世界を救った女たちによる超高度恋愛心理戦

 自分は勇者を守れなかった。

 絞り出すようなアリアの言葉に、それまでのほほんと言葉を紡いでいたイトの唇が、ぴたりと止まった。


「魔王の最期の攻撃から、勇者くんはあたしを庇って。そのせいで勇者くんは呪いにかかって。あたしのせいで、勇者くんは自分の名前も、みんなの名前もわからなくなって」


 それはある意味、アリアがずっと心の中に鍵をかけて仕舞い込んできた感情だった。

 今、この瞬間。勇者がこの場にいないからこそ、できる話だった。


「勇者くんは、みんなの名前を呼べないのがつらくて。みんなは、勇者くんに名前を呼んでもらえないのがつらくて。この一年間は、互いにそんなつらさを、見て見ぬ振りをしてきた時間で」


 ──まあ、立場もあるだろうし、勇者くんがいろいろ悩むのはわかるけどさ。でも、そんな風に迷ってると、好きな人とちゃんと恋愛して、結婚できる機会もなくなっちゃうかもしれないよ? もちろん、あたしが心配することじゃないし、余計なお世話かもしれないけどさ


 婚活をしたら、と。

 彼に向けて伝えた言葉は、決して嘘ではない。

 ずっと一緒に冒険をしてきた。だからこそ、ずっと一緒に冒険してきた仲間の名前を忘れてしまうのは、なによりも心を抉るもので。

 だから、それならいっそ、パーティーの誰でもない、新しい女性と一緒になって幸せになってほしい。

 そう考えていたのは、決して嘘ではない。


「だから、だから……イト先輩が本当に勇者くんのことを幸せにしてくれるなら、あたしは……」


 アルコールのせいだろうか。

 自分は、酔っているのだろうか。

 紡ぐ言葉と一緒に、溢れ出る涙が止まらない。

 そんなアリアを見て、イトは一言。はっきりと言った。




「いや、おっも……」




 アリア・リナージュ・アイアラスの葛藤を、あろうことかイト・ユリシーズはたった一言で切って捨てた。

 騎士は、アイスブルーの瞳を点にしてイトを見た。

 賢者は、もう呆れてものも言えないといった様子で、深く息を吐いた。

 死霊術師は、品とかマナーとかそういうものを無視して、爆笑した。

 

「お、重い? 重いって、重いって言いました!? 先輩」

「言った言った。重い、重いよ」

「ど、どこが重いっていうんですか!? あたしのどこが!?」

「一から十まで。言動と気持ちのすべて」

「すべて……」


 そもそもさ、と。

 イトは言葉を繋げて、アリアのジョッキを手に取る。


「昔、魔王を倒して戻ってきた時。ワタシはアリアに何回も言ったよね。勇者くんの呪いは、キミのせいじゃないよ、って」

「それは……でも」

「シャナちゃんもリリアミラさんも、そう思ってるはずでしょう?」


 イトから話を振られて、シャナとリリアミラは顔を見合わせた。


「……まあ、もちろん私もアリアさんのせいだとは欠片も思っていませんし。事実、アリアさんのせいではないと繰り返しそう言ってきたのですが、やっぱりアリアさんって、こう気にしいで全部自分で抱えて、じめっとして自己嫌悪に陥るめんどくさいところがあるので……」

「シャナにだけはめんどくさいって言われたくないんだけど!?」

「わたくしは普通にアリアさまを庇って勇者さまは呪いを浴びてしまったので、アリアさまのせいなところも多少はあるとは思いますが、起こってしまったことをいつまでもうじうじと気にしていても仕方がないですし、過去ばかり後悔していないで、さっさと未来に目を向けてほしいな、と。そう思いますわね」

「裏切った人がなんかほざいてる……」


 パーティーメンバー同士の気安いやりとり。

 それを聞いて、イトはにこりと笑う。


「ね? だからさ。アリアはそんなに気にしなくていいんだよ。抱え込まなくていいんだよ。昔のことに責任感じて、縛られなくていいんだよ」

「イト先輩は……」

「ん?」

「イト先輩は、どうしてそんなにはっきり、そう言えるんですか」

「んー」


 ぐびぐび、と。

 イトは残っていたアリアのビールを飲みきって「ふう」と一息ついた。


「さっきも言ったけど。ワタシはやっぱり後輩くんと冒険したわけじゃないから、外野の立場から好き勝手なことを言える、っていうのが一つ。でも、一番の理由はやっぱり……」


 思い出すのは、あの日の、屋上でのやりとり。


 ────かっこ悪くてもいいじゃないですか。かっこいいだけじゃ勇者にはなれませんよ。


「昔、まだまだ未熟だった勇者に、過去にいつまでも縛られてるんじゃねえよ、って。そう言われたから、かな?」


 考えるべきは、これまでではない。

 考えるべきは、これからのことだ。


「過去を振り返って、責任を感じるだけじゃなくて。彼の未来の幸せを、これから一緒に考えてあげられるのは……彼のことが好きな人だけだよ。ここに来ている、ってことはもうそういうことだと思うんだけど。ワタシはやっぱり、ちゃんと本人の口から聞きたいな。アリアはどう?」

「あたしは……」


 おかわりのビールを手渡して、イトは微笑む。

 しばらくそのジョッキを見詰めていたアリアは、意を決したようにその中身を飲み干して、飲み干してから、はっきりと全員に聞こえる声で、告げた。


「勇者くんのことが、好きです」

「うん。よく言えました」


 昔と同じように、イトはアリアの頭をやさしく撫でた。


「じゃあやっぱり、これからはライバルだね」

「負けません」

「望むところだよ」


 テンポのいいやりとりに、互いの笑顔が混じる。

 リリアミラとレオの飲みかけだったワインのボトルを、そのまま直で飲んで、イトは立ち上がる。


「よぅし! そうと決まったら今日は飲もう! 男どもがいない間に、追加のお酒を用意しよう!」


 そう宣言した現役の女性騎士団長は、テーブルの上に景気よく拳を打ち付ける。

 そうして、王宮で数百年に渡って使用されてきた歴史あるテーブルが、真っ二つに裂けた。


 思い悩んでいたものを告白し。

 抱えていたものを吐き出して。


 ────祭りが、はじまる。

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