第27話 金の俺様、銀の俺様


 あるはずのない姿がそこにあった。


 巨大な掌が、蹴り込んだデュロンの靴底を造作もなく押し返す。筋肉自慢の剛力無双、大鬼オーガの巨躯が、3日ぶりの娑婆しゃばに君臨していた。上半身裸の迫力は凄まじい。


 合図を出して呼び寄せたと思しきウォルコが、親しげに声をかける。

「遅かったじゃないか」

「無茶言うぜ、開けるだけ開けてさっさと先に行きやがって。外の混乱に乗じたとはいえ、足止め連中を突破するのは……まァ、さして苦労もなかったけどよォー!」


「……テメーら、いったいいつから手を組んでやがった……!?」

 最悪の取り合わせに苦み走るデュロンを見て、悪党どもは凶暴に笑う。

「さあて、いつからだったっけな? 簡単な取引をしたんだ。この街から逃がしてやるから、俺の計画に協力してくれってね。あの即答はさすがの豪傑ぶりだったよ」

「つゥかお前と同調しなきゃ逃げ切ることはできねェんだから、実質脅迫だわな。自分で投獄しといて勝手な釈放に条件付けるとは、阿漕あこぎな野郎だぜ、神父様よォー」


 思い当たる節はいくつかあった。猫のガミブレウ派の討伐作戦を主導したのはウォルコだ。結果的にかもしれないが、この時を見越してギャディーヤという大駒を確保し、監房という死角へと引き込んだ格好となった。


 そして、これも手を組むに至った原因か結果かは不明だが、獄中のギャディーヤは結局、ヒメキアを害するという主旨の発言をしていない。


 あのとき奴がなにを言いかけたにせよ、視線がヒメキアを捉えた時点で、そうしないと不自然なため、ウォルコは指と鼻を切り裂いただけだ。


「さァーてウォルコ、俺を地下へブチ込んでくれたてめェに借りを返さなきゃなァー?」


 そして脱獄させる関門についても、実力と信望を兼ね備えたウォルコにとっては、それなり程度の工作で済んだのだろう。たとえばあの中年の牢番と完全に結託するとか、そのあたりか。


 考えていても仕方ない。幸いにもギャディーヤの動きは巨大ゆえさほど速くはないが、筋骨隆々ゆえ、イメージするほど遅いわけでもない。

 つまり、奇襲攻撃を仕掛ける相手としては、十分ウスノロだということだ!


 デュロンは静かに地を離れ、飛び蹴りを食らわせる。

 ギャディーヤは避ける素振りもなく、左こめかみへの痛打を許した。

 だがデュロンが得た手応えは、生体組織ではありえない反発だった。


「お前が落としたのはァ……金の俺様?」


 強硬に跳ね返され、着地したデュロンが確認すると、ギャディーヤの左こめかみだけが金色に変化していた。

 見ているうちに、あざが引くように元の赤っぽい皮膚に戻っていく。

 デュロンはイリャヒが言っていた懸念を思い出した。ギャディーヤの固有魔術は未詳だ。


「それとも……」


 同じことを考えているのだろう、イリャヒが嫌な予感に駆られた様子で鬼火を放つ。

 絶対破壊の炎が渦状に変化して巻きつくが、ギャディーヤの皮膚に触れた瞬間、まとめて掻き消えた。


「……銀の俺様か?」


 蛇に絞められた痕のように、ギャディーヤの皮膚が縞模様に変化していた。今度は銀色にだ。

 おそらく体表に金属装甲を生成し、さらには粘性や展性、靭性などの性質を好きに弄れるという、錬成系の固有魔術だろう。

 しかも瞬間的・部分的な対応が可能という、柔軟で高性能な代物だ。


 ちょうどそのとき、広場に複数の声が飛び込んできた。

「こっちだ!」「見ろ、ありゃ悪名高いギャディ公じゃないのか!?」「捕まってたはずだろ!?」「もはや語るに及ばんな、ウォルコ!!」

 市内の他の場所を鎮圧してきたのだろう、同僚たちが増援に現れたのだ。


 だがウォルコは意に介さず、ギャディーヤの言葉遊びに付き合う。

「さあ、なんだったかな。乾いた血の臭いが錆っぽかったし、鉄だったと思うな」

「だァーっはっは、正直者には褒美をやらんとな!というわけで、金と銀の俺様を両方プレゼントしまァす! 面倒だから混ぜちまうがなァ!」


 ギャディーヤの体表光沢が汚いマーブル模様となるが、すぐに止揚に達した。


 銀色の部分は起きた現象から見て、文字通りの銀だ。

 かの伝統的素材が魔族の弱点である理由は、触れた魔力を無効化する、その浄化作用だ。

 剣や鎧に仕立てれば氷の息吹を断ち、炎の魔術を打ち消せる寸法である。


「最近じゃァー、教皇庁も親切になったもんだ。敵性の俺らにも識別名をくれる」


 金色の部分は尋常でない剛性から察するに、単なる黄金ではない。

 銀を対魔術絶対防御と考えるなら、それを補完する物質……伝説に言う不破物アダマントの類だろう。

 物理攻撃に対する最強の耐性だ。竜や巨人クラスの大質量をもってして、始めて破壊可能だと聞く。


 ギャディーヤはその2つを体表で捏ね回し、かの有名な真正銀ミスリルをも超える新たな銀合金を錬成している。

 魔術を阻む銀を魔術によって冶金やきんするという、小鉱精ドワーフの精鋭でも難儀する自己矛盾を、おそらくは魔術の練度そのものによって乗り越えたのだ。


「俺の固有魔術は〈超冶金士ウルトラスミス〉だとよォー! ……ちょっとダセェのは嫌がらせかこの野郎!?

 まァいいさ、箔が落ちても性能が下がるわけじゃァねぇんだからよォーっ!!」


 金銀色の彫像と化したギャディーヤと、ヒメキアを抱えたウォルコが背中合わせとなる。

 怒号を塗り潰すように、ついに迫った増援たちの、魔術と肉弾が殺到した。


「さァ猟犬ども、突破してみろ! 俺様謹製、不破超合金銀アダマント・アルジェントの装甲をなァー!」


 ギャディーヤは仁王立ちのままですべての攻撃を受け切る。

 魔術は浄化作用が、肉弾は絶対強度が打ち消した。息吹ブレスも、武器も同じだ。なにも効かない、通らない。


 当然の結果とばかりに、ウォルコが平静そのもので、背中越しに釘を刺した。

「じゃ、そろそろ頼んだぞ。この子に傷1つでも付けたら、後で確実に殺すからな」

「おっかねェがよォー、しゃァねェなァー!」


 その態度と、実際に手綱を握れている様子から、ギャディーヤにダメージを与える方法は、おそらくないわけではない。しかし、それがウォルコにしかできない方法なら、デュロンたちにとってはなんの意味もない。

 そこまで考えたところで、デュロンは2人の行動に当惑し、それどころではなくなった。


「はいよ」

「おらよ! じゃァ行ったらァ!」


 不意に振り返ったギャディーヤに、ウォルコがヒメキアを預けたのだ。

 戸惑う少女を、まるで楕円形のボールであるかのように、その巨腕でしっかりと抱え込む。

 見た目に反し、恐ろしく器用な男だ。ヒメキアがまったく痛がっていないところを見ると、卵を温めるように繊細な力加減を加えているのだろう。

 奴は頭を低くし、不敵に笑って、一直線に走り出した。


「…………!」

 これにはデュロンたちだけでなく、駆けつけた同僚たちも対処に苦慮する。


 先ほどは盾役を担うギャディーヤ狙いでめちゃくちゃに攻撃できた。しかし今度は当のギャディーヤが、救出すべき少女を抱えて走っている。


 これは攻撃していいのか? 最悪こちらの斉射がギャディーヤの装甲を上滑りし、ヒメキアだけが消し炭になるという、本末転倒すらありうる。


 ヒメキアが〈結界石〉を使えればいいのだが……おそらくあの状態のギャディーヤに触れている間、ほとんどの魔力や魔術は封印される。

 全員の出足が鈍った。


「さて、邪魔はさせないよ」


 さらにウォルコの存在がある。先の行動で、彼がギャディーヤを相当に信用していることはわかった。このまま広場に残り、足止めに徹するのだろう。


「皆、聞きたまえ!」

 声を張ったのは、管理官マスター見習いであるオノリーヌだった。

「……っ、彼女……ヒメキアには……」

 注目を集めたものの、歯を食い縛り、拳を握りしめて続きを言い淀む。

「彼女には再生能力がある! それも、体一つ潰れても復活できるレベルのものが!

 だからとにかく、物理的な障壁でギャディーヤの足を止めるのだよ!

 倒す必要はないのであるからして、足元の見えないデカブツを転ばせてやればいい!

 ただし生半可なバリケードでは、チーズのように千切られると心得たまえ!」


 お手並み拝見と静観していたウォルコが、余裕の半笑いで彼女へ迫る。

「……それを俺が、実行に移させると?」


「させるかもしれんな、ウォルコさんよお!」

 応じて立ちはだかったのは、増援たちだ。〈爪〉とやり合いつつ、デュロンらへ叫ぶ。


「正直あのおちびが誰だかよく知らんが、お前らの客なんだろ? だったら取り戻せ!」

「ウォルコが我々を邪魔するんじゃない、我々がウォルコを邪魔してやる! 行ってやりなさい! それが責務であり役目というものだ!!」


 思えばこの2日間、ヒメキアは寮内や街中で黒服に会うたび、にこにこ挨拶していた。自分の護衛対象でなくとも、助けてやりたくもなるだろう。


「すまん、恩に着る!」


 改めてウォルコに包囲攻撃を仕掛ける同僚たちを横目に、デュロン、オノリーヌ、ソネシエ、リュージュ、イリャヒは、ギャディーヤの去った方向へ駆け抜ける。


〈爪〉の追撃はやって来なかった。いくらウォルコでも、デュロンたちのような若手ならともかく、中堅や熟練をそう何人も同時に相手取れはしないだろう。

 それより、火急なのがギャディーヤだ。5人は屋根へ登り、疾走・飛翔する。


「見つけた。あそこ」

 ソネシエの声に振り向き、全員が彼女の視線を追うと、暴走する重金属の塊があった。

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