第144話 王の暴虐、そして…果たして、前へ進めているか


「……ぬ?」


 ギデオンは背後から強烈な殺気を感じ、眼前の敵をないがしろにして、思わず振り返った。


 視線の先ではデュロンとリョフメトが戦っているが、リョフメトの意識がギデオンの方へ向いているというわけではない。

 そしてさらにその奥にはヒメキアが座っていて、ハラハラしながら場の趨勢を見守っている。


 ……まずい。これは前に一度あった、あれだ。

 ラヴァが鉤爪で斬りかかってくるが、軽くいなして弾き飛ばす。もはやこいつに構ってなどいられない。


「いって……! なんだよ、てめぇ、余所見してるわりには……」


「デュロン、リュージュ、伏せろ!」


 柄にもなく声を張り、味方への通達義務を果たしたギデオンは、首の後ろで両手を組み、片膝をつくという例のポーズで、上位意思をやり過ごす態勢に入った。


 不気味に思っただろう、じりじりと後ずさりして距離を取るラヴァに対しては、警告を送るような仲でもないため、ギデオンはただ彼女の健闘を祈りつつ瞑目した。


 すぐにギデオンの耳には獣の唸り声と魔族たちの悲鳴が響き、そしてそれなり程度にはある彼の魔力感知能力が、まぶたの裏に群青色の流星群を映し出した。


「ニ゛ャアッ!」「なんだ!?」「うわ、まただ! だめだってば!」「きゃあっ!?」「おい待て、わたしは味方……」「アァオ!」「怖っ! 猫さん、声が怖いよ!」「ちくしょう、ニャン公風情が調子いってぇええ噛みやがったぁああ!!」


 バカどもめ、抵抗するから傷が広がるのだ。それが証拠に、しゃがみ込んで石のように沈黙しているギデオンはこの嵐の中でも、腕や脚を多少擦られる程度で済んでいる。


 どうやら無敵の騎士団は待機状態の維持に時間制限があるようで、怯える主の周りでいつまでもドタバタ暴れるうすらでかい連中に痺れを切らしたらしく、ヒメキアを守っていた猫たちが一斉に、敵味方の別もなく襲いかかってきたのだ。


 ただでさえ素晴らしく強靭かつ柔軟な筋骨を持つ猫様たちが、アクエリカの魔力によって身体能力をさらに底上げされ、その上獲得した固有魔術まで遺憾なく発揮しているのだ。


 本日の天気は晴れ時々曇り、ところにより猫。


 壁、床、テーブルやソファで跳ね返り跳ね回り、縦横無尽に躍動する12匹もの猫様たちを止める術など、卑小な魔族どもごときが持つはずもない。


 そもそも戦うステージの選択を誤ったかもしれない……と、大いなる力に対して改悛を強いられるギデオンの心に、さらなる危惧が飛来した。


 膨張する緋色の魔力を投影され、彼はその双眸を開かざるを得ない。


「……これは」


 すでに心服していることを認められているおかげか、猫たちのギデオンに対する当たりはそれほど強くない。

 対照的に、跳ねっ返りなせいか、一番集中攻撃を浴びているラヴァが、眼を閉じて首の前で両手を交差し、小さく口を開けているのが見えた。


 まずい。一見冷静なようだが逆で、ブチギレて息吹ブレスの予備動作に入っているのだ。

 猫たちの攻撃は苛烈だが、竜化変貌した鱗に阻まれて、彼女を行動不能に追い込むには至らない。


 俺が止めるしかない、とギデオンは確信した。

 しかし、直前にラヴァが引いていたため、彼女との間には五メートルほどの距離がある。


 高速移動能力を使おうにも、いまだ跳び回る、守るべき相手である猫たち自身が障害物となり、発動がキャンセルされてしまう。走っていては間に合わない……という、緊迫状況による刹那の思考加速は終わり、ラヴァの眼が、まさに火竜そのもののように縦長の瞳孔を擁して見開いた。


「ギデオン!」


 そのとき、名前を呼ばれて振り向くと、先ほどと同じヒメキアの真ん前の位置で、デュロンがギデオンの指示通りに伏せており、顔だけを上げて彼を見ていた。


 電撃が走ったように以心伝心の閃きを受け取ったギデオンは、名前を呼ばれたことにより、空間踏破ではなく、召喚契約に基づく空間転移機能が発動。デュロンの正面ではなく、彼の傍らに再出現した。


 すでに息吹ブレスは放たれており、眼前に莫大な光量と熱量が迫っていた。とんでもない規模と火勢である。

 このままではデュロンとギデオンどころか、その後ろにいるヒメキアまでが火蜥蜴の舌で舐め殺されるだろう!


 なのでギデオンは躊躇なく、這いつくばったデュロンの背中を両足で踏みつけた。


「ふんっ!」


 そのままデュロンが上体を起こす背筋力に自分の脚力を乗せて、ギデオンは談話室の天井近くの高さまで跳躍した。

 ほぼ同時にデュロンが火に呑まれるのを感じたが、純粋な信頼によりこれを看過する。


 さて……そう、問題は距離ではなく角度、つまり高さが重要なのだ。

 地上を捉えたギデオンと、長大な爆炎息吹ブラストブレスを放出中のラヴァの視線がカチ合う。


 デュロンと二人で生み出したこの領空には、猫もいなければ炎もない。

 ギデオンの空間踏破能力が阻むものなく発動、生意気な灰緋色の頭の、正面上空に到達する。


「一発返す」


 球蹴りのごとく軽快な振り子軌道を描いて繰り出されたギデオンの右足が、炎の射出口をしたたかに打ち据えた。


「ぐぶぇっ!?」


 息吹ブレスを強制中断させられ、代わりに真紅の鼻血が尾を引いて綺麗に縦回転するラヴァリールは、後方へ吹っ飛んで扉に叩きつけられ、破壊してもまだ勢いが止まらず、そのまま玄関ロビーの談話室から、つまりミレイン祓魔寮エクソスドームからご退出いただくことになった。



 さすがに二人でこの場を制圧するのはどう考えても不可能だとすぐさま悟ったようで、リョフメトとリラクタもすぐさまラヴァを追って撤退した。


「失礼しましたっ!」

「この勝負、いったん預けるわー」

「待て」


 リュージュが呼び止めたのは彼女たちではなく、追いかけようとしたデュロンの方だ。


「なんでだよ? 今追い打ちする効果はデカいはずだぜ」


 従いつつも不満そうな相棒バディに、リュージュは理由を説明する。


「だからこそである。あのグダった状態のままで、奴らは市街へ逃げ込むわけであろう? すると、わたしたちがやるまでもなく、漁夫の利を狙った他の参加者たちが、面倒な三バカと食い合ってくれる。それで落ちるかはともかく、両者ともに疲弊するのは間違いない。つまり最終的に漁夫の利を拾うのは、わたしとお前の方というわけだ」

「さすがリュージュ、効果的にサボることに関してもはや専門家だぜ!」

「わはは、であろうとも!」


 バカなやり取りはここまでとして、ひとまず被害状況の確認に移る。


 テーブルやソファの損傷は酷いものだが、給料からの天引きで済む範囲ではある。

 猫たちのうち2匹が毛を少し焼かれてしまったようだが、体ごと炎に突っ込んでしまった子はおらず、12匹ともがようやく落ち着いた様子で、すでに解散の雰囲気を出し、いつものようにたむろし直していた。


「デュロンありがとう! でも大丈夫!?」


 ヒメキアが叫んで駆け寄る彼を、一番の重傷者と呼んで良さそうだ。

 ギデオンの掣肘せいちゅうによって中断されるまでの一秒間ほど、仁王立ちで爆炎息吹ブラストブレスを正面から受け止めたため、全身に大火傷を負ったはずなのだ。


 しかし人狼の強靭な耐久力と再生力で補償できる範疇だったようで、すでに表皮まで回復は終わっており、戻らないのは制服の破損だけだった。

 というか、なんか妙に良さげな塩梅で服が焼かれて、やけにカッコいい感じで破れ、そういうタイプの頽廃的なファッションみたいになっている。


 別の意味で英雄の才能がある彼は、しかしどうやら「色を好む」の方はいまいちなようで、じっと見てくる翡翠色の眼に対し、やたらとドギマギしている。


「お、おう、ヒメキア、俺は無事だ。それよりギデオンを見てやってくれよ」

「ほんと? ……うん、大丈夫そうだね! あたし、そうするね!」


 にっこり笑って走っていく彼女を見送って、デュロンは微笑みながら胸を撫で下ろした。

 どうやら彼にとっては、並みの魔族なら骨も残るまいという死の熱風よりも、ヒメキアの熱い視線で生じる胸の火照りの方が重篤らしい。

 なんとも見せつけてくれる、さっさと結婚しろ、としか言いようがない。


 一方、戦闘妖精は近づいてくるひよこちゃんを、大人の余裕を持って迎えた。


「ギデオンさーん! ギデオンさんは平気?」

「ヒメキア、俺は靴が焦げただけだ」

「そうなの? んー……ほんとだ! よかった! ギデオンさんも、あたしを助けてくれてありがとう!」

「なんということはない。お前が狙われた射線上にたまたま俺が立っていただけの話だ」


「ほんとに言いやがったよこの堅物くん……へへ。だがよー、よくわかったな?」


 ギデオンは口を挟んだデュロンから、無事で済んだ自分の右腕へと視線を移して、半ば独りごちるように呟いた。


「まあな。以前の俺ならお前の意図を汲めなかっただろうし、一人で正面から突っ込んで右半身を盾に左半身で攻撃、くらいはやっていただろう」


 昔は悪かった、とかいうその辺のオッサンがやる無価値なワイルド自慢とは、どうもニュアンスが異なるように思われた。

 ギデオンは右手をヒメキアの頭にそっと置いて、嬉しそうに体を揺らす彼女の髪を撫でながら、どこか憂いを帯びた顔を上げて問うた。


「デュロン……俺は、前へ進めているだろうか? それとも焼かれるまでもなく焼きが回り、日和っただけで、弱くなっているだろうか?」


 対して、いまだ彼の好敵手であり続ける人狼は、力強く笑って断言してみせる。


「前へ進んでるし、強くなってるぜ。もっとも俺を抜き返すのは、まだ先かもな!」

「だろうな。地を這うその姿すら、お前は輝いていたぞ」

「言いてーことはわかるがよ、その言い方だと皮肉どころか、腹ん中で爆笑してるようにしか聞こえねーんだが!?」


 ギデオンの言わんとすることが、リュージュにもわかった。

 デュロンはいつさっきのような事態が起きてもいいように、可能な限りヒメキアを背に負う位置取りを意識してリョフメトと戦っていたので、結果的にちょうどいい場所に居合わせ、彼女を庇うことができたのだ。


 多少なりとも迷いが晴れた様子で微笑み、ギデオンはヒメキアの頭を優しくポンと叩いて離した。


「俺もさっさと帰って、お前と同じようにしよう」

「おう、そうしろ。なし崩しに助っ人頼んで悪かったな、おかげで助かったぜ」

「構わん、またいつでも呼べ。

 ……呼ばれている。では、またな」

「ありがとよ、ギデオン!」

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