第385話 尾を喰らうのはどちらの蛇か

 同時刻、とある民家にて。

 古ぼけたソファに寝そべるジェドルは、だらしなく仰け反って背後を眺めながら、正面に座る最弱の相棒に尋ねた。

 ちなみに他の連中は今、食糧の調達に出ているところだ。


「なぁ、結局あれはなんなんだ? 猫を呼び寄せる方陣か?」


 リビングの隅……と呼ぶには結構なスペースを占める、床に白墨で描かれた半径二メートルほどの円を見て、ヴィクターが楽しげに答える。

 奴はさっきから数種類の薬草を擂鉢すりばちで混ぜていて、かなり臭い。


「ちょっと違うけど、似たようなものさ。もうそろそろだと思うんだけどね……」


 まさにそのとき、円の中にどこからともなく、高さ二百五十センチほどの石像が、横たわった状態で現れた。

 驚いてソファから滑り落ちたジェドルが、おっかなびっくり近づいてみると、それは禿頭の大男を象ったものだとわかる。


「おっ、来た来た。さあ、どいたどいた」


 ヴィクターが気分良くやってきたかと思うと、擂鉢の中身を石像の顔面にブチ撒けた。


「なにやってんだテメェ!?」

「まあまあ、いいから見てなよ。やれやれ……一家に一匹ヒメキアがいれば、こうやって石化解除にわざわざ薬を配合する必要なんかなくなるんだけどね」


 ジェドルが言われた通りに少し待つと、石像表面が血の気を帯びた滑らかな皮膚へと変質していく。

 見開かれていた瞳には光が、筋骨隆々の五体には力が満ちて、その男は纏っていた法衣を破り、上半身裸となってその場に立ち上がる。

 呆気に取られるジェドルの前で、男は喋り慣れてないのか、ひどく朴訥に口を開いた。


「ア……お、おれ、ウーバくん。お前ら、誰」


 ヴィクターはというと物怖じもせず、彼に優しく笑いかけていた。


「やあ、初めましてだねウーバくん。僕はヴィクター、君の……そうだな、教育係とでも言っておこうかな」

「きょういく……?」

「そう。親代わりと言い換えてもいいかもね。君の作り主であるヴェロニカから、君の処遇を任されたのさ。君には僕たちの仕事を手伝ってもらうけど、その代わり食事や寝床は保証する。君の力には期待してるよ。仲良くやろう」

「オ……オウ……」


 ヴィクターが掲げる拳に、巨漢が巨大なそれを、おずおずと突き合わせる。


「よし。とりあえず、今夜は目覚めてすぐに悪魔に憑かれ、石化で止められ、で今ここだ。ずいぶん疲れたろう、朝まで休みなよ」

「わ、わかった。おれ、ヴィクターに従う」


 ウーバくんと名乗った男は、ぎこちない動きで壁を背に腰を下ろし、眼を閉じたかと思うと、すぐに静かな寝息を立て始めた。

 その様子を眺めるヴィクターに、ジェドルはひとまず気になることを尋ねてみる。


「さっきヴェロニカっつったよな? それって、ヴェロニカ・ゲーニッハのことか?」

「おや……どこから説明しようか考えてたんだけど、いい取っ掛かりを持ってるじゃないか。ていうか、彼女のこと知ってるの?」

「うちの地元の小鉱精ドワーフの頑固親爺どもが、名指しで誉めるレベルっつったらわかるか? マジモンだってのはよくわかったが、お前そいつとどういう関係なんだよ?」


 ジェドルはヴィクターとソファへ戻り、再び対面で腰掛けて話を再開する。


「彼女は僕のスパイだ。といっても僕が詰めを誤りアクエリカを嵌め損なって、教会の地下牢に叩き込まれていたときに、あっちから声をかけてくれたんだけどね。

 彼女は種族が蛇髪精ゴルゴーン、固有魔術は識別名を〈僧院飛脚マナティックポスト〉。空間転移の能力で、彼女の手元から無生物を、彼女の馴染みのある場所へ送ることができるというものだ」

蛇髪精ゴルゴーンの邪眼による石化は、体表が石灰化するのとは違って、呼吸や鼓動まで半永久的に止まる物質化の呪いだから、生物に掛けると無生物の範囲に適用されるわけか。ってことは、この隠れ家って……」

「彼女の生家だね。ご両親は彼女が幼い頃に、行方不明になったらしい。悪い噂は絶えないんだけど、実際どうかというのは、僕の口からは遠慮させてもらおうかな」


 ジェドルとしても好都合だ、仮にここが怨霊屋敷だとしても、知らぬが華、触らぬ神に祟りなしである。

 前のめりの姿勢をやめ、力を抜いて背もたれに体重を預けた器用貧乏の喰屍鬼グールは、全知無能の淫魔インキュバスに、問うでもなくぼんやりと問うた。


「しかしなんでまた教会を裏切ろうと思ったのかね。恩だの仇だのは知らねぇが、腕前を買われて囲われてるなら、それなりに居心地は良いだろうによ」


 情報を参照するのでなく推測なのだろう、ヴィクターは漠然とウーバくんの方を示しながら、考えを巡らせつつの様子で答える。


「理由はまさに、ことなんじゃないかな。つまりさ、ファシムに命令されて仕方なく作ったんですーってことにして、ファシムに全責任をおっ被せて追放して、証拠となる実物は破棄したふりで転送する……ここまでしなきゃ生体兵器の一体も作れない、凝り固まった組織規範に嫌気が差したんだろう。いくら予算や環境に恵まれたって、神の名前で頭を押さえつけられたんじゃ、微に入り細を穿つことなんかできやしないさ」

「だからって場所借りて金食って、挙げ句モロクソ利敵かよ」

「それくらい僕らが切り開く新世界の体制に、彼女も期待してくれてるってことだよ。さあ、来月はいよいよ僕らにとっても節目となる、〈聖都〉ゾーラでの枢機卿会議が開催される。我らが依頼主様のためにも、さらなる成員の育成・拡充を進めないとね。ゾーラに面白い奴がいるといいんだけどなー」


 呑気に伸びをするヴィクターを尻目に、ジェドルはウーバくんを一瞥した。


「建前が神の依代として用意されたってことは、あいつは言い方悪いが空っぽの器のはずだろ。あのあいつ自身の人格や自我らしきものはどこから来てんだ? まさか悪魔の残留思念でも宿ってるわけじゃねぇよな?」

「それこそ悪魔憑きをきっかけに目覚めた彼に魂みたいなものが宿った……としか言いようがないかな。ヴェロニカが意図的にそうした部分があったとすれば……たぶんだけど、ザカスくんのケースを参考にしたんじゃないかな」

「……そうか」


 そう言われるとジェドルとしては弱い。死んでしまった友達の面影を、模造生物である生体兵器に重なるその感傷を、リアリストなようでその実結構ロマンチストなヴィクターは、嘲ることなく悲しそうに微笑んだ。


「せっかくの大型新人なんだ。この世界の先輩として引っ張ってあげてよ」

「しょうがねぇなぁ……けど俺は容赦しねぇ、ビシビシしごいてくからな!」


 仮に踊らされているのだとしても、コイツの音頭はなぜか心地良かった。




 ところ変わってミレインは聖ドナティアロ。司教執務室に戻ってきたアクエリカを、腕を組んで壁にもたれた姿勢で迎えたメリクリーゼは、端的に問う。


「……これで良かったのか?」

「まあね。ヴェロちゃんはしばらく好きにやらせておきましょう。わたくしたちにとっても、最終的にはその方が都合が良いはずよ」

「そうじゃない、ファシムの方だ。ウォルコと違って、あいつはかなりお前寄りの思想をしているはずだろう。手元に置いておくのがベターだったのでは?」


 執務机に向かって歩いていたアクエリカは、メリクリーゼに髪で半分隠れた横顔を見せたまま、ぴたりと足を止めて静かに答えた。


「それは少し、見解の相違というやつですね。あのね、メリーちゃん」


 伝う雫が、次々に絨毯へ点を描く。

 動揺の兆候がわかりやすいことが、アクエリカを扱う上での数少ない楽な点である。


「確かに彼はゾーラにいた頃から、戦闘者としても教育者としても、また聖職者としても信頼できる男だったわ」


 ようやく振り向いたアクエリカの顔は、笑っているような怒っているような、泣いているような、なんとも言えない複雑な表情で、ただただ雨に打たれるように、しとどに濡れて佇むばかり。


「だけどね、彼もあの御方……救世主ジュナス様の本質を知ったら、けっして今のまま、あの御方を信奉し続けることはできないはずよ……神様と正面から向き合うというのは、そういうことだもの……」


 やがて激情の雨が治まり、荒い息が鎮まるのを見計らって、メリクリーゼはゆっくりとアクエリカに近づいた。


「ああ、まったく、またこんなに濡らして……放っておくと風邪を引くぞ、早く風呂に入れ」


 まるでお漏らしをした童女をあやすように、優しく話しかけながら、トレードマークの青い法衣を脱がせていく。

 なすがままになるアクエリカは、大量の発汗によりいささか消耗したようで、ぼんやりと眼を伏せて顔を赤らめながら、メリクリーゼに甘えてしな垂れかかってくる。


「浴場まで、裸で回廊を歩けというの? メリーちゃんは意地悪ね……」

「この時間なら誰も通るまい。私が横について隠してやるから」

「メリーちゃんも一緒に入らない?」

「お前がベタベタ触りまくってくる変態でさえなければ、考えるんだがな」


 水蛇のように絡みついてくるアクエリカの肢体を、半ば引き剥がしつつ導くが、輪をかけて湿度を浴びた彼女の声が、メリクリーゼの耳を捉えて離さない。

 今自分が正気である、素面であるという確信を、メリクリーゼは抱くことができない。


「ねえ、メリーちゃん」

「なんだ?」

「メリーちゃんは最後まで、わたくしの味方でいてくれるわよね?」


 一拍置いて発せられた声も、自分のものとは断言できない。


「……もちろんだ」


 その答えが嘘か真かは、今のメリクリーゼにはわからない。

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