第362話 vs.ピリオド・Round.5 鎧など要らぬ

 いちごパフェというくびきから解放されたベルエフは、本来の機動力を取り戻し、依代となったガキどもの半分を引き連れて、メリクリーゼの姿が見えなくなる程度まで遠ざかった。

 互いに離れてやる方が、気兼ねしなくていいだろう。


「さて……このメンバー選出には、俺への悪意があるのか……」

「ケケケケ! 戦ってみりゃわかるんじゃねえか!?」


 なるほど一理ある、とひとまず構えてみるベルエフ。

 さすがに遠隔攻撃手段を基本持たない人狼相手に、わざわざ距離を詰める意味はないと理解しているようで、悪魔の傀儡と化したレイシー、エーニャ、ホレッキ、ナーナヴァーの四人が、ミレインの街を逃げ回りながら、強化された固有魔術で攻撃してくる。


 ベルエフは悪魔に憑かれたことがないのでピンと来ないのだが、デュロンやリュージュがいうことには、肉体の主導権争いに勝つためには、それだけで相当な気力や体力を要するのだという。

 なので突き放すような表現になってしまうが、不良少女たちはもちろん、直属の部下二人が抵抗に失敗していることに関しても、特段の怒りや失望は湧いてこなかった。


 ベナンダンテとそうじゃない連中に、気質的な差があるとすれば……いきなり妙な事態が起こっても、「まあ、こういうこともあるか」と即応できる、その切り替えの早さかと思われる。

 とはいえそれは裏を返せば、この世界への失望や諦観でもあるので、必ずしも褒められる素養とは言えないのだが。


「ったく、おじさんをあんま動かしてくれんなよ」


 ベルエフはなにも難しいことをしない。襲い来る魔術の雨を掻い潜り、素早く近づいて当て身を入れる、これだけだ。

 要するに鬼ごっこの一種である。こういう放出系の攻撃ありのルールは、魔族のガキどもの間では結構スタンダードで、ベルエフも幼い頃は鬼ばかりやらされ、泣きながら走り回っていたことを思い出す。


 いつ頃の時期から本格的に鍛え出し、どのくらいの段階で近接格闘や身体能力に自信を持ち始めたのか、実のところベルエフはあまりよく覚えていない。

 それほど生育環境が悪かったという意味ではなく、かなり体が大きくなるまで、遊戯と喧嘩と戦闘、三つの概念がほとんど継ぎ目なく繋がっていたからだ。


 特に人類殲滅戦争という名の、一方的な虐殺劇が終わった二十年前……晴れて完全成立を果たした黎明期の魔族社会は、おそらく倫理観の置き方が誰にとってもよくわからなくなっていたのだろう、なんということもなく普通に荒れていた。

 ベルエフ自身、十年前までなんとなく地元の共同体をまとめることができており、なんとなく教会から指揮能力を評価されているだけで、根っこの部分は十代の頃から、あまり成長できていない自覚がある。


 悪魔は遊び半分でこの世界に干渉してきているのかもしれないが、かと言って「俺たちは真剣だから、俺たちの方が強い!」などという、それっぽい説教を垂れる気にはなれない。

 ……などとつらつら考えながら自然と体を動かしていくうちに、いつの間にか四人ともを叩きのめして気絶させ、悪魔を追い出す作業が終わっていた。


 と同時にベルエフ自身は、袋小路に誘導されていることに気づく。

 そして一人残った依代が、彼の前に堂々と立ち塞がっていた。



「ケーケケケケ! やい、ベルエフ・ダマシニコフ! てめえの部下どもが手こずらされた、悪魔憑依の脅威がよ、この程度だと思ったか!?」


 そんなわけがない、と心中で自答するピリオド。

 今の今まで、五人の依代……いや、メリクリーゼを襲わせている方の五人も合わせて、十人を同時並行で操っていたのだ。


 そしてついさっき、ベルエフに当てる方を一人、メリクリーゼに当てる方を一人、計二人に絞り込んだ。

 これは実際に当ててみて使い勝手を試していたというのもあるが……切り札とするならコイツだという確信を、とうにピリオドは得ていたのだ。


「なにっ……!? お前は確か……」


 面識があるようで、ベルエフは顔をしかめている。

 ドエログ・ドグロスというこの猪鬼オークは、精神的な防衛力があまりに脆弱だったので(これは魔力のある者に関しては、魔術の実力と相関関係があるとされているので、ドエログの場合は固有魔術が未発現だったせいというのもある)、超簡単に肉体の主導権を奪い取れたのだが、肉体自体がなかなか頑丈である上、どうやら半淫魔サキュバスハーフなようで、魔術的な潜在能力も高いという、かなりの大当たりであった。


 あと、性格がアレなせいか、ピリオドとすごく相性が良く、非常に動かしやすくて助かる。

 まるでピリオドのために誂えられた、専用の依代であるかのようだ。


 加えて、なぜだか今夜のピリオドは、抜群に調子が良い……いや、原因はわかっている。あまり認めたくはないが、魔力の供給元が上質なため、依代(この場面ではドエログ)への支配力はともかく、他者(この場面ではベルエフ)への制圧力が、通常の召喚時と比べて格段に上がっているのがわかる。

 そのため離れた場所にいる二人の依代を同時並行で動かしていても、普通の悪魔が一人に憑依するときと遜色ないパフォーマンスを、個々の依代で発揮できている自覚がある。


 どうやら普段のドエログを知っているようで、ベルエフがわずかだが明確に油断するのがわかった。


「その一瞬の隙が命取りイイイイ! イヤッハアアアアア!」


 顔にぴったりの表情を浮かべ、ピリオドはドエログの長い舌を出してゲラゲラ笑う。

 すでに放った緋色の炎が、逃げ場のないベルエフを包み焼き、火達磨にしていて輪郭しか見えない。


 だがピリオドは油断しない。奴はゴキブリの何倍もしぶとい人狼族の練達で、魔力抜きの徒手空拳のみなら間違いなくミレイン最強であり、総合戦闘力でもおそらくミレイン最強の男なのだから(もっともミレインは上位層に女が多いので、男の中では強いということでもあるのだが)。


 膂力か魔力、どちらかに頼るから穴が空くのだ。だったら両賭けである。魔力はドエログ自身の潜在能力を発揮させ、膂力は元々頑丈なコイツの体を、さらに悪魔の力で強化する。


 するとどうだ。魔術の威力は一線級の祓魔官エクソシストに匹敵し、いかにベルエフといえど直撃を食らえばタダでは済まないはずである。

 ただもちろん、これで仕留められるとはピリオドも思っていない。


 そこで膂力だ。強化したドエログは、魔力抜きのドラゴスラヴと互角くらい……つまり平時ならベルエフを倒せはしないが、殴り合いがそこそこ成り立つレベルまで底上げされている。

 つまりそこそこの魔術で弱らせたベルエフをそこそこの筋骨で迎え撃つという、次善の策の二段構えなのだ。


 消極的などっちつかずに思えるだろうが、別に正面から破る必要もない。

 なんなら今度は至近距離で魔術を見舞ってもいいし、面倒になったら逃げてもいい。

 遊戯ゲームの醍醐味といったらその一つは、飽きたらやめることなのだから!


「……終わりか?」

「へ……!?」


 なのでピリオドは、炎のように霧を払い……もとい、霧かのごとく炎を払い、姿を現したベルエフがほとんどダメージを負っていないのを見て、おそらくこれもドエログの顔に似合ってるいるだろう、鼻水を垂らして驚愕の表情を浮かべた。


「なら、こっちの番だな」

「え、ちょ、待ぶちっ!!?」


 ベルエフはなにも難しいことをしない。鎧要らずの頑丈な肉体で炎を耐え、馬並みの脚力で高速接近し、子供が作った怪獣のような、頭の悪い腕力で思い切り叩きのめしてくるのみだ。

 それだけでドエログは腹で二つ折りにされ、向こう三軒突き抜けて吹き飛び、一発で使い物にならなくなったので、ピリオドは慌てて放棄するしかなかった。


 すぐにバカ脚力で追いついてきたベルエフは、隣家にボールを蹴り込んでしまった悪ガキのように、髪を掻き毟り、ぼやくばかりだ。


「あーあ、久々に建物壊しちまった……やっぱだいぶなまってんな……」


 ことここに至り、ピリオドはようやく見立て違いに気づいた。

 ピリオドだけでなく多くの悪魔が、遊び場としてミレインに注目し、異界から熱心に観測しているのだが……考えてみればベルエフは、十年前にベナンダンテとなりミレインへ飛ばされてきてから、一度も本気で戦っていないのではないか?

 こんなことなら春の〈恩赦祭〉に干渉し、ギャディーヤかウォルコと一対一で当ててみればよかった……という企画を今から出しても、まさしく後の祭りである。


 いずれにせよ、底を見誤ったピリオドの敗けだ。ここは素直に撤退し、次の依代を選定するとしよう。

 たとえ何度陽が昇ろうと、この〈夜〉が明けることはない。まだまだ依代を取っ替え引っ替え、遊び放題なのだから!

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