第49話 過去は忘れてしまえばいい。

 先月、ウィルヘルムは皇太子の地位を正式に失った。


 『皇太子としての職務怠慢及び帝国に不利益を与えた』という名目で皇籍を強制離脱(当然、皇位継承権は抹消した)、そして臣下に降下させられたのだ。


 一部の貴族たちからは厳しいとの声も上がったが、ウィルヘルムの犯した罪は帝国と帝国民に叛くともいえる大罪。

 

 本来ならば死罪も避けられない罪であった。


 それでも生きながらえたのは、ただただ名門出身の皇后の血を継ぐ子を無碍むげにできない皇帝の配慮によるものであるという。


 現在は領地を持たない宮廷貴族の一人として、ヴローム公爵という名ばかりの爵位を与えられ帝国に仕える身となっている。


 

(栄枯盛衰は世の習いとはいうけれど……。こんなウィルヘルムに会いたくなかったわ)



 私をひどく傷つけたウィルヘルムの惨めに落ぶれた姿を見れば、気分は爽快になるかとも想像していたけれど、そうでもなかった。

 とても複雑だ。


 私とイザークの顔を交互に見比べて、最後に顔を合わせた時よりも随分やつれたウィルヘルムは卑屈に笑う。



お前たちメルドルフのお陰でこの様だ。俺は全てを失ったのに、お前は順風満帆だ。いい気味だとでも思っているのだろう。なぁコンスタンツェよ」



 自業自得ではないかと心の中で突っ込む。

 創造主の意思であったとしても、全ては自らで選択し、自ら愛欲に溺れた結果なのだ。


 メインキャラクターとはいえ、帝国という枠の中で生きているのならば、責任は取らねばならないだろうに。


 そんなことも分からないほどに、私の婚約者はこんなに情けない男だったのだろうか。

 私は振り回されていたというのか。


 ふつふつと怒りと悲しみ、そして憎しみが混ざったどろりとした感情がわきあがってきた。



(久しぶりに会ったというのに嫌味しかいえないなんて。なんて小さい男なの?)



 何よりウィルヘルムを愛していた自分自身に腹が立つ。



「お言葉でございますが」



 言い返そうとさらに口を開こうとした時、イザークが私の腰に手を回し引き寄せた。



「え、イザーク?」



 イザークは惚れ惚れするほどの極上の笑みを私に向けると、



「ヴローム公。何をおっしゃられるのでしょうか。メルドルフの代表としても、コンスタンツェの夫としても、ヴローム公には感謝しかございません。あなた様がいらっしゃらねば、私はメルドルフという豊潤な領と出会うことも、この美しい妻を娶ることも出来なかったのですから」



 と穏やかに言った。


 さすがイザークだ。

 私の感情を一気に落ち着かせてくれる。



「イザークの申すとおりですわ。おかげさまで幸せに過ごさせていただいております。ウィルヘルム閣下には感謝申し上げます。……それにあなた様が不幸せであるわけがございません。だってシルヴィア様がいらっしゃるではありませんか。聖女様の愛を獲得するなど常人にできることではございませんわ」



 シルヴィアは得意気にウィルヘルムの腕をとると、如何にも愛おしそうな眼差しで見上げその腕にしがみついた。



「そうよ、ウィルヘルム。あなたは私の唯一の愛する人なんだから、自信をもっていいのよ」



 聖女シルヴィア。

 “絶世の美女”と例えられるほど美しく、可憐。

 そして聖女としての能力は歴代一である。


 なのが玉に瑕なのだが……。



(そういえば逆ハーレムメンバーの姿が見えないわ)



 シルヴィアを愛して止まない逆ハーレムメンバーがいつも取り巻いていたはずなのに(浄化の旅にまで同行させたのだ!)、この晴れ舞台で一人もいないなんて考えられない。


 私の知っているシルヴィアならば見栄えのいい彼らを着飾らせて引き連れて、羨望の眼差しの中で優越感に浸るはずだ。


 聖女のどんな乱心にも応えていたあの一途な男性陣は何処に行ってしまったのだろう。



「ところでシルヴィア様の取り巻きの方々はどちらに?」


「……あのね、コンスタンツェさん」



 シルヴィアが非難がましく、口を尖らせる。



「私はウィルヘルムだけを愛することに決めたの。過去のことはぶり返してもらいたくないわ。人は現在を生きるものでしょう? 前だけを向いて進んでいくのよ」



 一体どの口が吐いているのだろう。

 淫らという枕詞が一番似合いそうなシルヴィアであるのに、まるで改心したかのようだ。


 ――神の愛し子の奔放さを創造主さくしゃが修整した?


 まさか。

『救国の聖女』はハードなラブロマンス。主人公が清く正しくでは話が成り立たない。

 ということは、誰かがシルヴィアの悪癖を押さえつけているということか。



 突然、周囲から歓声があがる。



「帝国の太陽、新たなる皇太子ハラルド・フォン・ザールラント殿下のご入場でございます」


 高らかな宣言とともに、第二皇子であり新皇太子のハラルドが、皇太子のきらびやかな盛装姿で現れた。


 貴族たちの鳴り止まぬ賞賛の声のなか、かつてウィルヘルムだけが身に付けることを許されていた帝位後継者第一位の証の宝剣を腰に下げ、ハラルドは迷うことなくこちらへ近づいてくる。



「ハ……ハラルド!」



 ウィルヘルムが顔を歪ませ低く唸った。

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