第4章・血盟編

第196話 こんばんは、またまた教会の方から来ちゃいました

 夜。かつての人間たちならとうに寝静まっている時間であり、奴らの生活習慣を踏襲している現行時代の魔族たちも、大人しくベッドに潜り込んでいる者が大半だろうと思われた。


 しかし一定以上の知性や文明、また他族との交流能力を持たず、共同体というよりは群れと呼ぶべき集団を形成している魔物たちの多くは、いまだ陽の光を嫌い、闇に紛れて蠢いている。


 それは単に活動時間帯のみの話ではなく、他者を襲い、奪い、犯し、殺し、喰らうという盗賊紛いの処世術が種族全体の方針として定着してしまっており、世界の大多数に対する敵としての振る舞いを余儀なくされているのだ。


「…………」


 もっともここには例外があり……今また魔族の中でも〈夜〉の者たちが、上等に誂えた黒服の裾を、闇に棚引く暗雲のように翻して、夜目がなければ見通しの利かない、湿った洞窟へと踏み込んだ。


 薄明薄暮を狙うまい。

 彼らにとっても、夜半は真昼に等しいのだから。


 これも単に時間帯のみの話ではない。デュロンは大きく息を吸い込み、お休みの向きがあっても気づいてくれるように、腹の底から呼びかけた。

 これが汚く後ろ暗い〈夜〉のやり方だ。


「こんばんは〜! 教会の方から来ました〜っ!」


 自分で大声を出しておいて、デュロンは洞窟内に反響したそれを自分でめちゃくちゃうるさく感じてしまう。

 それは傍らで迷惑そうに耳を塞ぐイリャヒも同じようで、しかめ面で苦情を発してきた。


「ちょっと、うるさいのですけど……。というか、どうしてわざわざ呼ぶのです?」


「呼ばなきゃ出てこねーだろーがよ。ったく、たかだか小鬼ゴブリン風情が、調子ぶっこいて千匹にも膨れ上がるとはどういう了見だ……結局性根のクソさは変わらず、最悪引き籠って出てこねーってのによ」


「そうですよ。だから呼んだら余計出てこないでしょうに」


「いや、そうでもねーんだな。気配だけならビビって出てこねーが、呼んでやると恐慌状態に陥って、ノコノコ現れる場合が多い。


 勝たなきゃ生き残れねーってハッキリ教えてやると、現実逃避と自己正当化がフル稼働して、『じゃあ勝てるに決まってる、』に御都合思考が切り替わるんだ。


 そういう可哀想な頭した残念な生き物なんだよ。だからお前も叫べ。

 ゴブリンく〜ん、遊びましょ〜っ!」


「なるほど……や〜い! お前ん家、穴ぼこだ〜らけ〜! しかし、随分詳しいじゃないですか。


 実は私はあまり小鬼狩りの経験がないのですが……あなたはそういう任務が多かったのですか?」


「クソの中のクソども、出てこいや! ……いや、もっと昔だ。


 こっち来る前、ゾーラ近郊の実家で育てられてたときに、親父の手で巣穴へ放り込まれて、皆殺しにして帰ってきたってことが何度かあったんだと。


 もっとも俺は当時4歳とかだから、呼んだら出てくるってことくらいしか覚えてねーんだが」


「……それほとんど虐待なのでは?」

「俺なら可能って判断だったんだろ。現にこうしてなにごともなく生還してる」

「あなたも苦労させられたのですね……やはり親という生き物は、総じてクソ」

「その結論には同意できねーな。少なくとも姉貴の態度を見るに、うちのはそこまで……おっと、来たみてーだな」


 ボヅボヅ、ボダボダ、と足音すら気持ち悪い。

 子供ほどの体格を持つ醜い小鬼ゴブリンどもが、弓矢や短剣、手斧や棍棒など、各々の武器と悪意を携え、粘ついた半笑いで近づいてくる。


 開けた場所で待ち構えていた二人は、すでに百匹ほどに囲まれていた。


 魔力や筋力、再生力に長けた魔族といえど、普通なら詰んでいる数的不利だ。

 だが彼らは祓魔官エクソシスト、それも栄えある〈教会都市〉ミレインの若き精鋭である。


 威嚇ですらない倨傲と軽侮が、二つ開いた大口から、ゲラゲラゲラ……と発せられた。

 それは大量の蝙蝠が羽撃はばたく音のように洞窟中に響き渡り、デュロンの鼻には敵の恐怖と怯懦が、嫌という程纏わりつく。


 ひとしきりの哄笑をほぼ同時に終えた二人は、一気に醒めた口調で事務的な確認を交わした。


「じゃ、そろそろ真面目に仕事すっか」

「そうしましょう」



 飛来した三本の矢を腕の一振りで払いつつ、デュロンは手近な一匹を、掲げられていた棍棒ごと踏み潰す。

 脳漿と内臓が一緒くたになって飛び散るが、どうせヘドロに違いない。


 掠ったやじりには毒が塗ってあったようだが、これも大して効きはしない。

 このデュロン・ハザークを毒殺したくば、毒竜か毒巨人、毒の悪魔でも連れて来い……と言えるようになったのは、ごく最近のことなのだが。


 とにかくちょうどいい高さにある小鬼どもの頭や体を、思い切り蹴り飛ばし、壁や他の奴に当てたり、たまにイリャヒの方へ寄越したりして、順調に数を減らしていく。


「ちょっと、こっち飛ばさないでくださいよ。横着しないで、自分で処理しなさい」

「わりー、今のは天井で跳ね返ってった」

「まったく……気をつけなさいよ。

 さて、気を取り直しまして……。

 祓い浄めたまえ、〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉っ!」


 吸血鬼の放った情熱がこの世の穢れどもを容易く呑み込み、似合いの地獄にまとめて叩き込んでいく。

 焼け消える寸前、小鬼どもが改悛するかのように静かな表情を見せるのが興味深い。


 しかしそれにしても、相手が弱過ぎるというのも考えものだった。

 一撃で束になって吹っ飛んでいくので、手応えというか、倒したときの爽快感のようなものがまるでないのだ。


 デュロンは早くも飽きてきて座り込んだ。


「あー、ダメだ。やっぱ雑魚をどんだけ殺しても、なんにも面白くねーんだわ」

「それは残念です。まだその作業を、何百と熟さなければならないのですから」


 イリャヒの言う通りだった。最初の百匹弱はほぼ倒したが、後から後からどんどん湧いてくる。

 虫のようにひしめき合うそいつらは、やはり数が溜まると増長するようで、どういう感情の発露なのか、一斉にケタケタと耳障りな声で笑い始めた。


 もはや個のない群体そのものだ。今からこれを全部掃除するのかと思うと、デュロンは本気でうんざりしてくる。

 イリャヒだって別にやる気があるわけではない様子だが、近隣の村からの依頼なのだから仕方ない。


 しかし意外にも小鬼たちは、二人の気持ちに火を点けてくれるようだった。

 残り九百匹ほどが一斉に、小鬼特有の言語で、なんらかの呪詛を唱え始めたのだ。


「「……?」」


 魔術の詠唱というわけではなく、挑発を口にしているのだとわかる。

 デュロンもイリャヒも職業柄、魔物たちのそれぞれが発する独自言語を、ちょっとした単語だけなら聞き齧って覚えていることがある。


 そして小鬼は魔物の中でも、もっともありふれた種族で世界最弱、かつ、デュロンとイリャヒは共通してに執着があるため、自然と頭に入っていたのだろう。


 小鬼たちは四単語から成る短文を、繰り返し唱和している。

 意味内容は以下の通りだった。


 おれたち、殺す、お前らの……姉妹。


 それを理解した二人の喉は、渇いた低音を発していた。


「「……あ?」」

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