第390話 おじさん花となり色水遊びのお手本を見せる
もう少しなにか手を打ってくるかと思っていたのだが、ガキの喧嘩にも満たないその行動に、サラバイは呆れるしかなかった。
「なんとまあ、哀れな……あのベルエフ・ダマシニコフの、最期の悪足掻きがこの程度とは」
もはや耳も機能していないのか、相手はなんの反応も見せず、反対の足でも同じことをしてくる。
そうしてズボンの裾をたくし上げ、上着を脱いで、シャツの袖を捲った。
なるほど、虚勢を張って潔く死にたいというのなら、協力してやるもやぶさかではない。
案の定、今際の際で彼が吐き出すのは、涙ぐましい贅言でしかない。
「デュロンに感謝しなきゃな……俺自身、少しばかりコツを忘れてた気がする」
なのでサラバイは、内に居るナクラヴェーゼに警告されるまで気付けなかった。
毒が正常に進行していれば、ベルエフはもうまともに喋れもしないはずなのだ。
「知ってるか?
ベルエフの皮膚がサラバイや仲間たちと同じように、流れる血の色を反映した青みを浴び始めたのを見て、サラバイは戦慄により自分がさらに青ざめるのを自覚していた。
まさか自分たちと同じことを……? いや、違う。いくら人狼が生体活性に優れていると言っても、血の成分を操作することはできないはずだ。
足でなにかしているというのはわかるが……ふくらはぎが第二の心臓と呼ばれるのは、あくまで体内の血流を促進するという意味合いのはずだ。だが、これはまるで……。
「だから、ほら……今、手本を見せた。お前らにも教えてやっていいんだぜ?」
どういう仕組みか知らないが、ナクラヴェーゼが生成した青い血の加護を共有したことで、ベルエフにもあらゆる毒物への耐性が備わってしまった。
状況が振り出しに戻ったといえばそうだが、まともにやっては勝てないことを最初に教え込まれたからこそ、こうして搦め手に訴えたわけで、それが破られたということは……。
サラバイは黙って構える。今度は彼の方が、せめてもの悪足掻きを見せる番だった。
状況終了後、ベルエフは最初と同じ姿勢に戻っていた。
違いはすでに破壊してしまった受付カウンターではなく、悪魔を追い出した後の、横倒しにしたサラバイに腰掛けている点である。
左右に伸びる回廊の奥から近づいてくる足音を聞き流していると、やがてよく知る声が背後に響いてくる。
「うっへー、なんねこれ? めちゃくちゃだね」
「さすがだな……他の
「おうてめえら、いいとこに来た。俺のケツの下にいるこいつは、悪魔憑依の消耗と俺からのダメージで再生限界に陥ってるだけなんだけどよ。そこらで伸びてる他の十一人は、再生限界と失血で死にかけてるはずだ。ヒメキア……は今いねえんだった。あいつには及ばねえにせよ、他者回復の方法を持ってる奴は何人かいるだろ。そいつらを掻き集めてくるか、逆にこいつらを運んでくかしてくれ」
「えー? なんでオイラたちがそいつらのためにそんなめんどくさいことをしなきゃならんね」
「襲ってきた賊を手駒に仕立てようというのか、そのまま死なせてしまえばいいものを」
「忘れてるかもしれねえがよ、お前らも襲ってきた賊が手駒にされて今ここにいるんだよな。つまりこいつらはお前らの後輩ちゃんたちだ。いいのか? お前らが今からやらされるような雑用を、次はこいつら十二人にやらせることができるんだぜ?」
「そいつはいいね!」
「なるほど、了解だ」
すぐさま動き出す二人を見送り、ベルエフは呆れ半分に苦笑した。
「ったく、現金な奴らだ」
「……今の話、本気なのか……?」
ケツの下から伺いを立ててくるサラバイへ、気楽に答えるベルエフ。
「てめえらだって無駄に死にたかねえだろう。なに、ちょいと宗旨替えをするとでも考えりゃいい。俺の方もちょうど、いくらか私兵が欲しいと思ってたとこだ」
「……他の十一人はそうかもしれないが、今や私は違う。先ほど私の精神世界の中で、ナクラヴェーゼと私の間で、私が死んだ折に悪魔となる旨の契約を結んだのだ。
私の願いは死んでこそ完成する。さあ殺せ! 本当はもう少し、この教会を侵してから果てるつもりだったが……あなたほどの男に引導を渡されるなら本望だ!!」
恐怖からの逃避で理論武装を続けているわけではない、本気の矜持が薫り高い。
だからこそ、こいつの言う通りにするわけにはいかなかった。
「お前……つーかお前らか……なんでそんなに悪魔になりたい?」
「……経緯を省いて端的に言うと、この世界に絶望し、力を求めるゆえ、ということになるのだろうな」
「そうか……なら、なおのことやめとけ。そいつは無理なんだ。悪魔が応じた契約ってのは、間違いなく嘘っぱちだからよ。
これは悪魔を信用できるとかできないとかの話じゃねえ、理論的に不可能って意味でだ」
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