―93― 口づけ
「あ、嘘だろ……」
絶望という言葉が、今この瞬間を言い表すためにあるんじゃないかと勘違いしそうになる。
足下にはじんわりと広がっている血だまりがあった。
その隣には、大賢者アグリープスだったものが。
魔王ゾーガの大剣によって、大賢者アグリープスの胴体が真二つになっていた。
死んでるのは誰の目に明らかだ。
まさか、大賢者アグリープスがこうもあっけなく殺されるなんて、想像もしてなかっただけに、ショックが大きい。
「次はお前だ」
そう言って、魔王ゾーガが人差し指を向ける。
魔王ゾーガの指の先にはニャウの姿が。魔王ゾーガの次の標的がニャウなんだってわかってしまう。
瞬間、頭の中に嫌なイメージを思い浮かべる。
魔王ゾーガの手によって、ニャウが殺されるイメージが。
「いやだ……」
無意識のうちに俺はそう呟いていた。
いやだ……ニャウを失いたくない。
「逃げるぞ」
そう判断した俺はニャウの手を強くひっぱる。
「キスカさん、ダメです! ニャウが逃げたら、魔王をとめる人がいなくなってしまいます!」
けど、ニャウはそう言って応じなかった。
手をひっぱっても彼女は微動だにしない。
ニャウの瞳には、闘志が宿っていた。すでに諦めている俺と違って、彼女は最期まで戦う気なんだ。
「いいねぇッ!! 威勢がいいやつは俺は好きだぜぇ!!」
魔王ゾーガの笑い声が聞こえる。
「だが、お前のような雑魚では俺をとめることはできねぇんだよッッ!!」
そう言って、魔王ゾーガは大剣を強く振り回そうとする。
「ニャウッッ!!」
叫び声をあげる。
このままだと彼女は殺されてしまう――ッ!!
「水の魔術、第三階梯、
瞬間、ニャウを中心に白い煙のようなものが拡散した。
またたく間に、煙のせいでなにも見えなくなる。
すぐ近くにいたニャウの姿も魔王ゾーガの姿も見えない。足下さえ、見ることができない。ニャウがなぜ、こんなことをしたのか俺には見当もつかなかった。
「キスカさん」
ふと、彼女が目と鼻の先にいた。
「少し頭をさげてくれませんか?」
「あ、あぁ……」
言われたまま俺は頭を下げる。
「――――――っ」
唇に柔らかい感触が当たる。
キスをされたんだと気がつくのに、少しだけ時間がかかってしまった。
実際には、キスをした時間はほんの少しだったのかもしれない。けれど、時間がとまったんじゃないかと思うぐらい、長い間キスをしていたような気がした。
「キスカさん、好きです」
唇を離したニャウは息を吐きながら、そう呟いた。
表情を確認しようとして、彼女の顔を見る。その表情は、なにかを決意したかのように、唇を引き結んでいた。
彼女がなぜ、こんな表情をしているのか俺にはまったくわからなかった。
俺も好きだ、と言おうと口を開こうとして、トンッ、と胸に感触が。
彼女が俺のことを押したんだ。
「風の魔術、第四階梯、
彼女がそう口にした瞬間、体がフワリと宙に浮く。そして、自分の体が真後ろへと引っ張られる。
「ニャウッッ!!」
とっさに、そう叫びながら、ニャウの手を掴もうと手を伸ばす。
その手の先がニャウの手の先端に触れた。
けれど、彼女は俺の手をとってくれなかった。
代わりに、彼女は口を動かしてなにかを告げた。
その言葉が「さよなら」だと気がついたときには、彼女は視界のどこにも存在しなかった。
「あ……」
どうやら、俺はニャウの魔術によって空を飛んでいるようだった。
徐々に俺の体は下降していき、地面へと着陸する。着陸した瞬間、うまく受け身をとって、なんとか肉体へのダメージを最小限にする必要があった。
なにが起きたのか、とっさに理解できなかった。
けど、遠くに首都ラリッチモンドの城郭が見えた。どうやら俺は、城郭の外にある森の中にいるらしい。
あぁ、そうか……。
ニュウが俺の命だけでも助けようと、遠くに逃がしてくれたんだ。
そして、自分1人で魔王へと立ち向かおうとしているんだ。
「なんだよ、それ……」
呆然としながら、俺はそう呟く。
こんなの俺は全く望んでいないのに。
「いやだ……」
ニャウとこれっきりなんていやだ。
そんなの俺は認めたくない。
もう一度、彼女と会いたい。
だから、俺は無我夢中で走り始めた。
ニャウともう一度会うために。
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