第3章 悪役令嬢は過去から解き放たれる。

第42話 メルドルフの未来を賭けた戦。

【本編に戻ります】



 それは素晴らしく晴れた麗かな日だった。

 うたた寝に絶好な日差しのなかで、メルドルフの運命を握る皇室からの使節が到着した。


 皇帝の紋章が刺繍された幟旗をかざした騎兵を先頭に、煌びやかな皇室騎士団の騎馬の隊列が領主館の前庭に止まる。


 特に豪華な一騎が隊列から外れ、私や重臣たち前まで進み出た。

 見事な芦毛の馬からひらりと降りる騎士……。


 その姿に私は息を呑む。



(ウィルヘルム……? いいえ、違うわ)



 ――彼だ。


 とても厄介な相手……。

 私は胸の内を隠し、膝をおって出来るだけ優雅にお辞儀をした。



「お健やかそうで何よりでございます。ハラルド第二皇子殿下」


「お久しぶりです。義姉上あねうえ様。一年ぶりかな?」



 ハラルドは明るく応えた。


 少しはにかんだような表情の見慣れた顔に、胃のあたりが締め付けられるような痛みをあげる。


 皇帝の正使。

 今回の交渉の責任者が、



(よりにもよってウィルヘルムの同母弟おとうとのハラルドだなんて……)



 こうなる可能性もあるとアロイスに言われ覚悟していたのに、直面するとすっかり動揺してしまう。



 ハラルド皇子はウィルヘルムの一歳離れた弟だ。

 年が近い同腹の兄弟だけあり、瞳の色や髪の色、顔立ち……そして雰囲気さえもよく似ている。


 違うところはハラルドは軍属であるため体格がよく、ウィルヘルムよりも線が太いところだけだ。



 その面差しにいやおうにも真面まともだった頃のウィルヘルムを思い出してしまう。

 胸がざわめき、ドロドロとした感情が湧いてきた。



(きっとこうなることを見越してのハラルドの派遣なのね)



 全く。

 皇帝の如才なさには敬服させられる。


 ハラルドはじっと私を見つめ、



「驚いた。義姉上は相変わらずお美しいですね。何一つ変わっておられない。ですが、帝都にいた頃よりも、少しお痩せになられましたか? 慣れない辺境の地でご苦労をなさっておられるようだ」


「さほど変わっていないとは思いますが、痩せたとおっしゃられるのであれば、メルドルフの統治の苦労のせいではございません。……あなた様のお兄様が原因です。ずいぶん迷惑をかけられましたから」


「確かに。兄と聖女のせいで義姉上は大怪我をなさり、メルドルフの大切な土地は穢された。兄は愚かでした」



 私の怪我は一昨日ようやく到着した治癒者によって癒やされた。

 さすがは高額な治療費がかかるだけあった。

 治癒魔法で傷は完治。

 多少の違和感が残る程度まで回復することができた。


 だが土地には治癒者の力は効かない。


 穢土は消え失せたが全て奪われた。

 荒れ地のままだ。


 豊かな森林が、数千年にわたって育まれてきた栄養豊かな土地が、無惨にも渇きひび割れた不毛の地と化している。



「ハラルド殿下、私はもう皇太子殿下の婚約者ではございません。メルドルフの領主です。義姉上はおやめいただけますか?」


「あぁそうだったね。コンスタンツェ殿。気をつけるよ」



 ハラルドはのんびりと深呼吸をし、身体を伸ばす。



「ずっと騎乗したままだったからね。体がこわばってしまってね。そういえば、あなたにとっては朗報かもしれませんが、ウィルヘルムは皇太子ではなくなりますよ」



 やはり皇太子位を剥奪されるのか。アロイスの言うとおりだ。

 だが想像していたよりもずっと早い。

 数カ月先のことだと思っていたが。



「まだ内定段階ですがね。皇族を離脱し宮廷貴族に身分を変更することが命ぜられました。正式な公布は来月になります」



 一貴族、しかも領地も持たず権力もない宮廷貴族に格下げか。

 皇太子から、宮殿の片隅に住まわされ、ただ皇族の顔色をうかがうだけの存在となるわけだ。


 大きすぎる失態に皇帝としては重罪にしたかったはずだ。


 しかし世の穢れを浄化出来る唯一の存在である聖女と深く繋がった皇太子を重罪にすることで、内外の反発を招くことを恐れ、一生飼い殺しにすることに決めたのだろう。


 何の権限もなく、弟たちにへりくだる生活。プライドの高いウィルヘルムには大きな屈辱である。

 まぁ平民に落とされなかったことだけは幸いだった。


 となると……。



「では次の皇太子は……」


「僕です」



 順当、ではある。

 皇后の産んだ息子が継ぐのが自然だ。



「これはおめでとうございます。ハラルド新皇太子殿下に栄光が訪れますよう」


「ありがとう。しかし本当に兄は残念な人だ。コンスタンツェ殿はこんなに美しいのに、何故手放してしまったのでしょうね。僕ならぜっ……」


「なんと異な事をおっしゃる。ハラルド殿下、ウィルヘルム殿下が聖女に魅了されてしまわれたからです」



 とアロイスが言葉を遮った。



「私、メルドルフ筆頭行政官のアロイス・べルルと申します」



 アロイスが凍える眼差しで第二皇子を射抜く。


 これからがメルドルフとしては正念場だ。

 どれだけの金を引き出せるかで、今後の復興と発展が成功するかしないかが決まってしまう。

 というのにハラルドのこの緊張感のなさはどうだ。


 しかも領主わたしを口説こうとしているなんて!

 何と厚かましい。


 ……とでも思ってるのか、アロイスはひどく仏頂面だ。



 皇帝陛下の御前であるかのようにアロイスは丁寧に礼をし、


「時間は有限でございます。そろそろ館の中にお入りください。賠償に関する協議に入らさせていただきます」



 と宣戦布告した。

 そうメルドルフの未来をかけた文官たちの戦争が始まるのである。

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