第30話 一冊目の日記が埋まりました/28
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ばきん、という音とともに、炎刃ラヴァティンは半ばからカレドヴールフの切っ先に砕かれ、へし折れる。どんな魔刃も、それは使い手に振るわれてこそ力を発揮できるものだ。
先程のソルラクのようにつま先だけでも触れていれば話は別だが、使い手が気絶し、その手から完全に離れた状態ではただの剣とそう大差はない。簡単に破壊することが出来た。
「勿体ないなあ、結構いい魔刃だったのに」
折れる魔刃を見て、ニコがぼやく。
「使いたかったのか?」
「そういうわけじゃないけどね。僕には重そうだし、ドゥリンダナもあるし」
魔刃を二本使う魔刃士というのは、滅多にいない。そもそも貴重な魔刃を二振りも手に入れられるものが少ないというのもあるが、魔刃同士は二つ同時に使うと思わぬ作用をもたらすことがあるせいだ。
「それにしても……」
回転しながら炎を纏うカレドヴールフを見つめ、ニコは呟く。
「魔刃の力を奪う魔刃なんてものがあるなんてねえ。これ、もうさっきの砂は使えなくなるの?」
「ああ」
カレドヴールフが使えるのは、最後に破壊した魔刃の力だけだ。そういう意味では砂刃ベガルタはハズレもいいところの魔刃だった。
ただ砂を出すだけの能力。その砂の硬さや性質は多少変化させられるが、飛ばしたり操ったりすることは不可能だ。今まで様々な魔刃を使ってきたソルラクだったが、こんなに使いでのない魔刃は初めてだった。
それに比べると炎刃ラヴァティンはかなりマシだ。遠距離に攻撃もできるし、乱戦には向かないが汎用性も高い。
とはいえそれでも、ソルラクが『黒曜』と呼ばれる由縁となった魔刃に比べると数段見劣りするのだが。
「それにしても結局、こいつら何だったの?」
気絶したままロープで縛られているクナールたちを一瞥し、ニコ。彼らはこのあと刃局に突き出す予定だ。虚偽に基づくものや非合法な依頼を行うことは、刃局に対して最大の侮辱であり契約違反である。
今後、徹底的に事実関係が調査され、その結果は刃局全体で共有されるだろう。リィンに対する似たような依頼が刃局に持ち込まれても、まともに扱われることはまずないと思っていい。
「彼らは恐らく……私を捕らえに来た追手だと思います」
「なんでまた追われたりしてるの?」
リィンの言葉に、ニコはもっともな疑問を呈した。
「わたしを捕まえてどうしようというのかは、わかりません。けど何故わたしを捕まえようとしているのかは、わかります」
リィンはソルラクをじっと見つめた後、決意するように息を吸ってから、言った。
「わたしが……ルーナマルケの王女だからです」
「ええ!? 王女様!?」
ニコがのけぞり、目を見開いて驚く。
「ルーナマルケは小さな国ですが、王族は現代でも魔術を受け継いでいる血族なんです」
ソルラクもその話は聞いたことがあった。はるか昔に魔刃を作った魔術師たちは、互いに争いその殆どが滅んでしまい、消え去った。しかし平和を愛するルーナマルケの王家だけは、今でも脈々と魔の技を伝えているのだと。
「特に空間に関する魔術が得意で……わたしも、こうして小さなものを別の空間に収納するくらいなら出来ます」
そう言って、リィンは手のひらの上で指輪の入った袋を消したり出したりしてみせた。奴隷商人たちに捕まった時に隠し通せたのはその魔術のおかげか、とソルラクは納得する。考えてみれば他にも彼女が魔術を使っていたと思しき場面はあった。
「ええっ……じゃあ、本当に王女様なんだ。え、えっと、今までの非礼、まことに申し訳なく……」
「いえ、お気遣いなさらないで下さい。国を離れて何の後ろ盾もない今、わたしはただの子供ですから」
やにわに慌て始めるニコに、リィンは苦笑して答える。
「あ、そう? じゃあそうさせてもらうね、リィンちゃん」
するとニコはあっさりとそう態度をもとに戻した。よくわからないやつだ、とソルラクは思う。
「彼らは突然城を襲ってきました。だから何者なのか、何が目的なのかはわたしにはわかりません。わかるのはただ、強力な魔刃をいくつも持っていて、お城の騎士でも敵わないということです」
小国とは言え騎士ともなれば、魔刃を持っているものも少なからずいただろう。それでも抗しきれなかったとなれば、それはかなりの戦力だ。
「城が落とされて捕まりそうになった所で、お父様がわたしを逃してくれました。多分、行き先を指定しない代わりに遠くへと飛ばす魔術です」
「そんな魔術もあるんだ」
妙なところに感心したように声を上げるニコに、リィンは頷く。行き先を指定しないと言うなら、この港町でリィンが見つかったのは偶然……というか、相手が張った網にかかる形だったのだろう。
つまり敵はそれだけ、本気でリィンを探しているということだ。
「そして飛ばされた先でわたしは奴隷商人に捕まり、魔術を使って逃げ出したところを……ソルラクさんに、助けて頂いたんです」
その一方で、そちらは完全に偶然でしかない。リィンの見目なら捕まってしまうのはわかるが、逃げたその先でソルラクと出会えたことは僥倖と言っていいだろう。
「今まで、黙っていてすみませんでした。正直に言った所で信じて頂けないだろうと思って……」
リィンはソルラクを見上げ、申し訳無さそうに目を伏せた。確かにあんな森の外れでボロボロの服を着た少女が王女だなどと言い出したら、流石のソルラクも怪しんだかも知れないが……
「……名前は」
「え?」
ソルラクが尋ねると、リィンは目を瞬かせた。仮にも王族がリィンなどという簡素な名前であるはずがない。
「お前の本当の名前は、何だ」
「リーンゼナヴィア・シャーロット・クリスティーン・ルーナマルケと申します」
そう名乗りながら王族らしい優雅な仕草で腰を折り、リィンは頭を下げてみせた。その完璧な動きと名前に、ソルラクは彼女が本当に王族なのだと確信する。
「わたしは……どうしても、ルーナマルケに帰らなければならないんです。きっと今後、故国に近づくにつれて追手はますます激しくなるでしょう。きっと、ご迷惑をかけてしまいます。もう既に、危険な目にも合わせてしまっています……」
リィンはソルラクを見上げ、まっすぐに見つめた。こうして真正面から視線を交わすのは初めてかも知れない、とソルラクは思う。いつも彼女はどこか遠慮がちな、後ろめたさを抱えた表情をしていた。
そんな彼女が、今、一心にソルラクを見据えている。
「それでも……わたしには、頼れる方がソルラクさんしかいないんです。どうか……わたしを、助けて下さい」
勿論、その答えは言うまでもなかった。だからソルラクは何も言わず、リィンに背を向ける。
「ソルラクさん……?」
戸惑う彼女に一度だけ振り向き、ソルラクは己の意思を短く伝える。
「いくぞ」
「……はいっ!」
リィンは、違わず受け止めてくれた。
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「ちょっと待ってよー!」
ソルラクとリィンが船を待っていると、覚えのある声が遠くから聞こえてきた。
「ニコさん。どうしたんですか?」
クナールを刃局に引き渡してくる。そう言って、彼は別れたはずであった。もしかして見送りに来てくれたのだろうか、とリィンは首を傾げる。
「いや、僕も君たちについていくよ!」
そんな事を思っていると、想像以上の事を彼は申し出た。
「えっ……でも、わたしには報酬もお支払いできませんし……それに、きっと危険な旅になりますよ?」
「それはわかってるけどね。流石に放ってはおけないでしょ」
そう答えるニコの顔は善良そのもので、裏があるとはとても思えない。とは言え、短い間に何度も騙され続けて、流石にリィンも疑うことを覚えていた。
「まだソルラクさんのことが信用できませんか?」
「そうじゃないけど! 何ていうかさ……」
ニコは答えに困ったように眉根を寄せると、しばらく考えてから、言った。
「リィンちゃんがいなかったらルーナマルケの人達だって困っちゃうでしょ?」
「それは……そう、ですね」
正直に言えば、リィンは父親のことばかり気にしていて、民についてはあまり考えていなかった。けれど確かに、王族が囚われてしまって一番に困るのは彼らだ。城を襲った相手がまともな政治を行うとはとても思えない。
「だからさ。放っておけないかなって」
「……ありがとうございます」
考えが足りなかったと自分を恥じつつ、それに気づかせてくれた事を込みでリィンは礼を述べる。
「ソルラクさん、いいでしょうか?」
けれどついてきてもらうかどうかは、リィンの一存で決めていいことではないだろう。そう尋ねると、ソルラクは少し考え込むような顔をしていた。
正確に言えば、表情にはいつも通り一切変化がない。しかしなんとなく、逡巡するような、思い悩むような気配をリィンは感じた。あまり気は進まないが致し方ない。多分そんな感じだ。
念の為リィンがこくりと頷いてみせると、ソルラクの顎は微かに上下に揺れた。
「いいそうです」
「いやだから何も言ってないよね!?」
その仕草に気づかなかったのか、ニコはそう叫んだ。確かにソルラクはほとんど何も喋ることはない。けれどよくよく見てみれば、その視線や仕草は意外と雄弁に語ってくれているのに、とリィンは思う。
「まあいいや。そうと決まったら、僕も乗船チケット買ってくるね!」
結局深く考えないことにしたのか、ニコはそう言って身を翻すと、チケットの売り場へと駆けていった。
「賑やかな方ですね」
背後で、ピアが同意するようにぷおお、と鳴いた。
正直に言ってしまえば、二人きりが良かったという思いがないではない。しかしこれからのことを考えれば、彼のような腕のいい旅刃士が仲間に加わってくれるというのがありがたいのも確かなことだった。
リィン自身ではなく、人々のことを考えるニコの言葉に嘘はないと思いたい。
……だとするなら、ソルラクはどうしてなんだろう、とリィンは思う。
彼は優しい人だ。たぶん最初は、ただの同情だったのだろう。迷子を家まで連れ帰るだけなら……それでもかなり度を越している気はするけど、それでも優しいというだけで済む話だ。けれど──
『たとえ太陽が月に追いつこうとも、お前を守る』
それは決して、誰にでも言うような言葉ではないはずだ。ましてや、彼は本当に命をかけてリィンを助けてくれた。
リィンはそっと、ソルラクの左手に触れる。
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そっと手に触れてくる、小さな指先。
鉄の篭手越しに感じるその感触に、ソルラクは気取られないよう深く息を吐いた。
その見目や振る舞いから、貴人だろうとは思っていた。だがまさか──よりによって王族だとは。
リーンゼナヴィア・シャーロット・クリスティーン・ルーナマルケ。フルネームを聞けばすぐに分かる。彼女は紛れもなく王女だ。
……クリスティーン。その名を聞く機会など、もう二度と訪れないと思っていたのに。
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どうして彼は、そんなに親切にしてくれるんだろう。
どうして彼は、自分を大事に守ってくれるんだろう。
……もしかして、と。
都合のいい考えは、どれだけ自分を叱責しても後から後から湧いてくる。
けれど、もし、考えている通りの理由であるのなら──
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自分がリィンに抱く感情の名前を、ソルラクは知らない。今までこんな風に誰かを大切に思うことなど、一度もなかった。
けれどそれが、とても暖かで、大事なものだということはわかる。
だが、だからこそ、彼女が王女であるというのなら──
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彼が自分をどう思っているのか、どうしても、知りたい。
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自分が彼女をどう思っているのかは、絶対に、言えない。
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二つの相反する想いを乗せて。
船は、ゆっくりと動き出した。
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