番外編

【FA動画御礼】上、だいだいの神

 上、だいだいの神


 春瀬トヲル様からいただいたFA動画のお礼に書きました。すごいので観てください。

 https://www.youtube.com/watch?si=n5UThxhtsJeREjYQ&v=kaq3DIIQq8g&feature=youtu.be

 第二部の烏有と切間の話です。俤の神のちょっと後くらい。



 ***



 海沿いの無人駅から見える線路は、潮風のせいか赤錆の粉を吹いていて、ついさっき飛び込み自殺があって、血糊が残っているように見えた。

 切間きるまに言ったらまた脛を蹴られるから言わない。


 俺は切間の横顔を見上げた。いつも殺人現場を目撃したような仏頂面だが、今日は更にひどい。

「浮かねえ顔だな、切間さん。浮いてる顔見たことねえけど」

「浮いてる顔なんて表現はねえよ」


 切間は溜息をつき、深い皺の刻まれた眉間を擦った。

「海が苦手なんだ。悪い、仕事に私情を持ち込んだな」

「別にいいけど、意外だな」

「何が?」

「海の男、みてえな面してんだろ」

「……そうかよ」

 また呆れられるかと思ったが、切間は沈鬱な顔で首を振っただけだった。


 日に焼けた顔は線路の錆よりも黒く、海沿いの街に溶け込んでいる。奴が海を嫌う理由はそれとなく知っていた。切間は漁村で生まれ、故郷を嫌っている。

 嫌いになるほど自分の中に根ざした故郷があるのが羨ましい、とは言えなかった。

 俺は努めてろくでもない会話で切間を苛つかせ、憂いを押し出してやった。



 駅から出ると、石の防波堤が続く閑散とした道路や、壁に苔むしたナイフを押し当てたような傷がある古民家が見えた。

 どこにでもある海辺の田舎町の光景だが、フジツボが生えてじっとり濡れた防波堤に妙なものがかかっていた。

 運動会の旗のような、砂で汚れた垂れ幕だった。


「天寿まっとうの村……」

 確かにそう書いてある。

「切間さん、何だよあれ」

「報告書に書いてあっただろうが。お前、さては読んでねえな」

「読んだけどわかんなかったんだよ」

「……読んだのは成長だ」

 切間は自分に言い聞かせるように頷いて言った。


「この村は文字通り、住民全員が天寿をまっとうすることを売りにしている。端的に言えば、事故死も病死もない。寿命で死ぬまで生き続けるってことだ」

「そんなこと有り得るのかよ」

「記録を見たが、少なくともここ三十年は村中無事故で、村民が病死した記録もないな」

「気色悪いな……」

「ああ、事故はともかく病気は防げるもんじゃない」

「もしかして、誰かしら病気になったら、住民票を隣の村に移してるんじゃねえか」

「詐欺師らしい穴のつき方だな。隣村が受け入れると思うか?」


 俺は肩を竦める。

「じゃあ、また領怪神犯案件かよ」

「そうじゃないことを祈るばかりだ。調査に取り掛かるぞ」

 俺は足を速めた切間の後を追う。潮がこびりついて硬くなった垂れ幕は磯の匂いの風が吹く旅ぎこちなく揺れた。



 首筋をジリジリと焼く日が、空の頂点まで昇った。

 錆びた看板のバス停やブリキの待合室、長く伸びた草に脚を突かれる赤いポスト、電線が区切る空と海の境界線。

 日本の夏の原風景らしい風景だ。


 こういう一見平和な村にもろくでもないものが隠れていることを俺は知ってしまった。阿呆な仲間と来ていたら思いもしなかっただろう。

 晴れ渡る空が写真のネガを被せたように薄暗く見えた。俺が知る前から世界はこうだった。変わったのは俺の見方だけだ。

 切間はネクタイすら緩めずに、ワイシャツの襟に滴る汗を時折拭って歩いた。



 石段を上がったところに、住民らしい老人たちが固まっていた。

 薄紫の着物の老婆や、タンクトップで弛んだ肉を見せてある老父。どいつもこいつも老人だ。

 老衰以外で死なない村だからこうなるんだろう。

 奴らが固まっているのは石造りの古井戸の前だった。

「井戸端会議って奴だな」

 俺が呟くと、切間は馬鹿真面目に頷いて老人たちの元に向かった。



「失礼、何をなさっているんですか」

 切間の声に老人たちが振り返る。老婆のひとりが割烹着の裾に包んだ夏蜜柑を落とした。

 切間は疑いを強めるように眉を顰める。あいつは自分が原因だとわかっていない。デカい図体が老人たちに黒い影を落としている。

 麻薬の捜査にでも来たような面で睨まれたら、やましいことがなくても怯えるだろう。


 俺は切間と老人たちの間に割り込んだ。

「すいません、バス待ってたらみんな集まってるから何してるんだろうなあって気になって」

 俺は努めて間抜けに聞こえるよう語尾を伸ばして尋ねる。

 老人たちはようやく表情を和らげた。


「何かしていたって訳じゃないけど、そうね。御参りかしら」

「神社ではなく井戸で、ですか?」

 切間は相変わらず詰問するような声で言う。老婆は柔和に笑った。

「そうそう。うちの神様はどこかにお祀りするって言うより、どこにでもいて見守ってくれているようなものですから」

「道祖神なんかが近いかなあ」

 隣の老人が合いの手を挟む。


 老婆が苔で汚れた井戸を指した。

「今日も無事過ごせますようにって、夏蜜柑を投げ入れるんですよ」

「夏蜜柑を?」

「本当は新年に橙を入れる風習だったんですけど、一年に一回しかお参りしないのも何だしね。毎日あったことを報告がてら投げ入れるんです。夏蜜柑でもポンカンでも似たものは何でも」


 俺は切間に囁いた。

「そんな風習あんのかよ」

「地域によってはあるらしいな。年男が新年の最初に若水といって、井戸から水を汲むとき供え物として橙の実を井戸に入れたとか」

「へえ、何でまた」

「橙は代々栄えると言って商家で持て囃された縁起物だからだろう。厳密には丸い物なら何でもいいらしいが」

「玉を落としてお年玉ってか」

「落語じゃねえんだぞ」


 老人がくすくすと笑う。早速警戒を解いたらしい。タンクトップ姿の老人が俺に夏蜜柑を握らせた。

「やってみるかい」

「勿体ねえな。食えるのに」

「うちにたくさんあるから終わったら食って行きなよ。蜜が詰まってて美味いよ」


 夏蜜柑の黄色い皮を握ると、爪の先から柑橘類の匂いが弾けた。透明な汁が光の粒に絡む。


 俺は促されるまま井戸を見下ろした。仄暗い底からは微かに潮水の匂いがする。耳を澄ませると、貝殻を押し当てたように波打う水の音が聞こえた。


 俺は夏蜜柑を掴んだ手を開く。ひゅっと風を切って黄色い球体が落下した。


 夏蜜柑が水面を叩く寸前、井戸の丸穴の底からすっと白い手が伸びた。

 俺は咄嗟に飛び退く。蜜柑が水に落ちる音は聞こえない。

 恐る恐る覗き込むと、暗がりの中で何かが蠢いた。白い衣を纏った人型の何か。頭は落花生のように長く、長い髭が水面について尾を引いている。禿げ上がった老人のように見えた。


 老人は夏蜜柑を握り、俺の真下で動きを止めた。見るな。こっちを見るな。無意識にそう願った。

 俺の意志に反して、老人はぬらりとした頭をゆっくりと動かした。夏蜜柑の皮のような金色に光る双眸か俺を見上げる。澱んだ目だった。



 俺は後退り、井戸の縁に捕まってへたり込んだ。

烏有うゆう、大丈夫か!」

 切間が俺の肩を揺する。周りの老人も不安げに俺を見ていた。

「ああ、急に下向いたから立ち眩みが……」

 そう誤魔化すのが精一杯だった。


「あらあら大変。お水を持ってきますからね」

「ちょっと座って休んでいきなよ」

 老人たちが散り散りになって離れていく。


 切間の手が労わるように俺の背に触れ、顰めた声が響いた。

「……何か見たのか?」

「井戸の中に……仙人みたいな爺さんがいた……」

 切間は丸石が積まれた井戸を睨む。座り込んだ俺の頭に、微かな波の音が降り注いでいた。

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