第386話 亡霊どもに良き旅を

 なんとかミレインから脱出したファシムとウォルコは、そのまま南の荒野を通って南下していたのだが、なぜか二頭の竜がじゃれ合いながら凄まじいスピードで飛んできたので、彼らが通過する煽りを食ったファシムは、ウォルコを掴んでの連続飛行で消耗していたこともあり、もろともに近くの岩山の上へ着地した。

 二人は南へ去った竜たちの影を見送り、星空を眺めて一息吐く。


「今夜はここらで野宿かな」

「そうなるな」


 とりあえず手持ちの食糧を広げる流れとなったのだが、ウォルコが荷物の中から取り出した例のウサギが眼に入り、ファシムは保留されていた疑問を再度口にした。


「そういえば、それは結局なんだったのだ?」

「ああ、この子ね。この前知り合いになった、とある長森精エルフの一族から借りてきてる、彼らの使い魔ちゃんでさ。彼らの持つ血有魔術〈支払猶予グレイスピリオド〉を媒介してくれてたんだよ」

「〈支払猶予グレイスピリオド〉というと……確か元は他種族に嫁入りした長森精エルフの娘が、政略結婚の相手を忌み嫌い、初夜を引き延ばすために構築した理論武装が基礎になっているとかいう、あれか?」

「それだね。それが博徒に悪用され、なんやかんやと変遷を経た結果、平たく言うと儀式召喚系の魔術において、生贄を後払いや分割払いにできるようになる便利術式と化したのさ。悪魔相手にも通用する優れものだから、今回の保険として持ってきたわけ」

「ということは、お前は今後しばらく……」

「そう。俺の血は魔力が薄いから、あのときに必要とされた悪魔たちの定着時間を、あの場であのまま賄おうと思ったら、失血死したって足りやしない。だからあのとき供出したのは、いわば前金だけ。これから一ヶ月ほど、俺は毎日あのときと同じ水盆に血を捧げることになる。安い代償だよ、ちょっと貧血になる程度の量で済むんだから」


 なにか……どこかファシムは、自分が求めている真実に、指先が触れているような感覚がした。

 しかし今はまだそれを知るときではないと、彼の信じる神が思し召しているのだろう。


 どれだけ回り道をしても構わない……が、一方で自ら切り開ける近道があるというのなら、そちらを求めない道理もない。

 この子も返しに行かないとな、と言いながらウサギを撫でているウォルコに向かって、ファシムは夜食の準備をしながら口火を切った。


「それで、これからどうする?」

「どうしよっかな。アクエリカからはまだ、具体的な指示はないんだよね」

「いい大人なのだ、自分たちで考えて動かねばな。幸い、指針はすでに示されている」

「ほんと? ファシム、あんたの目的……救世主ジュナスその人に会うってのは、俺からすれば五里霧中に思えるんだけど」

「当てがないわけではない。俺は半月前まで、教皇庁のある〈聖都〉ゾーラに住んでいたわけだが、あの街ではこんな噂が流れていた。

 いわく、前任教皇が死去し、新たな教皇が就任した際、救世主ジュナス様がその者の前に、お姿を現しくださるのだという」

「へえ! じゃあさ、今の教皇に頼んで……ってのはもう立場上無理か……脅したりしてさあ、ジュナスを呼んでもらったりできるんじゃ?」

「あくまで就任直後に一度会えるという話だ、いつでも呼び出せる権利を手にするなどという意味ではなかろう、畏れ多い。それに、現任の教皇聖下は……」


 言い淀むファシムに代わり、どうやら元から教会に対する忠誠も、神に対する信仰も相当に薄かったらしいウォルコが、ウサギに餌を与えながら軽く言及する。


「ああ、もう長くないんだっけ?」

「もう少し具体的に言うと、現任の教皇聖下は数年前、何者かによって強力な死の呪いをかけられている。それはどうやら頭脳や精神を蝕む類のもののようで、聖下自身の再生能力はもちろん、いかなる他者回復の権能によっても癒すことはできないときた。おそらく来月にアクエリカとともに召集されるヒメキアが、謁見して治療を試すのだろうが、望み薄だろうな。もっともそれがどうにかなったらなったで、貴様の養女がさらに重宝され、今度はゾーラに縛りつけられる羽目にもなりかねんが」

「それは困るな。ミレインでさえ十分堅牢なのに、〈聖都〉で囲われるとなったら、さすがにお手上げだ。で、誰なんだ? そんな狼藉を働いたのは」

「わからん。作為的なものなのかすら厳密には未確定で、いわゆる〈災禍〉案件に指定されている」

「〈災禍〉ね。えーと、たとえば彼……チャールド・ブレントの奥様が亡くなったのも、それだとされてるんだっけ。原因がわからないものを『原因不明』って定義の種別で呼ぶのは、猫に猫って名前を付けるみたいで、どうにも馴染まないんだけどな」

「仕方なかろう、そうとしか言いようがないのだから。しかし見る者が見れば……ヒメキアやパルテノイのような、見えるタイプの眼を持つ者が見れば、聖下のご寿命は残り約一年まで削られているとわかるそうだ」

「ああ、だから現教皇が存命なのに、次の教皇選挙が約一年後だとか言われてるわけか」

「そういうことになる。それがわかっているのだからと、もっと早く始めてもいいといえばいいのかもしれんが、さすがにご本人に対して失礼すぎる。それこそありもしない奇跡でも起きて、呪いが無効化されないとも限らないのだから」

「でもまあ基本無理だと。だったらこういう言い方はあれだけど、あんたとしてはその瞬間に陣営の一人として立ち会えばいいわけだから、別にアクエリカじゃなくても、担ぎ上げるなら他の枢機卿でもいいわけだよね」


 ニヤニヤ笑っているウォルコに、ファシムはため息を吐いて答える。


「わかっていて言っているな? 次の教皇選挙において、もっとも教皇への当選確率が高い枢機卿は、アクエリカ・グランギニョルに他ならない。ダークホースすぎてもはや本命扱いの方が適切というのが下馬評だ。このまま彼女を影から支え、勝ち切る流れを作るのが良かろう」

「そうと決まれば、俺としては手っ取り早いやり方を好むね。可能なら対抗勢力を一つ二つ、俺たちで潰しちゃおう」

「暗殺か」

「暗闘と呼んでほしいね」

「同じではないか?」

「カッコ良さが違うよ。ねえ、ファシム、俺とあんたは今、教会から異端として放逐されつつも、なお神の守護者として戦おうとしている。これを一般になんと呼ぶか、あんたが知らないとは思えないんだけどな」


 ウォルコの諧謔に、ファシムは自然と頬が緩んだ。


「俺たちこそが、真の意味でのベナンダンテだとでも言うつもりか?」

「そうとも。銀の鎖に縛られない、自由なベナンダンテなのさ」

「微妙なところだな。俺たちは神の守護者でも教会の守護者でもない。あくまでアクエリカ、ひいてはヒメキア、そして〈銀のベナンダンテ〉のために戦うのだ。そこを履き違えるなよ」

「わかってるって。それじゃひとまず、来月の枢機卿会議の開催期間でも狙ってみようか? アクエリカを含む次期教皇の有力候補が、全員ゾーラ市内に滞在するわけだ。もちろん護衛は硬いだろうけど、あんたと俺ならある程度は抉じ開けられるんじゃない?」

「いいだろう。俺も今回はやられっ放しで鬱憤が溜まっている。神の権威を笠に着て、私欲を貪る不届き者どもの、頭数を減らしておくのも悪くはない。あくまで俺は俺の信仰のために、貴様は貴様の目的のために、邪魔する者を蹴散らそうではないか」


 輝く月の下、二人は酒杯を交わして、共に闇を駆ける半身としての紐帯を結ぶ。

 その様子を真っ白いウサギが、真っ赤な瞳で見つめていた。




 ファシムが悪魔召喚に関わる不祥事により教会から除籍され、事実上の退職に至ったことにより、ミレインの体術・魔術教官がまた空席となった。

 新任者が教会総本山であるゾーラから派遣されるまで、ミレインに七人いる祓魔管理官エクソスマスターのうち二人に……一人はベルエフ、もう一人は喰屍鬼グールのオーランドという男に、差し当たりの兼任代行がアクエリカから命ぜられた。


 ハロウィンの夜から数日後、その二人が珍しくどちらも訓練場に顔を出している。

 これ幸いとデュロンは近づき、なぜか嫌そうな顔で逃げようとする後ろ姿を捕まえて直談判してみる。


「なー、ベルエフの旦那、言われてた条件は満たしたぜ。約束通り、〈亡霊技群ファントムシリーズ〉とかいうのを教えてくれよ」

「あー、ダメダメ。お前さ、いくらなんでも〈最適調整オプティマトウィーク〉を覚えるのが早すぎて、俺が組んでた育成計画の、完全に想定外なの。つーか悪魔憑きを利用して数分で習得するってなんなんだよ、マジで引くわ……お前そういうとこほんとかわいくねーよな」

「なんでだよ!? もっと褒めてくれてもいいんじゃねーの!?」

「そういうとこはかわいいんだけどな……とにかく今や基礎技術の方がぶっち切りで追い越しちまったせいで、逆に肉体の仕上がりを待たなきゃなんねえ状態になってるわけ。時期になったらこっちから声掛けっから、いつも通り空いた時間に走り込み打ち込み、筋力トレーニングに励みなさいな。じゃ俺、書類仕事あるから、オーランドあと見といて」

「了解、ベルエフさん」


 本当に忙しいようで、つれなく去ってしまったが、指針は示してくれた。

 デュロンにとって「毎日体を鍛えておけ」というのは、「毎日好きなことをやっていい」というのと大差ない。


 ああいうふうに言っているが、なにかあったらベルエフはいつでも相談に乗ってくれるし、本当に申し訳なくなるくらい、デュロンは環境に恵まれている。

 そのときオーランドが、真顔で眼鏡を押し上げながら話しかけてきた。


「やあデュロンくん、精が出るね。ところで、君のお肉くれない? 部位はどこでもいいよ」

「アンタその挨拶ほんとやめた方がいいぞ……特に女子からめちゃくちゃ顰蹙ひんしゅく買ってるから。サイラスでももうちょい頼み方考えるぞ……」

「社交辞令とかじゃなく本気で言ってるんだけどな。サイラスくんとは、ときどきお肉やお肉情報を交換したり、仲良くさせてもらってるよ。でも強靭な人狼である君のお肉があるかないかで、俺たちもかなり戦法が変わってくるわけでね。あと単純に美味しい」

「今日もミレインはミレインだなー」


 このオーランドも高い指揮能力を買われ、若くして管理官マスターに昇格した男であり、けっしてただの変態というわけではないのだが、なにかこの街にはこういう輩が多い。


 げんなりしたデュロンの気分を癒すためというわけではないが、ほんわかしたオーラが漂ってきたと思ったら、ヒメキアが訓練場に入ってきたところだった。

 汗だくで息を切らしている彼女に、オーランドが笑顔で水とタオルを差し出している。


「偉いね、ヒメキアくん。そういう日々の努力こそなにより尊いものだ」

「へへ……! ありがとうございますオーランドさん! あたし、頑張ります!」


 ファシムがいなくなった後も、彼の指導内容は浸透しているようで、ヒメキアは毎朝ランニングなどの基礎体力作りを、自主的にやるのが日課になった。

 もちろんいいことなのだろうが、デュロンとしてはなにかファシムに対して、釈然としない気持ちが湧き上がるのだった。


 オーランドに頭を撫でられて笑っているヒメキアを、いつの間にか隣に立ってきたソネシエとともに眺めているうち、デュロンはある気付きに至る。


「あれ……? なー、もしかしてファシムって、事前に使い魔とかで、ウォルコと連絡取ったりしてたってことあるか?」

「あるかもしれない。それがどうかしたの」

「いや……ウォルコのことだからよ、ヒメキアへの接し方について尋ねてきたファシムに対して、なんも考えずに『あの子は頭を撫でられるのが好きだよ』とか言って、それをファシムが鵜呑みにした、みたいなことがあったんだとしたら……」

「……確かに、ありうる。ヒメキアは初対面の相手、特に大柄な強面の男性に対しては、結構怖がる傾向がある。ベルエフにすら、懐くのに一日ほどを要した。ウォルコはそれを理解していなかったかもしれない」

「だとしたら俺、ファシムにだいぶ悪いことしちまったんじゃ……?」


 ソネシエは少し考えた後、デュロンの肩をポンと叩いて慰めてくれる。


「問題ない。訓練初日に起きた諍いの発端は、ファシムがヒメキアを叩こうとしているように見えたことだったけれど、あなたならどの道なにかのきっかけで、ファシムに突っかかっていたに違いない。遅かれ早かれというもの、教官殺しの二つ名に偽りはない」

「ありがたく受け取っとくがよ、いちおう言っとくと、一人も殺してねーからな」

「……ではもし次に着任した教官が、わたしに手を出したらどうするかね?」

「そりゃキレて殺しちまうかもしれねーが……それよりどうした姉貴、珍しいな」


 デスクワークを主務とするオノリーヌが訓練場に来ることもだが、どこかそわそわした落ち着きのない様子であることも、デュロンは気になった。果たして彼女はその理由を口にする。


「来月ゾーラで行われる枢機卿会議に、アクエリカとともに出向くメンバーが決定されたのだよ。まずはもちろんメリクリーゼ女史。次いで上の意向らしく、ヒメキアがついていくのだからして、彼女の護衛としてわたし、ソネシエ、イリャヒ、リュージュ、そしてデュロンが随伴するのだそうだ」

「……ん? ベナンダンテとしての規定で、俺と姉貴は同じ任務に就いちゃいけねーんじゃなかったっけ? それもゾーラ遠征についてくとか、俺らの親がやったこと考えりゃ、一番危険視されるんじゃ? なんで上はそんな指令出してんだ?」

「そうとも限らない。〈銀のベナンダンテ〉の主旨を考えれば、むしろ妥当な判断」


 すぐに理解したらしいソネシエとともに、オノリーヌが説明してくれる。


「すごく極端な例を出すよ。アクエリカがゾーラに連れて行ったデュロンが、いきなり神域の力に覚醒し、両親の仇打ちで教皇庁を襲撃し始めたとする。これを止めるために一番手っ取り早い方法は、わたしを人質に取ることだろう。そのときに肝心のわたしが遠いミレインで留守番していたら、教会上層部としては逆に都合が悪いという寸法なのだよ」

「なるほど……でもじゃあ、もう俺らじゃない方がいいんじゃ?」

「今回ゾーラにわたしたちを連れて行くにあたり、猊下が責任をもって監督することになる。仮にわたしたちが逃亡を企めば、教会としては不都合だけれど、同時に猊下に対して、新しい攻撃材料を作成できる」

「あー、そうだ……あの人、教皇庁の一部からめちゃくちゃ嫌われてるんだっけ……」


 そんなんで本当に教皇選挙で勝てるのかと言いたいところだが、アクエリカには逆にシンパも多く、なにより手腕が優れている。

 彼女の尻馬に乗ろうという立場で、文句を言うのは不作法だ。

 そしてそんな不安も、オノリーヌに手招きされて駆けてくるヒメキアの顔を見ていると、たちまち吹き飛んでしまうので、自分の現金さにデュロンは呆れる。


「あたし、聞いたよ! みんなでゾーラに行くんだよね? 楽しみだなー。どんなとこなのかな? おいしいごはん食べれるかな?」

「いや、観光に行くわけじゃ……」

「ゾーラはプレヘレデの中心であるからして、やはりパスタが目玉と心得たまえ」

「そっか! あたしね、たまごとチーズのやつが好きなんだー」

「おい、姉貴……」

「甘いお菓子もたくさんあるよう。すでにいくつか目星をつけている」

「ソネシエちゃんすごい! あたしもほしい!」


 言われてみれば、旅は楽しいに越したことはない。

 なにも起こらないとは思えないが、その八人で対処できない事態も、そうそうあるとは思えない。


 結局デュロンは、盛り上がるヒメキア、ソネシエ、オノリーヌの後について訓練場を後にし、司教執務室へ向かって回廊を歩いた。

 部屋に入ると、すでにリュージュとイリャヒが到着しており、メリクリーゼを侍らせたアクエリカが、いつものように微笑みながら切り出した。


「全員揃ったわね。まだ数日あるけど、スケジュールを発表しておきますね。

 今回のゾーラ滞在は、わたくしたちの宿願にとって、とても重要なものになるはず。

 自由時間にはある程度羽目を外しても構わないけど、きちんと任務の要諦を押さえてね。

 では、まず……」




 同時刻。ヴィクター率いる〈第四勢力フォース・フォース〉も、本格活動を開始していた。


「はーい、僕と一緒にゾーラ行きたい人ー?」


 新入りのウーバくんを含め、全員が挙手する。


「じゃせっかくだし、今回はみんなで行ってみよっか? もしかしたら僕らの依頼主さんに、挨拶する機会もあるかもね。というわけなんで、張り切って行きましょう!」


 エモリーリは未来を見ているし、ヴィクターは過去を知っている。

 しかし多くの人物や勢力が入り乱れるため、この二人でもあまり正確に予測することはできない。

 聖なる都でなにが起きるかは、訪れてみてのお楽しみというわけらしかった。




🌙第六章はこれにて終了でございます。ここまでお読みいただいてありがとうございます!

 引き続き第七章からもお楽しみいただければ幸いでございます……が! その前に下記のリンク先のエピソードもお読みいただければ、一層幸甚の至りでございます↓


 https://kakuyomu.jp/works/16817330664538413721


 本編と地続きというか本編の一部そのものというか……文字数的に普通に第五章後編としても良かったなというのを、今さら思っています笑

 読んでいただけると第七章における一部の登場人物、及び一部の人物関係がわかりやすくなるかと存じます。

 お読みいただけなくても「なんか知らんキャラと因縁が生えとるやんけ」で済む程度ですので、どちらでも構わない感じです~。


 ではあっち↑かこっち↓にレッツラドン!!!(無駄にハイな上に古い)

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