22日 弟月町小史⑦ 昭和30年のダンスパーティ
昭和30年秋、
汽車を降りると、駅前の光景の変わりようにまず度肝を抜かれた。記憶の中の焼け野原など、どこにもない。駅前には花だらけの広場、そこからタテヨコ碁盤状に広がる道路でタクシーが走る、トラックが走る。こ汚いバラック建ての屋台群は消え、代わりに整然と並ぶ商店街。しゃれた純喫茶まである。
ようするに、弓張大町は復興し、『町』から『市』に格上げされていたのだ。
――もうここは、お前の里ではない――
そう言われた気がして、幹はしばらく呆然とした。
◇ ◇ ◇
「もっさん、もっさんよい」
弟月町の駅に帰ったとたん、声をかけてきた者がいる。親友の繁三だ。髪をリーゼントにして、だぼっとしたズボンにセーター姿だ。
「どうだった、弓張は」
好奇心まんまんの顔で駆け寄ってくる。幹は頭を掻いた。
「あー、変わっとった。変わりすぎてどこがどこやらわからん」
そう言いながらも、大事な頼まれ物を鞄から取り出す。
「これこれ『外映画報』やっぱり都会の本屋は入荷が早いわい」
「シゲはほんとに映画が好きなのう」
「おう。今度の休みは封切りを見に行こうで」
弓張ほどではないにしろ、弟月も急速に変わっていた。映画館やダンスホールが何軒も建ち、道路が拡張され、団地が並ぶ。砂利道をボンネットバスが走るようになったおかげで、買い物や映画に行く度にぬかるんだ田んぼ道を長々と歩かなくても良くなった。幹たちが勤める工場も拡張し、かつての同好会は倶楽部となり、野球グラウンドや体育館が整備された。
町には音楽が溢れ、色彩が溢れた。休みごとにダンスホールに通う連中から、お前らも少しは習え、マンボはいいぞとしきりに誘われるが、あいにく幹も繁三も踊りは苦手だ。仕事が休みになると映画を観たり釣りをしたり、たまに実家のうどん屋に顔を出すくらいだ。
「野郎二人で遊んでどうするんじゃ。ボラじゃなしに嫁さん釣ってこい」
弟月弁でからかう幹の父もまた、すっかり弟月の住人になったのだろう。
◇ ◇ ◇
洋裁教室に通う女の子は、頭を悩ませていた。今年の暮れにあるダンスパーティーで着るドレスのことだ。外国映画で見るような、ふわっと広がるスカートにしたい。いわゆる落下傘スタイルというやつ。それにはスカートの下にペチコートを履けばいいということはわかった。問題は、そのペチコートだ。雑誌には化学繊維を使った『マジック・ペチコート』なる広告があった。スカートが理想的な形に広がっている。素敵だ。しかしこんな田舎ではどこにも売っていない。そもそもいくらするのだ。ドレスの布地代でも予算ギリギリだし……同じ教室の友人に相談を持ちかけると、友人はこともなげに言った。
「ないなら作ればええ」
◇ ◇ ◇
12月、公民館の前で繁三はすっかりしょげていた。
「よい、もっさんよ……ほんとにダンスやるんかい」
「やらんわけにはいかんじゃろう。会長の面目がかかっとるんじゃ」
会長というのは、寮の青年会のリーダーのことだ。弟月町青年団主催のダンスパーティーに寮の青年会も是非、と声がかかったらしい。『特に男寄の連中はジェントルメェンの姿勢を学ぶべく必ず参加すべし』とのお達しが回ってきたのは先月のこと。以来、休み時間や終業後にダンスの基本ステップとやらを特訓させられたが、マンボとルンバの違いもわからず、足が追いつかない。こんなことなら少しはダンスホールで予習しておくんだったと後悔したが、もう遅い。
ええいままよと、繁三は公民館の重い扉を開けた。
きらびやかな光と音楽。着飾った女の子たちが目に飛び込んできた。なんと男子はみんなマンボズボンだ。
「おいおい……わしらやっぱり場違いじゃあ」
だぼだぼズボンの幹が引き返そうとするのを、繁三が引き留めた。
「これ! 『グレン・ミラー物語』の曲じゃ」
舞台の上で
「去年観た映画か」
「おう。生で聴けるとはのう」
ダンスそっちのけで演奏に聴き入ること数十分。そのおかげでか、周囲を見る余裕がでてきた。スカート部分が大きく膨らんだドレスを着た二人の娘が皆の注目を集めている。
「そう、自分で縫ったドレス。ペチコートを木綿で縫って、糊をバリッバリに効かせてスカート膨らませたん」
水色のドレスを着た娘が頬を紅潮させて答えていた。
女の子も大変だな、と繁三が微笑ましく見ていると、司会が余興を始めた。
「ではこの辺でダンスは休憩といたしまして、最近の流行歌を少しやりましょうか。どなたも飛び入りでどうぞ。生の楽団をバックに歌えるなんて機会、そうそうございませんよ。この際にいかがです? 」
ざわつく場内で、はぁい! と手を挙げた者がいる。
司会に促されて舞台にぴょんと上がったのは小柄な女の子だった。短いパーマネントの髪は後ろになでつけ、前髪を眉の上で切り揃えて、幼く見える。おまけに
「おやおや? M+W(MAN+WOMAN)とは最新の流行でございますね」
司会に服装を褒められたにもかかわらず、女の子は
「ようわからん!」
無邪気な答えに場内が爆笑した。
「元気なお嬢さん、じゃあ何を歌います? 我が楽団は流行歌でもジャズでも童謡でもなんでもござれでございますよ」
司会が急いでマイクの位置を下げるのを見て、前列の男が野次を飛ばした。
「おい、こどもは引っ込んどけ」
女の子は負けじと言い返す。
「誰がこどもじゃ。あたしは申年生まれ、とっくに成人しとらぁ!」
そして苦笑する指揮者になにか言うと、
「♪Come on-a my house my house come on....♪」
「へえ、上手いもんじゃのう」
感心している幹の隣で、繁三がゲェッとうめいた。
「オッコじゃ……あいつ、見可島のオッコじゃ! なんでここに」
オッコと呼ばれた舞台の女の子は、一曲終えると真っ直ぐ繁三を指さした。
「シゲやん、あんたも歌え!」
マイクがきぃんとハウリングする。皆が一斉に振り向き、やんやの喝采がおこる。
あほか……歌えるか急に、と呟くのも空しく、繁三は舞台に押し出されてしまった。
「なんで? いやわしのことシゲやんてなんで。いやおまえなんでここに」
「なんでなんでうるさい。ハイッ歌え」
マイクを前に、繁三は陸に揚げられたボラのように口ばかりパクパクした。
「お友達のご指名でございますよ。男は度胸、ここはいいとこ見せましょう」
司会が無責任なことを言う。繁三は目を瞑り、やけっぱちで声を張った。
「弟月中学校、校歌ぁー!」
いやそこは高校だろう、いや社歌うたえや、と野次が飛ぶ中で、調子っぱずれの校歌は三番まできっちり続いた。
歌い終えると、一番後ろの列で、水色のドレスの娘が微笑みながら拍手を送ってくれるのが見えた。繁三はふわふわとした足取りで舞台を降り、ダンスを真面目に覚えておけばよかったとつくづく思った。
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