悪魔のゲーム

 少し、昔の話をしよう。

 男はある日、一人の少女に出会った。

 簡素な革の鎧。背中には身の丈に合わない剣。それはいかにも、自分は駆け出しの未熟の冒険者です、全身で主張しているような少女であった。

 付け加えてどのあたりが駆け出しで未熟そうか説明するのであれば、その冒険者の少女は、明らかに力尽きたように地面にうつ伏せに倒れていた。

 無視して通り過ぎることは簡単だったが、彼はなぜかその行き倒れを無視することはできなかった。


「……おい。大丈夫か」


 出血はない。地面に、赤い色は広がっていない。

 怪我をしているわけではなさそうだ。

 彼の質問に、少女は答えた。


「おなか、が」

「お腹?」

「おなかが、空いて……動けない」


 空腹による行き倒れだった。

 実にくだらない理由だった。

 しかし、彼はなぜかそのくだらない自己申告を無視することができなかった。


「……握り飯くらいしかないが、食うか?」

「いいの!? ありがとう!」

「ククク……良い食べっぷりだ」


 食べた瞬間に、少女は生き返った。

 袖振り合うも多生の縁、という言葉がある。そのままなし崩し的に、彼は地面に腰を下ろして、少女と語らう時間を作った。


「お兄さんは、なにをしている人なの?」

「フフ……オレは基本的に、女から借りた金を賭け事で増やす仕事をしている」

「カスのヒモってこと!?」

「ククク……命の恩人に対してそのはっきりとした物言い。嫌いではないぞ」


 少女は、よく食べ、よく喋り、よく笑う女の子だった。

 話していると、不思議と心地が良かった。隣に座っているだけで、曇り空に光が差すような。

 そういう明るさを持った少女だった。


「うーん……一人目が遊び人っていうのも、ちょっとどうかと思うけど……でも、助けてもらったし、いっか」

「何の話だ?」

「ねえ、お兄さん」


 お腹を満たした少女が、元気良く立ち上がる。

 振り返り、風を受けて靡く白髪が、青空の太陽を受けて、透明に光り輝く。


「わたし、これから冒険に行くんだ! だから、仲間になってよ!」


 絵になる光景。劇的な勧誘。

 まるで、これから心躍る旅がはじまるような、そんな予感。

 彼は、即答した。


「断る」

「なんで!?」

「オレは働きたくないからだ。一生遊んで暮らしていたい」

「こんなにかわいい女の子に誘われてるのに!?」

「ククク……良いことを教えてやろう。オレの好みは、メガネが似合う理知的で賢そうで少し性格がキツそうな女だ。そういう女が懐に入った時に見せる弱みは……すごく良いぞ」

「知らないよお兄さんの性癖なんて!」


 腕を組み、唸る少女は、しかし名案を思いついたかのように、ぽんと手のひらを合わせた。


「そうだ! じゃあお兄さん、わたしとゲームしよう!」

「ゲーム?」

「うん! じゃんけんしよ! わたしが勝ったらお兄さんはわたしの仲間になる! わたしが負けたら、お兄さんのことは諦める!」

「それは、オレが得るものが少ないのではないか?」

「あれ? お兄さん逃げるの? それとも、わたしみたいな女の子に、じゃんけんで勝つ自信もない?」

「ククク……安い挑発だ。だが、おもしろい。のってやろう。良い男は、女の誘いを断らないものだ」

「よしっ! じゃあ、いくよ! 最初はグー!」


 強く強く、拳を握り締めて、向かい合う。


「じゃんけん──ぽん!」


 それは、彼が人生ではじめて負けた記憶。

 それは、少女がはじめて仲間を得た瞬間。

 後に魔王と呼ばれることになる少女と、後に最初の使徒となる悪魔の出会いは、とても些細な、子どもの遊びのようなゲームからはじまった。




 カジノに潜入してスロットで遊んでたら、最上級悪魔に出会った。

 何を言ってるかわからないし、おれ自身も何が起こってるのかよくわかっていないが、しかし目の前にあのジェミニ・ゼクスと同じ最上級悪魔がいるのは、紛れもない現実である。


「ククク……つまりはこういうことだ。オレは、お前のパーティーの死霊術師を表社会から追放するため、同じ目的を持つ人間と契約を交わし、協力関係にある。簡単に言ってしまえば、このオレがお前たちを貶めた黒幕ということだな。フフ……」

「全部喋るじゃんお前」


 ほんとに全部喋って説明してくれるから、びっくりした。

 土下座の姿勢を解いて両手をホールドアップしている悪魔は、おれの呆れた声に対して、なおも不敵に笑う。


「当然だ。一つしかない命を守ることに比べれば、己のプライドなど些細な問題だ。しかしまさか、こんなところで世界を救った勇者と出会う権利を引き当ててしまうとは……クク、このオレの運も、なかなかバカにできないものらしい」

「オレも最上級悪魔からスロットのコインをせびられるとは思わなかったよ」

「あれは良い当たりだった。もう少し打ちたかった」

「馬鹿なのか?」


 言いながら、間抜けなイケメン顔だけ悪魔……もとい、サジタリウス・ツヴォルフに問いかける。


「それで? お前はどうしてこのカジノに来たんだ?」

「女から借りた金を、一発当てて増やしに来た」

「嘘を吐くならもう少しマシな嘘を吐けよ」

「フフ……本当だ。信じてくれ。頼む」


 だらだらと冷や汗を流しながら、悪魔が言う。不敵な笑みは速攻で剥がれていた。

 鵜呑みにするにはあまりにも阿呆な言い訳だったが、オレに正体がバレたきっかけもスロットのコインをせびったからなので、なんとも言えない信憑性があった。


「まあ、いい。お前、このカジノには詳しいのか?」

「愚問だな。詳しいなんてものじゃない。多い時は週五で通っているくらいだ」

「自慢すんな。働け」


 ほんとにこの馬鹿があのジェミニと同じ最上級悪魔とは思えない。そこらへんにいる普通のヒモ男みたいだ。


「詳しいなら、このカジノの中を案内しろ。腕の良いギャンブラーがゲームをしているエリアに行きたい。うちの死霊術師さんが先にそっちへ潜り込んでるんだ。断ったらどうなるかは、わかるな?」

「ククク……やめよう。暴力はよくない。こっちだ。付いてくるがいい」


 開幕土下座をキメてきたこの情けない悪魔は、どうやら本当にオレと戦う気はないらしい。さすがに無抵抗の相手を倒すのは気が引ける。それなら、必要な情報を引き出しつつ、カジノの中を案内させて便利に利用した方がいい。

 魔法を使われないように適度に背中を小突きながら、前へ進むように促す。


「フフ……それにしても、やはりあの死霊術師も来ているのか。まったく、懐かしいな」

「なんだお前。死霊術師さんのこと知ってるのか?」

「無論だ。元同僚だからな。あの不死身女は元気か?」

「ああ。今頃、バニーガール姿で楽しく博打やってるよ」

「バニーガール、だと……?」


 サジタリウスは、虚を突かれたように目を見開いた。

 まさか、あの馬鹿げた衣装には、何か隠された意味があったのだろうか? 

 見た目だけイケメンの悪魔は、噛みしめるように呟いた。


「ククク。それは、すごくえっちだな……」

「しばくぞお前」


 違った。この悪魔が本当に馬鹿なだけだった。


「サジタリウス様。そちらの方は?」

「オレの客だ。通せ」

「かしこまりました。ごゆっくりお過ごしください」


 しかし不幸中の幸いというべきか、サジタリウスは口だけではなく、このカジノの中には本当に詳しいらしい。よほど通い詰めているのか、VIPしか入れないようなエリアでも、顔パスで悠々と通過できた。そのまま迷わず、ずんずんと進んでいく背中についていく。


「勇者よ。お前は、ゲームは好きか?」

「べつに、好きでも嫌いでもでもない。自分が賭け事に特別強いと思ったこともないしな」

「そうか。オレは好きだ」


 めずらしいな、と。おれは単純にそう思った。

 社会に紛れ込むために、人の文化を学び、その真似事をする悪魔はそれなりにいる。しかし、人間を自分たちの道具、捕食の対象、餌としてしか認識していない悪魔が、人の文化を率直に褒め称えるのは、極めて稀なことだった。


「ゲームは、素晴らしい。人間が生み出した最も価値のある遊戯の一つだ。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も種族も、すべてを忘れて興じることができる」


 階段を降り、狭い通路を抜けて、辿り着いたのは小さな部屋だった。

 四隅に配置された蝋燭によって照らされた、薄暗い空間。部屋の中央にはシンプルなデザインのテーブルと、椅子が一組。向かい合うように置かれている。

 そこは一言で説明するなら、まるで秘密のゲームをするためのような部屋だった。

 少なくとも、大勢のギャラリーが集まる華やかな裏カジノの場には見えない。


「……おい。なんのつもりだ」

「勇者よ。オレは貴様と、ゲームがしたい」


 口調が変わる。

 イケメンの馬鹿男が、振り向かずに言う。


「人の生き様は、ある種、ギャンブルのようなもの。人生は選択の連続で、その選択に己の全てを賭けることのできる人間だけが、勝利という結果を手にする」


 纏う、雰囲気が変わる。

 悪魔が、背中だけで語る。


「故に。オレも今、この場で選択を行おう。オレがどれだけ弱くても……お前と敵対する、という選択を」


 言葉に滲む、感情が変わる。

 最上級悪魔が、振り向いて笑う。


「これは賭けだ。お前はどうする?」

「受けて立つに決まってんだろ」


 即答。と同時に、拳を振り上げる。

 部屋にどんな仕掛けがあるのかは知らない。サジタリウスがどんな魔法を持っているのかもわからない。

 だが、最初に降参の意思を示した以上、この最上級悪魔がジェミニよりも弱いのは紛れもない事実。小細工を弄される前に、速攻で片付けてしまえばいい。

 しかし、そんなおれの思考は、次の瞬間。赤いカーペットの上に広がった黒い紋様に塗り替えられた。


「これは……」

「受けて立ってくれてありがとう。勇者」


 拳が、届かない。

 まるで見えない何かに拘束されてしまったかのように。

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