第59話 悪縁は断たれ、私は前を向く。

 物事を俯瞰ふかんし、意のままに操るアロイスのことだ。

 驚くべき何かが出てくるかもしれない。


 アロイスはローマンに小声で指示をすると、書庫の扉を閉め、振り返りながら微笑んだ。



「コニー様、政策を進める上で最も重要なものは何だと思われますか?」


「領主の意思かしら。それとも民意?」


「いいえ、どちらも違います。重要なのは情報です」



 これはハイデランド行政官の伝統なのですが、とアロイスは息を継ぎ、



「情報は買ってでも手に入れ分析せよ、という基本精神がありまして、ハイデランドの全ての行政官はそれに基づいて動くように叩き込まれるのです。私も『先んじて情報を握るものがこの世を制する』という理念は間違ってはいないと確信しております」



 メルドルフのような弱小領は、政治的に不安定な立場にあり常に危険に晒されている。

 生き残る可能性を少しでも高める為に、他領よりも優位に立たねばならない。


 その為に必要なのが情報だ。

 ありとあらゆる情報・資料を集め解析することが肝要である、という。



「それで帝国全土に間諜を放っているということね?」



 アロイスはかすかに頷いた。



「南部の蜂起の件ですが、近年、経済状況は思わしくありませんでした。これはハイデランドにいた頃から把握していたことです。遅かれ早かれ動乱は起こるだろうと推測しておりましたところに、今回の災禍が起こったのです。しかしながら、これはメルドルフの地盤を固めるには絶好の好機。ですので、ほんの少しばかり工作をいたしました」


「つまりメルドルフを守る為に利用したのね。他領の民の命を。皇軍は容赦なく民を弾圧するでしょう。どれだけの犠牲がでるか、アロイスにわからないはずはないでしょう? どうしてこの手を選んだの?」



 他に手立てはなかったというのか。

 多くの罪のない民の命が失われてしまうというのに。


 憎らしいことにアロイスはおそらく民衆の死者数まで正確な数を割り出すことが出来ているはずだ。

 しかもそれが少なくない人数であろうとも……。



「コニー様。優先されるべきはメルドルフの民と土地です。砕けた言い方をすれば、メルドルフ以外が滅びようが廃れようが、私にはどうでもいいのです。使えるものは使う、それだけです」



 迷いなどカケラもないアロイスの言いっぷり。

 眩暈がする。


 ふらつく私をイザークが後ろから支えてくれた。

 大きな手のひらから伝わるイザークの体温に、湧いてくる冷たい怒りを抑えて、何とか正気を保つ。


 アロイスはなおも続けた。



「領主であるあなた様のお命とメルドルフ、お守りする為には術は選びません。他者がどのような苦境に陥ろうとも、剣は振り下ろします。ただこれは相手も同じです。自らを守る為に、メルドルフを陥れる事を躊躇わないでしょう。ですので、出来うる限りの対策をとらねばならないのです」


「……ええ、そうね。その通りだわ」



 アロイスは間違ってはいない。メルドルフ行政官としての役目を粛々とこなしているだけだ。

 まだ割り切れないのは私だ。



(この罪は私が背負えばいい)



 いつかは迷うことなく下命することができるようになるだろうか。



「ありがとう、アロイス。易い判断ではなかったでしょう。辛い決断をさせたわね」


「いいえ」



 話しているうちに行政官用の執務室に到着していた。アロイスは私たちを招き入れる。



「……折角コニー様が行政棟にまでいらっしゃったのですから、業務でもしていただきましょうか。裁可をいただきたい案件が二、三あるのです。ささっと済ませていただけますと、助かります」



 まったくこの仕事中毒は。

 頼もしいけれど、風情がない。



「まだ旅装を解いてもいないのに、仕事させるつもり? 領主を何だと思っているのかしら。まぁいいわ。処理しましょう」



 私は苦笑した。





 この後、アロイスは出来うる限りの情報を私に教えてくれた。

 もちろんどこに漏れても困らない差し障りのないものだけだったけれど。


 そうこうしているうちに分かってきたのだが、アロイスはハイデランド侯爵家の情報網も利用していた。しかも決して安くない利用料を払って。お父様もちゃっかりしている。


 もちろんそれ以外にもアロイスは独自のルートも構築しているようだった。



(若いのにやってる事は老獪な政治家ね)



 二十年後がそら恐ろしい。

 私は書類にサインをし、



「蜂起のこと、新しい情報はないの?」


「先程報告があがりました。南領の平定は終わったようですよ。わずか半日で。さすがハラルド殿下でございますね」


「半日で?」



早すぎないか。



「蜂起というものは本来ならば念入りに準備して行うものなのですが、今回は場当たり的でしたからね。ハイデランドに劣るといえど帝国の正騎士団に、民衆が敵うはずはありません」


「ウィルヘルム様は?」


「……流れ矢が頭部を貫きお亡くなりになられたそうです。矢は石弓ボウガン用のもので、ということでございました。……まぁ民衆は石弓ボウガンを使用してはいないのですが」



 即ち……。

 どさくさに紛れてウィルヘルムは暗殺された、のだ。


 ——皇帝ちちおやに。



 複雑な思いがするが、これが最善だったのだろう。


 かつて愛して裏切ったウィルヘルムはあっけなく死に、私を陥れた悪縁はこれで終わった。


 これで私は心置きなく一歩踏み出すことができる。

 過去は完全に過去となったのだから。

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