隼町へ向かう道

試験結果と事業計画

俺　　　　　主人公

エリさん　　俺マンションの家政婦さん

マリちゃん　エリさんの娘

＊＊＊

【９月中旬】

　自社ビル２階の事務所が整った９月中旬の木曜日。

　司法試験の結果が発表され、俺は合格した。

　予備試験から数えて１年半かかったが、俺的には最短で受かった事になる。やはり合格はうれしい。

　夜を待って実家へ電話したら、家族はとても喜んでくれて、代わる代わるお祝いを述べてくれた。特に父の喜びようはすごく、親戚中に触れ回るだろうと思った。お祝いをするから、週末に一度、実家に帰って来いとも言われた。

　母と妹からは、改めてお祝いのメールも届いた。

「合格おめでとう。お兄ちゃんの人格はともかく、いつか、何かをやり遂げる人だと私は信じているよ」

　またしても俺の人格は否定されたが、妹なりのエールだと思う。日曜日に実家へ帰る事になり、母からも言われていたので、エリさんとマリちゃんも誘った。

「こういう時は家族水入らずの方がいいから。私達は、改めて焼肉にでも行ってお祝いしましょう」

　エリさんは、家族に遠慮して、実家行きを辞退した。

　帰省して、この日は家族揃って、我が家、恒例の近所の廻らない寿司屋へ行った。父親は終始ご機嫌で珍しくビールを頼んで俺と乾杯した。俺も酒はあまり飲めないが、この体質は父親譲りだろう。

　子供の頃から知っている寿司屋のご夫婦も俺にお祝いを述べてくれた。

「お祝いに何かほしいものはないか」と両親に聞かれた。

「司法修習が終わって弁護士になった時でいいから」と保留してほしいとお願いした。

「そうは言うが・・・」と父が言うので、スーツを買って貰う事にした。

　妹とは、久しぶりに話し込んだ。主に今後の進路に関してだ。将来、自分が何をやりたいか、何に興味があるかという事から進路を考えるべきだとアドバイスした。たまにも兄らしい事をさせて欲しい。

　英語は確かに将来の武器になる。うまくいけば、推薦も貰えるかもしれない。ただ、うちの大学の人達を見ていると、１年間、アメリカに留学したくらいでは、まだまだだと思う。そこからさらに磨（みが）く必要がある。個人的には、経済を学んで外資系の企業に就職するのも悪くないと思う。

　言葉は悪いが、親戚に頼めば腰かけＯＬには、いつでもなれる。最悪の場合、俺の会社に就職すればいい。就職の最低保証があるから、好きな事にチャレンジしてほしい。

「好きな人とかいるのか？」と、聞いてみようと思ったが、オヤジ臭いような気がしたので、それは止めた。

　たぶん親戚中からお祝いが来るから、母は、そのお祝返しについて、既に悩んでいた。

「最高裁判所饅頭（まんじゅう）って売ってないかしら」

　ウケを狙って言っているのかと思ったが、母は真剣だった。

　そういえば、東京駅からのバスツアーで、国会議事堂を見学に行った時、見学後に少し離れた場所にある、土産物店（みやげものてん）へ連れて行かれた。総理大臣のイラストのついたお土産や、国会議事堂の絵葉書とかお菓子がたくさんあった。

　もしかしたら本当に最高裁判所饅頭が売っているかと思い、ネットで調べて見た。最高裁判所にある司法協会の売店で、絵葉書が売っているらしいという未確認情報があったが、饅頭（まんじゅう）は無さそうだ。

　国会のお土産は、なぜ売れるかというと、観光客が来るという事もあるが、昔から、地方の国会議員が、地元の支持者を集めて、東京観光学ツアー（名目上は、国会見学を含めた国政の視察）を行っているからだろう。国会会期中の傍聴も議員紹介の人は席が違うらしい。

　公職選挙法があるので、さすがに国会議員が主催している訳ではなく、後援会の人達の自主的な旅行企画だ。

　交通の便が悪かった昭和の時代なら、東京に行く機会なんてないから、なんとなく分かるのだが、今でもこういうツアーは頻繁（ひんぱん）に行われているらしい。だから、土産物店があるのだろう。

　最高裁判所裁判官も、国民審査ではなく選挙で選ばれるなら、最高裁判所饅頭（まんじゅう）が売りに出されるかもしれない。でも、最高裁判所は、国会議事堂に比べて建物が地味だからなぁ。

　結局、その日は実家に泊まった。

　司法試験に合格したからといって、すぐに弁護士になれるわけではない。司法修習を受けなければ、法曹（ほうそう）にはなれない。

　ただ、俺のように現役で合格した場合など、すぐに司法修習を受けれない人もいる。司法試験に合格した事は、一生有効なので、都合のよい時に受ければよい。俺は、大学を卒業してから受ける予定だ。

　とりあえず、卒業まで司法修習関係で何かしなくてはいけない事はない。俺は大学卒業まで普通の大学生として学生生活を送るつもりだ。

　後日、父からスーツ代として俺の郵貯銀行に１０万円振り込まれた。女性陣からは連名でシャツとネクタイが送られてきた。

【大学２年１０月】

　会社関係でバタバタしていたが１０月から後期の授業が始まった。司法試験に合格して時間に余裕ができた俺は、学生の間にしかできない事をいろいろやってみようと考えている。特に大学での交友関係をもっと広げたい。ここの学生は間違いなく、将来、日本の中枢（ちゅうすう）に入り込む。下心ありありだが、仲良くしておいて絶対に損はないと思っている。

　父弁護士先生と会社の用事で会った時、司法試験に合格した事を話したら、将来、ウチ（弁護士事務所）を継（つ）がないかと言われた。

　先生には息子さんが２人いて、１人はお世話になっている司法書士先生。次男さんは普通の会社員だそうだ。息子先生は、お嫁さん探しが大事なようだから、再度、司法試験にチャレンジする気は、今の所なさそうだ。

「将来の事は、まだ考えていないので・・・」と、やんわりと話を変えた。

「くそ、うちに娘さえいれば・・・」と、父先生がなんか怖い事を呟（つぶや）いていたので聞かなかった事にした。

　医学部の知り合いが言っていたが、娘しかいなくて、跡継ぎのいない病院のＯＢから一度、ウチに遊びに来ないかと、電話がかかってくる事があるそうだ。いずこも後継者問題は悩ましいようだ。

　弁護士になった時に困らないよう、実務の勉強もしていきたい。いずれ父弁護士先生の元でアルバイトさせて貰おうと思っている。

＊＊＊

　１０月に会社の銀行口座がやっと出来た。「アナザーワールドエステートサービス株式会社　代表　○○（おれ）○○」という名義だ。銀行窓口は平日じゃないと開いてないので手続きのために講義はサボった。

　口座が出来た後、公共料金当の口座引落の種類を書くのが、結構、面倒だった。

　会社の口座が、なぜ都市銀行のＲだったかといえば、これは俺の個人口座に関係する。

　個人だと銀行口座は１つの銀行で原則として１つしか作れない。法人ではない自営業者が商売用の口座を作る場合は、個人用と商売用で２つ作れるが、これも銀行によっては審査があり事業の実態・実績がないと作れないこともあるようだ。昔は、いくつでも口座を作れたらしいが、最近は、口座売買やマネーロンダリングに絡んで厳しくなっている。

　通称、本人確認法と呼ばれる「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律」や「犯罪による収益の移転防止に関する法律」などが関係している。テロ資金対策と言うのが名目である。

　Ｍ銀行本店（宝くじ貯金）、ＭＳ銀行（自宅から近いのでメイン）、ＴＭ銀行（自宅関係の公共料金引き落とし）と、他の都銀は俺が個人で使っているので、都銀Ｒに新たに個人口座を作ったというわけだ。その関係で、そのまま都銀Ｒに法人口座を作った。

　俺は都銀Ｒの個人口座から法人口座へ全額、移し替えた。元々、会社の金だ。Ｒ銀行の個人口座はしばらく使う予定はない。

　それから、前所有者がつけたビルの名前を「アナザーワールドエステートサービス中央ビル」と変更することにした。中央区にあるから、中央ビルだ。

　司法試験に合格したので、ビルの出物（でもの）があれば、東京地方裁判所のある千代田区に、改めてビルを買うかもしれない。もし、千代田区で買えば、「アナザーワールドエステートサービス千代田ビル」の予定だ。

　中小企業の社長さんなら理解してくれると思うが、自社ビルは男の夢だ。名刺を出した時に、会社の住所を見て自社ビルだと分かるのはカッコイイと思う。

　アナザーワールドエステートサービス中央ビルという建物名が長過ぎるので、頭をアルファベットで略（りゃく）してはどうかと、息子司法書士先生にも言われたが、これは受け入れなかった。いいじゃん、俺のビルなんだし。俺としては、自社ビルというのを強調したかった。

　ビルの名称変更は、法務局で登記して、その後、区役所に届ける。ビル名がそのまま住所になるからだ。郵便局にも報告しておくと親切らしい。

　ただ、急にビル名を変更すると、うちのテナントさんに迷惑がかかるので来年の４月１日にビル名を変更する事にした。半年あれば、テナントさんも住所の入った横版や印刷物の修正なども出来るだろう。

　テナントさんに、ビル名を変更する案内を持って挨拶（あいさつ）に行った。

「マジですか？」

　長いビル名は、大変、不評だった。

　後は、会社のホームページも立ち上げた。練習も兼ねて俺が作った簡単なもので、ページもトップページしかない。書く事が余りなかったので、お客様の満足をとか、地域に貢献など、余りうちの会社には関係なさそうな事も書いておいた。

　会社のホームページは、ネット証券会社で口座を作るときなどに必要になると聞いて、急遽（きゅうきょ）、作ったものだ。

　書きたくなかったが、お問い合わせ先に会社のメールアドレスを書いたので、いずれは、碌（ろく）でもない営業メールが来るだろう。

商号　　　　アナザーワールドエステート

　　　　　　サービス株式会社

所在地　　　東京都中央区…○○ビル２Ｆ

役員　　　　取締役　俺

設立年月日　○○○○年９月１日

事業内容　　不動産賃貸業

　　　　　　投資コンサルタント

　　　　　　ウェブコンテンツ制作

資本金　　　１億円

取引銀行　　Ｒ銀行

　ビル名は、今は旧名だ。取締役は、俺しかいないから、代表取締役ではない。事業内容の投資コンサルタントはハッタリだ。やるつもりはない。変なところから投資の勧誘が来るのを避ける、魔除（まよ）けの意味だ。

　会社の登記簿に実際に行わない業種を書くのはダメなんだろうが、上場企業でも登記を変更するのは面倒なのか、その事業をやる、やらないかに関わらず、ずらずらと数十以上の事業内容を併記しているところもある。

　それに比べれば、うちの会社なんて可愛（かわい）いものだ。計画ではやろうと思っていたんですが・・・と言えば、何（なに）も問題ない。

　ウェブコンテンツ制作は、将来、俺がやりたい事だ。具体的には、会社で動画を作って有名動画サイトに上げる。

　相談者からの依頼を番組で受けて、それを解決していく様子をノンフィクションドラマに仕上げて、最後に「監修　弁護士　俺」というテロップを入れる。これが俺の考えた弁護士としての第４のネット広告だ。

　再現ドラマとして俳優を使ってもいい。テレビ業界も今は番組制作にお金をかけられないから、ウチの仕事を受けてくれる所もあるだろう。

　この宣伝のミソは、あくまでウチの会社の動画配信事業として行うところだ。番組製作には莫大なお金がかかるが、会社は株式投資で利益を出し続ける。それを動画事業で使うわけだ。

　俺個人が宣伝広告費を出すわけではない。逆に弁護士としての監修料を貰う。

　まぁ、弁護士にもなっていないから、現段階では俺の妄想でしかない。ただ、俺が思うに素人が作った動画の視聴回数が伸びるなら、プロの番組制作会社の作ったものなら、更に伸びるのではないだろうか。

　俺が弁護士になるまで、まだまだ時間がかかる。その間に、動画配信のノウハウを会社として蓄積したい。その第一弾として、競馬の予想番組をやる予定だ。

　いろいろ調べてみたのだが、競馬予想の動画は、時間との勝負になる。土曜日の夜までにアップしておかないと見てくれないし、日曜日にレースが終われば、全く無意味な動画になる。

　大学１年の頃から考えていたのだが、当初、自分でゆっくり動画でも作ろうかと計画していた。俺自身が忙しくて実行は出来なかったのだが。

　しかし自主製作では、製作と編集するのに時間が足りない。いろいろ考えて５分程の実写動画でいいのではないかと思った。フリップを使えばテロップを入れる必要もないし、５分なら取り直しに時間もかからない。つまり編集なしという事だ。

　そして、これが一番大事なことだが、番組には、売れてないアイドルを起用する。競馬番組なので２０歳以上とするが、アイドルとして旬の過ぎていても構わない。それなら仕事を受けてくれる所もあるのではないだろうか。

　競馬予想の質ではなく、女の子をたくさん出せば、視聴回数も上がるのではないかという、行き当たり企画だ。だが、芸能事務所とも取引が出来れば、いろいろといい事があるかもしれない。

　事務の方は、家政婦のエリさんに頼みこんで、アルバイトとして週に１回、事務所に来てもらう事になった。。郵便物やメールのチェック、現金出納帳をつけたり、掃除など、それなりにする事がある。

　月に一回は、税理士事務所の人が来て、帳簿や領収証をチェックしてくれるので、それにも立ち会ってもらう。ただ、マリちゃんがいるので、エリさんは、あくまで臨時のアルバイトだ。

　エリさんのママ友にも当って貰っているが、近いうちに事務の人を雇うつもりだ。