第54話 その名はギデオン
そして男はすでに、ついさっきデュロンが圧し折ったはずの右腕で杖を構えている。
獣人や竜人の肉体活性とも、吸血鬼や人魚が得意とする魔力回復とも異なる、妖精族特有の再生能力によるものだ。
彼らは「空気の体」を持っているとされる。肉体構造や成分は普通に生身なのだが、ひとたび損傷を受けるとまるで一つの物質の塊であるかのように、元に戻ろうとする力が働くそうな。
ただし金属における惰性のように、修復にも限度があるが、これはどの系統の再生能力でも同じことが言える。
三人は(もちろん二対一の形でだが)十字路の真ん中で対峙した。デュロンが端的に尋ねる。
「なんなんだテメーは?」
「答える必要はない。なぜならお前たちはすでに、俺を知っているはずだからだ」
「
砦や古戦場、残虐事件の現場に出没する、冷酷無比の怪人。
暴力と殺戮のみを友とする、無類の戦闘妖精。
およそ考えうる限り、街中で遭いたくない存在のトップランカークラスである。
だがそれは裏を返せば、人狼や吸血鬼も同じなのだ。男は十分に警戒しつつ告げた。
「デュロン・ハザークにソネシエ・リャルリャドネだな。個人的な恨みはないが、ここで露と消えてもらう」
「端的かつ一方的すぎるだろ……いちおう訊くが、何者かに命令されてると考えていいんだろうな?」
妖精は一瞬だけ思考するが、デュロンの鼻は嘘臭さを検知しなかった。単純に整理したのだろう。
「……具体的な標的の選定は俺の自由裁量に任されているが、いずれにせよ依頼主に利する行動となることは確かだ」
「回りくどい言い回しをしやがって……まーいい、どっちにしろこっちの答えも同じだ。
やなこった! だぜ。だいたい俺らだけ素性を知られてるってのが気に入らねー。ビビって夜も眠れねーってんじゃねーなら、テメーも名乗れよ、お洒落帽子くん」
「無意味」
「あん?」
結構渾身だった煽りに横槍を入れたのは、ソネシエだ。デュロンが振り返ると、彼女は冷静に述べる。
「妖精に対して
なので特徴を端的に捉えたり、他の人物の名を借りた愛称で呼ぶのが通例のよう」
「マジか? でもレミレの
「レミレ・バヒューテは変態なので、思考が読めない。それに、あなたに対して胸襟を開き、信頼を示そうという、捨て身の覚悟の表れだったのかもしれない」
言われてみればあの場面は、胸襟どころではない開き……表れ……いや、この思考は今は止した方が良さそうだ。またスケベの烙印を押される。
一方で男の方も、レミレの名前に対し微細な反応があった。同じ妖精族ではあるし、顔見知り程度の関係はあるのかもしれない。
とにかく彼は眉根を寄せつつも告げた。
「まあ、一理ある。依頼主にはギデオンと呼ばれている。覚える必要はないが」
「だろうな。テメーもテメーを呼ぶ奴も、二度と表に顔出すことはねーんだからよ!」
我慢の利かないデュロンが、正面から突撃した。
後発のソネシエは好機を伺う。
無策を嘲ったのか、戦闘狂の血が踊ったのか。
赤帽妖精が浮かべた笑みは、
「逸るな人狼。俺の因果に囚われるぞ」
思わせぶりな台詞を無視し、デュロンはギデオンの脇腹を狙い蹴る。
鞭のようにしなる右脚を掴まれるが、これは織り込み済み。二段蹴りの要領で左脚を振り上げ、赤帽の下の延髄へと叩き込む……つもりがこれも見切られ、手の甲で防がれる。
デュロンは捕らえられた右脚を軸に体を捻り、ギデオンの左肩へ踵での一撃。反動と回転で無理矢理引き抜き、踏みしめた右足で地面を押し返した。
跳躍して、路地の壁に刹那の着地。ギデオンの態勢が崩れた隙を突いて、左手を部分変貌、鉤爪を掻き抱くように振るう。
「……!」
だが裂かれたのは虚空だ。気づけばギデオンは反対の壁際に立っている。
例の瞬間移動能力がデュロンの脳裏に浮かぶが、あれは確か接近時に視認発動でしか使えないはずだ。
つまりギデオンは種族能力を行使したのではなく、普通にデュロンの動きを完全に見切り、速くではなく、早く避けたのだろう。
やはり一対一では、まだ決定的な力量差が横たわっている。ならどうするか?
狼は群れでこそ強いのだ。こんなときこそ、生意気なおちびさんを頼ろう。
隣家の屋根に凛然と立つ姿がある。
知らず移動したのはギデオンだけではない。
細い月を背にソネシエは固有魔術〈
ギデオンの暗緑色の双眸が上方を仰ぎ、紅に染まったソネシエの視線と激突した。
ソネシエは強い緊張と集中を発した。そしてその予感は裏切られない。
脅威対象の至近での目視と後方空中回転、どちらが先だったのか、動いた少女自身にもわからなかっただろう。それくらい電撃的に迅速な反応だった。
今度は種族能力を行使し、ギデオンが一瞬で距離を詰めたのだ。
制服の裾を優雅にはためかせ、蝶のように舞うソネシエの長い黒髪を、男の振るった杖先が追い風で遊ぶ。
屋根の上を後退し着地した彼女は、双剣を即座に破棄し、固有魔術を再度展開する。
ギデオンが露骨に警戒を見せた。
「おいおい、マジか……?」
地上で見守るデュロンの眼にも、彼女の措置は奇異に映った。
ソネシエは小さな両手で慣れない拳を作り、親指を除く四指の第一関節の先端を覆うように、氷の籠手……むしろ拳を保護しつつ、打撃の威力を高めるための
腕力に関しては絶滅種である人間程度とされる吸血鬼の、しかも細身の剣士が、赤帽妖精相手に殴り合いの構えを見せている。
普通は虚仮威しと判断するだろう。
だがどうにもソネシエは本気らしい。援護すべくデュロンは軽く跳躍して二人と同じ屋上へ着地し、ギデオンに横から右の突きを放つが、摘み食いを咎められるように容易に弾かれた。
「ぐっ!」
「懲りない男だ」
ギデオンの右腕が杖を振るい、態勢の崩れた人狼の胴を薙ぎ払う。
デュロンは右手を弾かれた流れを利用し、そのまま右後方へ倒れる形で杖を躱して、屋根の縁に右手をついた。
攻撃を放つと同時に、これは深く入ると、デュロンは確信した……のだが。
ギデオンの視界には右手を前に出す、左利き拳闘士の構えで気を吐く、吸血鬼の少女がいる。
判断に淀みはなく、赤い帽子の刺客は杖を夜空へ投げ上げ、正面の敵だけを見据えて、相手と同じく左拳を引く構えで突進した。
「おいっ!?」
たまったものではないのはデュロンだ。上手く挟み撃ちの形に持ち込んだと思ったのに、完全に無視される形で弧を描く左足の蹴りがギデオンの後頭部を虚しく掠め、屋根の縁スレスレをスッ飛んで、無様に地面に叩きつけられた。
……まあ、陽動として意識を割り振らせる役目は果たしたので、ひとまずこれで良しとしておく。
次だ。
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