第89話 戦闘妖精と甘い追憶
「……なんだ、これ?」
20年前のある日、幼ギデオンはひたすら当惑し、立ち尽くしていた。
それもそのはず。ミレインの中心街をそぞろ歩いていたら、いきなりありえない広さの花畑が眼の前に広がったのだ。
当時3歳のギデオンにまだ死生観は備わっていなかったので、今もし同じ状況に遭遇したら、「俺、死んだのか?」と思ったことだろう。
しかし、早熟な神童だったギデオンは、それが故郷の「妖精の丘」……俗に言う妖精界へ出入りするときに起きる現象に近いことを、しばらくして感覚的に把握することができた。
つまり、そこは妖精族が持つ空間制御能力によって、通常の市街地のド真ん中にありながら、隔絶された状態にあったのだ。
それも個体の持つ種族能力や固有魔術ではなく、複数の妖精が協力して成立する、かなり高度な結界術がかけられていた。
しかもどうやら並行して認識阻害もかけられていたようで、人間どころか普通の魔族ですら、単系統の感知能力では、そこになにかがあることさえ看破できないレベルの隠蔽が施されていたのだ。
「はえ〜、すっげ〜。わけわからんな〜」
そしてどうやらそこが民家の庭らしいことを、不自然に続く牧歌的な光景の終端に目が及ぶことで、ようやくギデオンは理解していた。
一見するとミレインの街によくある、なんの変哲もない、赤い屋根の小さな一軒家だ。
しかし、こんな得体の知れない場所に住んでいるということは、恐ろしい魔女の類に違いないと、当時のギデオンは確信せざるを得なかった。
母親の存在が大きかったため、強い=怖いという紐付けがあったのだ。
なので彼は、敵意のない無防備な存在に肩を叩かれるまで、そんな距離まで近づかれていることにまったく気づかなかった。
「うわっ!?」
「ひゃっ!? ご、ごめん、驚かせちゃった?」
互いに仰天して仰け反るというおかしな状況を先に客観視して笑い出したのは、相手の少女の方だった。
ギデオンはというと、当時からあまり感情を出す方ではなかったので、ひたすら呆然とするばかりだった。
「あははは! なにやってんだろ、わたしたち!」
名前は今でも覚えている。というか、忘れられない。少女はメイミアといった。年格好は15歳くらいだっただろうか。
容姿は……茶髪なような金髪なような、赤毛だった気もする。銀髪や黒髪ではなかったと思うが、あまり自信がない。
記憶に靄がかかったようになっていて、つまるところよく覚えていない。
ヴィクターに尋ねればそれも判然とするのだろうが、彼はこの話に関しては、悲しそうに眼を伏せるだけで、いつもの長広舌を引っ込めてしまう。
わかっている。思い出したいというギデオンの心とは裏腹に、頭が忘れたがっているのだ。
とにかく、頭に花冠を載せた(逆にこんな些細なことは覚えているようだ)彼女は、ひとしきり笑い転げた後、涙の滲んだ目尻を拭った。
そして幼ギデオンの目線に合わせてしゃがみ込み、顔を覗き込んでくる。
大きな眼が印象的だったわりには、その色も覚えていない。
記憶映像は全体的に灰色がかっている。
「ごめんごめん! こんなところに迷い込んじゃって、びっくりしたよね。きみ、どこから来たの? お名前は?」
「おれは●……」
危ない、うっかり本名を名乗るところだった。
慌てて自分の口を両手で覆う彼の様子を見て、少女はすぐに得心した様子で頷く。
「そっか、妖精族の子どもなんだ。だからここへ入って来れたんだね。
うーん、そうだね……とりあえず、エトランゼって呼んでいいかな?」
妖精族の間ではわりとポピュラーな渾名で、知らない人、異邦人、旅人、という意味の言葉だ。
こくこくと頷くギデオン……エトランゼに、少女はにっこりと笑いかけた。
「よろしく、エトちゃん!」
「エトちゃん……?」
「あっ。愛称をさらに愛称で呼ぶのはおかしいかな? まだ早かった?」
「ううん、そういうわけじゃ、ない」
「そっか! わたしはメイミアっていうんだ。ここに住んでるよ。よろしくね!」
そう言って彼女は、花畑の真ん中でクルクル回った。……そうだ。そうやってダンスで気持ちを表現するのが得意な少女だった。
色々と訊きたいことがあるエトランゼだったが、その様子を察した感じでメイミアが回転をやめ、首をかしげてきたので、思いつくまま尋ねた。
「メイミアは、おれのことが怖くないの?」
「どうして? こーんなにちっちゃいのに?」
頭をポンポンされ、下がってしまった帽子の鍔を直しながら、エトランゼはムッとするでもなく答えた。
「ちっちゃくはない。おれはけっこうでかいぞ」
「そうかなー? エトちゃんは、いくつ?」
「おれは3つだよ」
「へー3歳か。ふふ、かわい……3歳!? にしては確かに、結構大きいかも!」
そう。母の願いが叶ったおかけで、当時のギデオンはすでに身長が100センチを超えていた(バヒューテ姉妹の誰だかに勝手に測られたのを覚えている)。
体重に関してはわからないが、30キロは超えていたのではないかと思う。それもほぼ筋肉だ。
思えば、かなりうすらでかい3歳児だった。おまけに頭の方まで早熟とくる。
しかも種族が、あの悪名高き
当時も体格に合った杖と斧、なにより血染めの帽子を装備していたので、メイミアにもそれがわかったはずだ。
しかし彼女は、へー、ほー、などと呟きながら、エトランゼの周りをちょろちょろ歩いて観察してくるだけで、別段怯えた様子などはない。
なので、もしかして理解していないのではと思い、エトランゼはつい明言した。
「メイミア、お前は人間だろ?」
「そうだよー。もはや数少ない人間さんです。レアだよ!」
「おれはレッドキャップだ。辻で人を殺すやつだ。辻っていうのはよくわからんけど、なんか道のあのへんのことだ。母さんがそう言ってた」
「そっかー、つじなんだー」
「そうだ。だからおれは怖いんだよ。たぶん」
「うーん、よくわかったよ。でもきみは別に、わたしを殺しに来たわけじゃないんだよね?」
あっけらかんとしたメイミアの問いに、エトランゼは素直に答えるしかない。
「わけじゃない。おれはただ歩いてただけだ」
「だよね。迷子ちゃんだ。ごめんね、ちゃんと出口は教えるから」
「いや、そうじゃなくて……」
「うん。それにほら、この空間は見ての通り、殺しとかが起きるような場所じゃないから、習性に引っ張られることもない。
きみは特になにかを強いられることもない、誰かよくわからない、ただの自由な妖精さん。かわいいエトちゃん。
少なくとも、わたしにとってはそうだよ。それでいいんじゃないかな?」
ねっ? と優しく微笑む彼女を見て、エトランゼはおずおずと頷くしかない。
その様子を確かめた彼女は、ぶーんと腕を振り回し、自分の家を指差した。
「じゃあ、わたしのお客さんだね。お茶とお菓子をごちそうしよう!」
そうしてその日から、二人の奇妙な交流が始まったのだった。
ハーブの香るお茶とお菓子をこれでもかと勧められ、しこたまご馳走になったエトランゼ……ギデオンは、満杯になったお腹(と、夕食が食べられなくなって母に叱られる不安)を抱えながら、家へ帰った(しかし、結局ご飯を残すことはなかった)。
その日あったできごとを報告すると、母は複雑な表情をしたが、渋面というわけではなく、なにか考えている様子をしていた。
なんとか説得しようと「メイミアはすごくいい人なんだ」と力説すると、「まあ、別に危険な場所というわけでもなし、いいさね」と、その後も彼女と遊ぶことを許してくれた。
なので彼はその日からほぼ毎日、暇さえあれば、メイミアのところへ通うことになった。
「ねえエトちゃん。あんまり種族がなにとか、そういうことで接し方を変えたらダメだよ?」
それから何日か後、すっかりメイミアに懐いたエトランゼは、バルコニーに出された安楽椅子の上の、メイミアのそのまた膝の上に納まり、彼女の話を静かに聞いていた。
「今、お外が大変なことになってるのは、エトちゃんも知ってるでしょ?」
「うん。人間たちが殺されてまくっているんだよね。メイミアは大丈夫なの?」
「わたしはここにいるから大丈夫。それより問題はきみたちでしょ?
これからはたくさんの種族が街中で一緒に暮らすことになるんだから、みんなで仲良くしないとね。
人狼と吸血鬼だからいがみ合ってなきゃいけないとか、ああいうのは悪い考え方だから、マネしちゃダメだよ?」
「おれも、妖精じゃない人たちとも、友達にならなきゃダメ?」
「そうだねー、そうしてほしいかなー。お姉さんと約束できる? みんな仲良く。わかった?」
わかったよ、と、こっくり頷きつつも、エトランゼはメイミアを振り仰いで尋ねた。
「じゃあ、ケンカしてる別々の種族の人たちを見かけたら、おれ、どうすればいい?」
「そうだねえ。エトちゃん力が強いから、割って入って、止めてあげた方がいいかもしれないね。でも無理はしないでね?」
「そっか。おれ、話してみるよ。でも、おれの話を聞いてくれなかったら、ぶん殴っていいかな?」
「うーん、それは……まあ、少しだけなら。エトちゃん、
「……メイミア、種族がなにとか言ってる。さっきと言ってることが違うぞ」
理解に苦しんで体ごと揺する彼を、メイミアは笑いながら抱きしめることで押さえた。
「あはは、そうだったね、ごめんね。前と後で違うこと言ったらダメだよね。
でもね、そうやって譲るのはいいかなーと、わたしは思うんだ。赤帽妖精だからダメ、はダメで、赤帽妖精だしいいよね、はいいんだよ」
「だめはだめ、いいはいい」
「そうそう。でも、ダメなものはダメと、ときにはちゃんと言うことも大切なんだよね」
「だめはだめもだめのだめ……あー、こんがらがってきた!」
「あはは。エトちゃんにはまだちょっと難しかったかもしれないね」
じたばた暴れた挙げ句、膝の上から滑り下りて着地したエトランゼが振り返ると、メイミアはいつものように優しく笑って、口癖のように言った。
「大丈夫だよ。みんなが仲良くすれば、きっと世界は平和になるよ」
そういうものなのかと、当時のギデオンは素直に聞き入れたのを覚えている。
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