第35話 すごく……大きかったです……/0
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「いたか?」
「いや。確かにこっちに逃げてきたはずなんだが」
「……まさか泳いで逃げたわけじゃないだろうな」
「そんな事をすれば波が立つ。さっきから見ているが、海に逃げた様子はない」
「見ろ、倉庫の鍵が開いてるぞ!」
「倉庫の中に逃げ込んだか。だが袋の鼠だ。……いや待て。王女は空間魔術の使い手だ。壁を抜けられるかも知れん。周囲に見張りを立てて中を探せ!」
そんな会話を交わす兵士たちの様子を、リィンは『図化』の魔術で見通していた。倉庫の中をぐるりと包囲し、猫の子一匹逃げられない布陣を敷いて彼らは倉庫内を虱潰しに探していく。
その様子を見て──リィンは、ほっと安堵の息を吐いた。
「ニコさん、大丈夫です。こちらには気づかれていません」
「そりゃそうだろうね。僕だって思わないよ。まさか……」
ニコは苦笑を浮かべて、傘状に広がった自分の愛剣を見つめた。
「海底に潜んでるなんて」
その傘の中に空気を溜め、海の中に隠れる。それがリィンの考えた作戦だった。
「しかも都合よく重しまで出てくるし」
傘状に広がった剣の先端は何本か紐状に伸ばした形状にしてあって、その先には石が結び付けられている。これを重しとして、浮き上がってしまうのを防いでいる形だ。
「野営する時に便利なので、しまっておいたんです」
野宿をする時、炉を作るのに手頃な石がどこにでも転がっているとは限らない。だからリィンは、石をいくつか魔術で収納していた。空間魔術で収納できるものの大きさには限度があるが、重さには特に制約はない。石のように重くて小さいものの収納は得意とするところであった。
「このまま、海底を歩いて敵のいないところまで進みましょう。私が『図化』で周囲は確認しますから、申し訳ないですがこのまま背負って貰えますか?」
「はいはい」
魔術の使用にはある程度集中が必要なので、歩きながら使うことはできない。
「しっかし、あの土壇場でよくこんなこと思いついたね。倉庫に逃げた偽装まで……」
「かくれんぼは得意なんです」
倉庫の錠前を切り落としていなければ、海の方に逃げたことが明白になってしまう。敵がこの方法に思い至ることもあるかもしれない。しかし倉庫に逃げたように見せかける工作をしておけば、相手はそちらを調べる時間を稼ぐことができる。
中身を荒らされてしまうだろう倉庫の持ち主には申し訳ないが……
「この辺りなら大丈夫そうです。そろそろ上がりましょう」
「了解。じゃあ浮上するね」
ドゥリンダナの先端から重りが外れ、そのまま刀身が球状になってリィンたちを包み込む。そしてまるで風船のように水面まで浮かび上がると、上部が花のようにパックリと開き、リィンたちが外に出ると元の細剣の姿へと戻った。なんて便利な魔刃なんだろう、とリィンは思う。
「びっしょびしょになっちゃったね。着替えないと。着替えはある?」
とは言え完全に水気を遮断するというわけにはいかなかった。海底を歩いている間に下半身は海水にどっぷりと浸かってしまったし、海に飛び込む時も急いでいたものだからだいぶ水を被ってしまった。
「すみません、駄目みたいです」
背嚢の中身を覗き込むと、着替えまで完全に濡れてしまっていた。石とは逆に、布のような広くて軽いものは収納魔術でしまい込むのは難しいのだ。
「と言ってもこのまま行動するわけにもいかないしね。とりあえず一旦宿に向かおうか」
ぎゅう、とニコが服を絞るとぼたぼたと海水が滴った。確かにこのままでは風邪を引いてしまいそうだし、何よりびしょ濡れのままソルラクに会いたくもない。
「はい」
リィンはもう一度『図化』を使い、周囲に敵の姿がないことを確認して頷いた。
「いやあすみません。遊んでたら海に落ちちゃってね。着替えたいんでちょっと部屋を貸してもらえないかな? あとついでに、子供の古着が余ってれば売って欲しいんだけど」
手頃な宿を見つけると、ニコは愛想よくそんな事を言いながらじゃらじゃらと銀貨をカウンターに落としてみせる。それを見ながら旅刃士ってお金持ちなんだろうか、とリィンは思った。
リィンが働いた時に貰った一月分の給金が銀貨8枚……つまり8ソルだった。王宮育ちのリィンにはお金の価値というのはいまいちピンとこなかったが、今ニコが支払っているのはそれを明らかに上回っている。
「こんなものしかないが……」
「構わないよ。……いや、これはかえって好都合かも。じゃあ着替えに部屋も借りるね」
店主から着替えを受け取って更に追加の銀貨を気前よく支払い、ニコは鍵をとって二階の客室へ向かう。好都合とはどういうことだろう、と内心首を傾げながらリィンはその後を追った。
「じゃあリィンちゃん、先に着替えておいで」
「あ、はい」
鍵と着替え、ついでにタオルを渡されて、リィンはホッとして頷く。まさか同じ部屋で一緒に着替える羽目になるんじゃないかと少し心配していたからだ。
「あ……これ、男の子のだ」
部屋に入って着替えを確認すると、それは明らかに男物の服だった。かえって好都合というのはこういうことか、とリィンは納得する。性別を誤魔化せば敵には見つかりにくい。
リィンの体格なら性別を誤魔化すことは難しくはないはずだ。元々着ていた服のフードはちょっと不釣り合いではあるが、これで髪さえ隠せばちょっと見には男の子に見えるだろう。自分でそう考えて、リィンは少し傷つく。
「着替え終わりました」
「おっ、似合ってるね!」
着替えを終えて部屋を出るとニコが笑いながらそう褒めてくれたが、全く嬉しくなかった。
「じゃあ、僕も着替えてくるから、ちょっとまっててね」
入れ違いになってニコが部屋の中に入る。部屋の外に放り出されたリィンは少し不安になった。『図化』の魔術で周囲を探ろうか……とリィンは一瞬考える。しかしすぐに思い直した。
部屋の中でニコが着替えているところだからだ。
もちろん、『図化』でわかるのは高度に抽象化された記号のようなものであって、別に生々しい裸身が見えるというわけではない。そもそも壁の向こうさえ見通すことができるのだから、服を着ていたって同じことだ。
今のリィンのようにフードをかぶっていたって中身を知ることができるし、何かを隠し持っていればそれを知ることもできる。
それでも何か覗き見をするかのような罪悪感を覚えて、リィンは魔術の使用をやめた。
「んん? あれ? これどうするんだっけ……」
ニコは部屋の中で何やら一人で賑やかだ。妙に着替えに時間がかかっている。
と、階下がにわかに騒がしくなった。誰かが言い争うような声が聞こえてきて、リィンは思わず階段の隙間から階下を覗き見た。
「紫の髪の娘と、金髪の男がここに来たはずだ!」
すると、リィンを追っていた兵士たちが宿の店主にそう詰め寄っているところだった。店主が震える手で二階を示し、兵士たちは階段へと殺到する。
リィンは慌てて首を引っ込め、部屋の扉に取りすがる。ノブを回してみれば、どうやら鍵はかかっていないようだった。まだニコは着替えている途中だろう。はしたないが気にしている場合ではない。
せめてズボンは履いていてくれる事を願いながら、リィンは扉を開けて部屋の中に逃げ込んだ。
「えっ」
「あっ」
リィンの望み通り、ニコはちょうど上半身の服を脱いだところだった。目にしたものに、リィンは驚き大きく目を見開く。
その赤い二つの瞳に。
豊かな二つの膨らみが、映っていた。
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