第365話 薔薇よ、薔薇よ②

 ミレインの野良猫に悪魔が集団憑依したと聞いて、リュージュたち現職の祓魔官エクソシストを始め、ラグロウル族の戦士たちや、元〈紅蓮百隊クリムゾンセンチュリ〉の不良たち、そしてドラゴスラヴまでが、事態収束のために駆け出した。


 イリャヒもソネシエとともに彼らに続きたいとろこだが、ここはあえて寮に残る。

 非戦闘員や一般市民も何人かいるため、この場を守る必要もあるからだ。


 食堂で席に座ったまま、戦士たちを見送った兄妹は、のんびりと話し合う。


「皆、とても勤勉。これはよいこと」

「ですねえ。しかし、せっかくパーティの最中だったのに、彼らの厚意に甘えて、タダ働きをさせてしまうのは申し訳ないです。彼らが帰ってきたときのために、せめて美味しいデザートを作っておくことにしましょう。今こそリャルリャドネ流レシピを解放するときなのです!」

「兄さんはまた適当なことを言う。仮にそんなものがあったとして、わたしたちが受け継いでいるわけがない」


 その通りなのだが、元々料理が好きで得意なイリャヒは、なにかそれっぽいものを作ることにした。

 キッチンでネモネモに相談すると、笑顔で快諾してくれる。

 そしてそれを聞いていたシャルドネ、ムラティ、クーポがやってきて、手伝ってくれることになった。


「ありがとうございます。各々が自由なスイーツの創作に取り組みましょう!」

「兄さん、わたしは食べる係を担当する」

「そう言うと思いましたよ、マイシスタ! 他のみんなと一緒に待っていなさい!」

「了解した」


 ソネシエが立ち去ろうとしたところで、猫になっているヒメキアが入ってくる。


「イリャヒさん、あたしも手伝うよ!」

「ありがたいですが、あなたはそろそろ着ぐるみを脱いできなさいな。そのもふもふの手では料理を作るどころか、摘むことすらできないでしょうに」

「そうなの! へへ! 実はこれ着てからずっと、みんなにあーんしてもらってたよ!」

「わたしが一番たくさん食べさせた」

「なんの自慢なのです……そしてヒメキア、あなたやネモネモはいつも私たちに、美味しい料理やお菓子を作ってくれるでしょう? このひとときくらいは私たちに任せて、寛いでいてほしいのですよ」

「そっかー。ネモネモちゃん、どうしよう?」

「任せていいと思うの! イリャヒになら厨房を預けられるの!」

「恐縮です。では、もう夜も遅いですし、あまり火を使わず、簡単にできる軽いものにしておきますね。そして、飲み食いした後そのまま寝る子がいても問題ないように、食堂でなく談話室に集まっておいてもらえませんか?」

「わかったの! どんなのができるか、楽しみなの!」


 にっこり笑ったネモネモが、ソネシエとヒメキアの手を引いて去っていく後ろ姿を、しばらく見送っていたイリャヒは、ポンと手を叩いて、シャルドネ、クーポ、ムラティに向き直った。


「おっと、肝心なことを忘れていました。皆さん、これを胸に付けておいてください」


 そう言って取り出したのは、白い薔薇のコサージュだ。意図は見ればわかるようにしてあるので、三人とも抵抗なく付けてくれるが、やはり気障キザではあると思われたようで、ちょっとだけからかってくる。


「イリャヒくん、ほんとマメよね〜」

「まめ、です……!」

「こんなことされたら勘違いしちゃう女の子もいるかもだから〜、相手は慎重に選んだ方がいいよ〜?」

「ふふ、肝に銘じます。では後ほど」


 強いて言うなら、これが今夜している仮装だろうか。マメなナンパ男に扮するイリャヒは、そのまま踊るような軽い足取りで、談話室へと移動した。

 同僚たちの間で「王様の椅子」と呼ばれている、一番新しく上等なソファを、オノリーヌやパルテノイが占領しているところへ近づき、同じように白薔薇を贈る。


「おや、気が利くものだね。ありがたく頂戴するのだよ」

「イリャヒくん、いつからこういうことするようになったの!? わたしの知ってるデリカシーゼロの、ガサツな男の子はどこへ行ったの!?」

「そんな者はそもそも存在しないのではないでしょうか、私は生まれた瞬間から心遣いの化身でしたから。両親にもしょっちゅう『よく気の利く子だね』と言って育てられたものです」

「うっそだあ!? 親から嫌味か説教か罵倒しか貰ったことがないって言ってたくせに!?」

「よく覚えてくれているものですね。私に関心を持ってくださっている、その事実がなにより嬉しいですよ」

「えっ♡ そ、そんなこと言われたら好きになっちゃう……わけないでしょうがーっ! 性格の悪さ知っとるんじゃこっちは! あほー!」

「今夜のノイさん、ちょっとハイすぎません? オノ、あなた酒飲ませてませんよね?」

「わたしはなにも。恋人がなかなか帰ってこないので、焦れて空回っているのでは?」


 図星を突かれたパルテノイの動きがピタリと止まり、目隠しの下で涙を流しながら、オノリーヌにほとんど掴みかかるように抱きついた。


「そうなんだよ! ねーオノちゃん、ギデオンくん大丈夫かな!? 昔は全然そんなことなかったのに、再会してからはやけに猫が苦手っていうか、猫に対してひれ伏してる感じなの!」

「ああ、それは君と再会する数日前にそうなったらしいのであるからして」


 その実行犯であるヒメキアの猫たちは、今は三々五々、その辺にたむろしている様子が見られる。

 そのうち一匹を抱えながら、魔女っ子ソネシエが上階から降りてきた。


「ヒメキアに敵意を向けた、当時の彼が悪い。無敵の騎士団は無敵なので無敵」

「なんですか後半の無意味な文」

「だ、だとしてもあれはやりすぎだったかもね! ギデオンさん、あたしになにもしてなかったのに!」


 猫の着ぐるみを脱いだヒメキアは、羽根つき帽子にジャボに長靴、作りものの長剣を装備した、騎士風の仮装に変わっていた。


「でもでも、あのときの彼は不審者だったの! 撃退したあたしを褒めてほしいの!」


 そしてネモネモは豪奢なエプロンドレスに、大きなリボン付きのカチューシャという、普段の格好を発展させたような、よく似合う服装をしている。

 二人ともなんの仮装なのかはわからないが、とにかくすこぶる……。


『がわ゛い゛い゛〜! ふだりどもずごぐがわ゛い゛い゛わ゛〜!』


 ……代弁してくれるのは助かるが、当の二人が喜ぶよりもびっくりしてしまっているので、イリャヒは青い有翼の蛇に諫言した。


「猊下、いきなり怨霊みたいな声出すのやめてください。というか仕事をしてください」

『失礼ね、やっています! 野良猫たちの暴走はリュージュのおかげで治まったところよ!』

「そうなんだ!? リューさんすごい!」

「ですね」

『イリャヒ、ちゃんと状況を把握しているわたくしのことも褒めてくれていいのよ?』

「ネモネモは偉いですね」

「えへへーなのー♡」

『そこに本体がいないわたくしへの当てつけはやめて!?』


 アクエリカから状況を聞いたソネシエとヒメキアは、フミネ、エルネヴァ、キャネル、ミュールを心配し始めた。

 ギデオンとサイラスを信じるよう言ってみるが、二人とも気がそぞろな様子だ。

 やきもきしても仕方がないので、なんとか他のことに関心を移させるべく、少し考えたイリャヒは、ソネシエの三角帽子を脱がさせた。


「兄さん、急になに」

「いえ、せっかくですし、ヒメキアに見せなくていいのかなと」

「わー、なにそれ!? ソネシエちゃん、かわいいよ!」


 実はソネシエの仮装は二段構えになっていて、髪の一部を獣耳のような形にまとめており、それを帽子の下に隠していたのだ。

 どうもパーティ開始時から、帽子を脱ぐタイミングを逸し続けているようだったので、勝手にやってしまったのだが、思ったほど妹から文句は返ってこなかった。

 それどころではないくらい、興奮したヒメキアがソネシエの周りをぐるぐる回っているからだ。


「ねこみみ!? ソネシエちゃん、それねこみみかな!?」

「これは、こうもりみみ。わたしは吸血鬼なため」

「すごい! 自分でやったの!?」

「リュージュにやってもらった。彼女は編み込みがとても上手」

「そうなんだ! いいなー! あたしもねこにしてもらえるかな!?」

「後ろ髪を集めて束ねたら、できると思う」

「そっか! やった! リューさんが帰ってきたらあたし、頼んでみるよ!」


 上手く気を紛らわせることができたようで、なによりだ。

 イリャヒは自分も帽子を脱いで、ソネシエのものと重ね、ソファの背もたれにそっと置く。

 代わりにバンダナを巻いて髪をまとめ、颯爽とエプロンを纏い、シャツを腕まくりする。


「では私が、リュージュへの報酬になるようなものを作っておきますね」

「イリャヒさん、かっこいい! パティシエさんみたい!」

「ふふ、乞うご期待です!」


 どうせ気障なら最後まで。イリャヒは白い薔薇のコサージュを、ヒメキアとネモネモにそれぞれ投げ渡して、意気揚々とキッチンへ戻っていった。



 そこかしこで騒動が起きているミレインの街の中で、祓魔官エクソシストたちの寮内はやけに静かだが……別に聖なる結界が張ってあり、悪魔が入れないなどということはないのだ。

 は……いや、はそこにいる。依代の中に潜っていても見通せる、ヒメキアやパルテノイの特別製の眼力ですら、視界という単純な限界が存在し、相手が死角に入っていたら、捉えることはできない。

 ピリオドはすでに、彼女たちの背後から迫っているのだ。

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