


「今度のツール・ド・ジャパンの千葉県予選会で、青山には、おゆみの高校の今崎に、柊にやったようにへばりついてもらう」

 船津が言った。

「よかったな。冬希。これで俺らが本選出場を決めたら、きっと『ストーカー青山』の二つ名で呼ばれるようになるぞ」

 柊がポンポン、と冬希の肩を叩きながら言った。

「え、嫌なんですけど・・・」

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