第68話 この幸せが続きますように。

 私が拝領して二年目の冬。

 夏に雪の花はほとんど舞わず、ジンクスどおり厳しい冬となった。


 そもそもメルドルフは帝国でも屈指の豪雪地帯にある。

『何にもないが雪だけは腐るほどある』とメルドルフ人たちが自虐するほど雪が積もるのだ。


 冬季、空は厚い雲に覆われ、昼夜問わず降り積もる雪に人々が格闘するのが常である。それがこの領の”冬”でもあった。


 本当の冬に触れ、私は人の背丈ほどに降り積もる雪と寒さを体験した。

 心底驚いたものだ。

 降り止まない雪の恐怖というものがあるということも知ることになった。



「去年は本当に暖かかったのね。雪の量も天候も全然ちがうもの」



 私は隣を歩くイザークに話しかけた。今は公務の合間に領主館の庭園を散歩中、である。

 イザークは雪の照り返しに目を細め、



「そうですね。まるで違いますね。別の国に来たかのようです」


「これだけ積もれば死者もでて当然ね」



 去年も雪は降ったが、今年に比べてとても少なく、さらに真冬でも晴天の日が続いた。


 だが去年が異常であっただけ。

 今年これがメルドルフの日常なのだ。


 私は数メートル先に足跡がないまっさらの雪が積もる場所をみつけ、足を向ける。



「コニー様! そこは通路ではありません。落ち着いてください」



 イザークが慌てて私を呼び止めた。



「無理。だってとっても気持ちがいいんだもの。こんなに晴れているのよ?」



 今日は久しぶりの快晴だ。


 心が浮き立っていた。

 もちろん空気は冴え、頬は痛い。が、それでもさんさんと降り注ぐ太陽の光は何よりもありがたい。

 薄暗い室内にはうんざりだ。



(太陽が待ち遠しいって思うだなんて、私もメルドルフ人に近づいてきたのかもしれないわ)



 私は襟元のマフラーを結びなおした。

 隙間から寒気が入ってきて、微妙に寒い。毛糸のマフラーを選んだのが失敗だったかも。毛皮にすればよかった。



「コニー様、館に戻りましょう。身体が冷えてきています」



 イザークが私の頬に触れ心配顔で言う。



「これくらいなら大丈夫よ? 久しぶりにイザークと昼間一緒にいられるのよ。もう少し二人で過ごしたいのだけど、だめかしら?」



(それに今戻るとまたアロイスに仕事投げられるし)



 ここ数日、メルドルフはひどい吹雪にみまわれた。

 視界もほとんど利かず、外にすら出れない。一歩でも出たら遭難すると警戒される程の嵐であった。


 おかげで予定していた領内の視察が全て中止になり、『どうせ館から出れないのですから書類仕事を片付けてください』と、とてもいい笑顔のアロイスに半ば強引に執務室に缶詰状態にされてしまったのだ。


 投げ出したくなるほどの山盛りの案件が何とか目処が立ったのがついさっきのこと。

 気分転換と言い張って無理やり出てきたのである。



(すぐに戻るのももったいないわ)



 私の提案に「それは……」とイザークはしばらく悩み、結局首を横にふった。



「いいえ、駄目です。コンスタンツェ。今は気を使わなければならない時期であることをお忘れですか? 身体の冷えは大敵と医者も申しておりましたし」


「イザークはほんと過保護ねぇ。気にしすぎるのも良くないんじゃない?」



 庭園の雪景色はとても綺麗だ。もっと眺めていたい。


 けれど、やっぱり寒いものは寒かった。厚い毛皮のブーツを履いていても足底から寒気が登ってくる。

 実のところ、もうそろそろ領主館に帰ってもいいかなとは思い始めていた。


 イザークは首に巻いていた自分のマフラーを解き、私のマフラーの上から巻きつけた。



「どうとでもおっしゃれば良い。私はあなたの夫ですよ。心配するのが私の役目です。お忘れですか?」



 と口調は優しいが、その瞳は鈍く光った。



「わかってるわ。ごめんなさい」



 夫婦となり一緒に暮らすようになって、イザークのちょっとした表情の変化から感情が読み取れるようになった。


 つまり琥珀色アンバーの瞳が揺らぎ始めるとそろそろ忍耐の限界だということだ。冗談では許してもらえなくなる(そして機嫌を直してもらうのも大変なのだ……)

 部下には寛容なのに、私に関してはものすごく狭量なところはどうにかしてほしい。



「イザークはマフラーしてなくていいの? 首元、寒いでしょう?」


「前にもお伝えしましたが、私は鍛えておりますし、北国育ちですからね。これくらいどうってことありません」


「そうだったわね。……仕方ないわ。大切な旦那様が凍え死なないうちに戻りましょうか」



 イザークが差し出した左腕をとり、私はそっと顔をうずめた。

 このまま穏やかな日々をイザークと過ごせたなら、なんと幸せだろうと思いながら。




 その日の夜遅く、嵐により足止めされていた皇室からの使者がバルトに到着した。

 親書を携えて。

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