第373話 vs.ファシム・Lesson.7 格下の兵法

 少し前のこと。孔雀の悪魔アイオニヌスの精神体を、自らの精神世界に受け入れたファシムは、けばけばしい色彩をした下品な鳥が放つ、大規模なだけの大袈裟な炎の魔術を捌き切り、燃え盛る森の地面に力尽くで捩じ伏せたところだった。

 人間や人型魔族で言うところの、羽交締めに近い形で身を軋ませるアイオニヌスは、どうしても主導権を奪われたことが受け入れられないようで、ジタバタ暴れて喚き散らす。


【や・め・よ、この腐れ魔族めが! わらわを誰と心得ておる!?】

「孔雀の悪魔アイオニヌスかと思っていたが、俺の勘違いだったろうか」

【黙れ、其方そなたに皮肉を垂れる権利などない! 其方に許されておるのはただ、今すぐ妾に対するこの狼藉を切り上げ、這い蹲ってその無礼千万を詫び尽くすことのみじゃ! まずその万力のような腕をすぐ緩めんか、取り返しのつかぬことになるぞ!?】

「鳥の骨格は脆く折れやすい、俺も鳥化変貌の際は留意している」

【わかっているなら……ああ、もうよい。妾が悪かったぞえ。其方ごとき胡桃くるみ規格の低脳でも妾の美しさを理解できるよう、妾の方が歩み寄ろう。さすれば態度も変わろうて!】


 アイオニヌスの精神体が不自然な光に包まれたかと思うと、みるみるうちに概形が変わり、青・緑・紫色が混じる長い髪が背中へ伸びた全裸の美しい少女が、彫刻のような横顔で振り返ってくる。

 これにはさしものファシムも、驚嘆の声を禁じ得なかった。


「ほう……悪魔も人化変貌が可能なのか、知らなかった」

【さもありなん、愚図の極みじゃ、仕方あるまい。さあ、己の蒙昧を恥じる暇を……】

「わざわざ関節をめやすい姿になってくれるとは思わなかった。これはありがたい」


 メキメキメキィ! という体の悲鳴に続いて、アイオニヌスの口から絶叫が飛び出る。


【ギャアアアア!? 血も涙もないのか其方そなた!? なぜじゃ!? 人間でも悪魔でも、男はとにかく巨乳の女が好きだから、簡単にメロメロ奴隷に仕立てられると、他の悪魔やつらが言っていたぞ!? あれは嘘かえ!?】

「いいや、それは的を外れてはいまい。俺自身とて例外ではない」

【そ、そうかえ? なんじゃ、では単なる照れ隠しで……】

「それはそれとして悪魔は普通にシメるというだけの話であって」

【オンビョエエエエ!? いい加減にしろオオ、そこはもうそちらには曲がらぬわ!?】


 わざわざ人化変貌した顔を台無しにして、涙と涎を垂らしヒーヒー言っている悪魔の様子に、ファシムはちょっとうんざりしてきた。

 その様子を察したようで、アイオニヌスは慌てて提案してくる。


【この妾もそこまで狷介というわけではない、其方ごときと手を結ぶことも許そうぞ。其方とて今、妾が精神この世界から出て行くのは都合が悪かろう? 妾に対し相応の敬意を示すなら、この典雅なる悪魔の炎を、其方ごとき俗物が行使できる栄誉を授けようではないかえ。どうじゃ、悪い取引ではなかろう?】


 この悪魔、高飛車なのは構わないが、それ以前に交渉が下手すぎる。

 要するにこいつは「せっかくこの世界に来たのだから、もうちょっと見たり遊んだりしていきたい」という欲求を隠せていない。


 まあいい、自分から大人しくしてくれるならそれに越したことはない。

 内で悪魔を押さえながら、外でデュロンと戦うというのは、正直労力が大きい。

 仕方なくファシムはアイオニヌスの上からどいてやるが、人化状態に慣れていないのか、モタモタ起き上がる彼女(本当に性別が外見や口調通りか、というよりそもそもあるのかはわからない)に口頭で釘を刺しておく。


「余計な気を起こしたら、またさっきのように優しく抱きしめてやるからな」

【こやつ妾になびかなさすぎでは!? 今の妾の姿、超かわいいじゃろ!?】

「そうだな」

【なんじゃ。わかっておるなら……】

「いいからさっさと力だけ寄越せばいい、丸鳥蒸し焼きにされたいか」

【誘惑する側の気持ちなど考えたことあるかえ!? この鉄仮面の石頭めが!!】


 完全にむくれたアイオニヌスは、ファシムの正面に立ってくる。

 人化変貌した彼女の背丈はファシムの胸くらいなので、自然とファシムを見上げる格好になる。

 しばらくしてファシムはようやくその意味を悟った。


「もしかしてこの位置関係で、俺の貴様に対する屈服状態が成立するのか? どれだけ気位が高いのだ」

【な、なんじゃと!? 其方、この妾を見下ろす栄誉を……】

「またこの俺を煩わせるのか、よほど逆関節をさらに逆に折られたいと見える。いや、その状態ならば普通に逆方向に曲げればいいだけなのか。そうだ、俺が貴様の関節をあちこち曲げていくから、貴様がそれに合わせて折れないように骨格を変えることでガードしていくというゲームをやらないか? きっと楽しいぞ、俺のみがだが。ハハハ」

【なんじゃその乾いた笑い!? もしかして妾、超弩級サドのクソ依代に当たったのじゃ!?】


 そんなことはない。互いに利があるなら、魔族と悪魔も友達になれるさ。

 それが証拠に、アイオニヌスは上目遣いで睨みつけつつ、率直に尋ねてくる。


【実際のところ、どうなのじゃ? 其方、妾の力を借りればあの生意気な狼小僧と、若輩のフォルツめに勝てるのかえ?】

「……わからん」

【なんじゃそれは、勝てると言えんのか!?】


 癇癪を起こして足を踏んづけてくるアイオニヌスの暴挙を、ファシムはあえて甘受する。

 それどころか彼女の足元に跪き、鮮やかな羽毛に覆われたその手に接吻してみせる。


【い、いきなりなんぞ!? 急に殊勝な態度を取るよな!? 貴様さては情緒不安定か!?】

「一つだけ断りを入れておく。もしもデュロン・ハザークが、逆に俺やウォルコの仲間に引き入れるに足るほど強ければ、そのときは奴に勝つために、俺は格下の兵法に訴えることになるかもしれん。つまり精神的な揺動を誘うなどの手だ。貴様にはそれを許してもらいたい。アイオニヌス……俺の悪魔よ」


 それを聞いた孔雀の少女は、真っ赤になって緩んだ頬を両手で挟み、クネクネと踊り始めた。


【いやはや、ようやく妾の魅力が、阿呆の頭にも伝わったようじゃな♡ やはり妾モテる!】


 これで構わない。悪魔が甘言を囁くのなら、魔族も悪魔にそうしよう。

 たとえ肉体を悪魔に捧げようと、ファシムの精神は常にジュナスの元にある。

 それさえ揺るがなければ、彼が敗けることはないだろう。

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