第13話 これは、大発見かも知れません/7
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まだ年若いはぐれの笛竜と出会えたのは、僥倖というしかなかった。
笛竜自体はこうした草原の中ではさほど珍しいものではないが、群れからはぐれた個体で、しかも人に慣れやすい若いメスとなるとそうそう出会えるものではない。
馬や駆竜に比べると早く走るのは苦手だが、その分ずっと人に慣れやすいし操作もしやすい。数日慣らせば、リィンでも一人で乗れるようになるだろう。手綱をとった腕の間に彼女をすっぽりと納めるようにして座らせる。こうすればリィンにも手綱をどのように動かしているか見えるし、彼女が落竜しそうになっても助けられる。
「すごーい……」
人に慣れやすく、翼を持たない亜竜と言えど竜は竜だ。その体は馬よりよほど大きく、若い個体と言えど背中から地面までは2メートル程はあるが、リィンは殆ど怖がる素振りを見せなかった。
それどころか嬉々として笛竜の背中を撫でたり、首筋に触ったりしている。
「角には触れるな」
「あっ、はい」
その手を角に伸ばそうとしていたので忠告すると、彼女は素直にそれに従った。
笛竜の後頭部から後ろ向きに生えた長い角は、背に騎乗するとちょうど目の前に来る。しかし笛竜にとってそこは極めて敏感な器官だ。だからこそ手綱をかけることが出来るわけだが、不用意に触れると暴れだす可能性がある。
「ソルラクさん、この子に名前をつけてもいいですか?」
不意に、くるりと後ろを振り向きソルラクの顔を見て、リィンはそんな事を尋ねた。好きにしたらいい、と思いつつ、ソルラクは視線をそらす。
「ありがとうございます」
するとリィンは突然礼を言った。一体何に対する礼なのか、とソルラクは内心首を傾げる。
「この子、男の子かな、女の子かな……」
リィンは笛竜の背を撫でながら、リィンは呟く。笛竜の雌雄はその角を見れば判別できる。角が太く、赤い色をしているのがオス。細く緑色をしているのがメスだ。雌雄ともに人に慣れやすいが、メスの方がより懐く。
不意に、リィンは再び振り返って尋ねた。
「男の子ですか?」
違う。違うが、そういう場合はどう言えばいいのか。ソルラクはリィンを見つめ、なんと答えるか悩んだ。
「じゃあ、女の子ですか?」
その通りだ。あってるなら黙ってればいいだろうか。ソルラクは笛竜に視線を向ける。
「そっか。女の子なんですね」
納得したらしく、頷くリィンにソルラクは驚愕した。自分の意思が通じている。
こんな事は初めての経験だった。
目を見開くソルラクをよそに、リィンは小首をかしげてうんうんと唸る。
そしてしばらくしてまた振り返り、言った。
「ピアというのはどうでしょうか?」
どうでしょうかと言われても、ソルラクには名前の良し悪しなどわからない。リィンの好きに名付けたらいいとしか思わなかった。
「ありがとうございます! よろしくね、ピア」
すると、まるでソルラクの心を読んだかのようにリィンはそう答え、前に向き直ってピアと名付けられた笛竜の首筋をぽんぽんと撫でた。
まさか本当に、考えていることを読めるのか?
ソルラクは心の中でそう何度か尋ねてみたが、リィンからの返事はなかった。
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何となくわかってきてしまったかも知れない、とリィンは思った。
ソルラクのことである。
イエスかノーかで答えられる質問をした時、イエスの場合に彼は興味なさそうに別の方向を見ていて、聞いているかどうかもわからないような素振りを見せる。
こちらをじっと見つめている場合は、ノーだ。試しに竜の上で幾つか質問を投げかけたところ、どうやらこの予測は大体あっているようだった。
「プオー」
スンスンと鼻を鳴らしながら鳴き声を上げるピアに草の実をあげると、リィンの手からぺろりと舐め取り、もしゃもしゃと咀嚼する。
「プアー」
そして満足気に角を鳴らした。
「お前はご主人様よりおしゃべりね」
その可愛らしい動作に、リィンはクスクスと笑みを漏らす。
今ソルラクは、多分薪か何かを探しにいっているのだろう。突然竜を降りて何かいいたげに視線をよこしたので、「ここにいればいいですか?」と尋ねたところ、何も言わずにその場を去ったからだ。
喋れないわけではないのだから、言いたいことがあるのならそう言ってくれればいいのに。そう思う気持ちがないと言ったら嘘になるが、同時にそれは求め過ぎだとも思う。
やはり彼はとても優しい人だ。こうしてリィンの為に、竜まで用意してくれた。それに、とても強い。魔剣を持っているのには驚いたがそれだけじゃない。
リィンは世間知らずだが、野生の笛竜を手懐けるなんて、大人の男の人なら誰でもできるというわけじゃないことくらいはわかる。リィンを抱き上げたまま、その笛竜よりも速い速度で走るのも。
少なくともお父様には無理だ。
最近は重くなったと言って抱き上げてもくれなくなった。まあ、流石にこの歳で抱っこされるのはリィンの方も気恥ずかしいからそれはいいのだが。
『リィンに触れるな』
奴隷商人たちと戦った時、そう言って抱き上げてもらったことを思い出すと、なぜだか胸がザワザワとした。
怖かった、というのとも違う。不安に近いような気もするが、そんな不快な感じではない。そわそわして落ち着かないような、初めて感じる感情だった。
それが何なのか。気になると同時に、知りたくないという思いもあった。なにかの名前をつけてしまうにはその想いはあまりにも小さくあやふやなもので、こうだと決まった瞬間、そこに収まらなかった何かが削ぎ落ちこぼれてしまうものがあるような──そんな、予感がした。
そんな事を考えていると、ソルラクが帰ってきた。やはり薪を調達しに行っていたらしく、両手に枯れ枝を沢山抱えている。
「おかえりなさい、ソルラクさん」
声をかけると一瞬だけ彼はリィンを見た。彼の視線はいつでも真っ直ぐだ。射抜くような視線に貫かれて、リィンはどきりとした。
けれどそれはすぐに外れて、ソルラクは手慣れた様子で焚き木を組んで火をおこす。彼が火打石を火打ち金を打ち付けると、あっというまに火口に火がつく。そうして生まれた小さな炎を薄い木片に移して、すぐに炎は大きく燃え上がった。
リィンがその火の美しさに見とれていると、ソルラクは彼女に小さな木の実をぽんと手渡す。
「食べてもいいのですか?」
リィンの質問に、ソルラクは反応しなかった。つまりはイエスだ。
「ありがとうございます」
ソルラクが背嚢から保存食を取り出すのを見て、リィンもそれにならう。硬く焼き締めたパンと干し肉、チーズ。そして水というラインナップだ。
硬く味気ない携帯食の中に、ソルラクが持ってきてくれた木の実はとても助かった。
そして出てきた白い実に歯を立てると、シャクリとした歯ごたえとともにたっぷりとした果汁が口の中に溢れ、濃厚な甘みと僅かな酸味が舌に広がった。
「美味しい……」
林果を切り分けもせず丸ごと食べるというのは行儀の悪い食べ方として許されなかったが、一度でいいからやってみたいとも密かに思っていた。まさかこんな場所で夢を叶える機会に巡り合うとは、思いもしなかった。
「はぁ……美味しかったです。ありがとうございます」
食事を終えて、リィンは満足げに息をつく。正直に言えばもう少し食べたいところだったが、旅の途中で文句は言えない。下生えをむしゃむしゃと食むピアの姿に、わたしも草を食べられたらよかったのに、などと益体もない事を思った。
気づけば、火をおこし始めた頃には赤く染まっていた空が、真っ黒に暮れていた。暦の上ではもう春のはずだが、日が落ちると途端に冷え込む。リィンはぶるりと体を震わせ、ピアの背中に敷いていた毛布を羽織って、気がついた。
「ソルラクさん、毛布……」
彼の毛布は引き裂き、手綱にしてしまったのだった。
「これ、使って下さい」
リィンが自分の毛布を差し出すと、ソルラクは彼女をじっと見つめた。それがノーのサインであることはわかっている。だがそれだけではなく、表情に変化はまったくなかったが、不思議とその瞳には否定の意思が乗っているように思えた。
「でも、風邪を引いてしまいます」
引かないリィンに対し、ソルラクも微動だにしない。
「……では、これでどうですか?」
考えた末に、リィンはソルラクの肩に毛布をかけると、ピアに乗っていたときのようにソルラクの懐の中にすぽんと収まった。そして毛布の裾を引っ張ると、一緒に包まる。
「これなら、二人とも温かいでしょう?」
真上を見上げるようにしてソルラクの顔を見ると、彼はじっとリィンを見つめ返した。やっぱり、駄目だろうか。寒さを凌ぐためとは言え、あまりに図々しく、馴れ馴れしい気もする。
「……駄目、でしたか……?」
頭の向きを元に戻しつつ、その場でくるりと振り向き、ソルラクの顔を覗き込むように見上げリィンは問う。その途端、ソルラクは凄まじい速度で顔を背け、視線を外した。
つまり、オーケーということだ。
「よかった」
リィンは嬉しそうに笑い、そのままソルラクの胸元に頭をあずける。背中に持たれる感じだとまるで椅子扱いしているかのようで不躾かと思ったがゆえの行動だったが、そうしてみると案外悪くない体勢に思えた。
「……あったかい……」
服越しにソルラクの体温が伝わってきて、安心する。けれどソルラクにとっては不安定で眠りにくいだろう。
体勢を変えないと……
そう思いながらウトウトして、リィンが気づいたときにはもう日が昇っているところだった。
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