勇者と騎士ちゃんの朝

 洗面台の側面に置いてあるボトルの蓋を取り、適量を手に取る。口をすすぎ終えた騎士ちゃんが、それを見て首を傾げた。


「なにそれ?」

「化粧水」

「化粧水!? うわ〜」

「うわ〜ってなんだよ。うわ〜って。差別するな。男子だって美容には気を遣う時代だぞ。これ使うと肌荒れにくくなるんだよ」

「へえ。どこのやつ?」

「死霊術師さんのとこのやつ」

「あー、やっぱり。貰ったやつでしょそれ」

「いや、最初はたしかに貰ったんだけど、それ以降はちゃんと買ってる。普通に気に入ったし」

「経済回しててえらいじゃん」

「だろ?」


 あと単純に、死霊術師さんが取り扱ってる会社の美容品、評判がすごく良いんだよね。本人が美容に気を遣うタイプだから、生半可な品質のものは取り扱わないし。ほんと、商売に関してだけは信頼できる人だ。


「うわ、歯磨き粉切れてる」

「あたしの使う?」

「お。助かる。今日買ってくるわ」

「それなくなってからでもいいよ」


 騎士ちゃんの言葉に甘えて、ありがたく使わせてもらう。口の中に広がるミントの香りが心地よい。これ、いいな。おれも次からこれ買おうかな。

 わしゃわしゃと歯を磨いている間にも、騎士ちゃんはおれ同様に化粧水をぱぱっとつけ、おれにはよくわからない化粧品を広げ、準備を進めていく。


騎士ちゃんはそのままでもひしひゃんはほのままても十分かわいいけどなぁひうふんはわいいへとな

「いや、ごめん。何言ってるか全然わかんない」


 コップを突き出されたので、こちらもありがたく使わせてもらう。ピンクの花柄がかわいらしいコップだ。

 歯磨きを終えたおれは、コップと歯磨き粉を騎士ちゃんに返した。


「これ良いね」

「ああ、それね。ウチの村の陶芸屋さんが最近出したやつ。デザインかわいいでしょ?」

「かわいいかわいい」

「今度買って。ウチの経済も回して」

「買って経済回すわ」


 頷いて笑った騎士ちゃんは、ゆすいで洗った花柄コップの中に歯ブラシを差して、おれの飾り気のないコップの隣に置いた。

 なんか、こうして見ると洗面所の棚も狭くなってきたな。


「洗面所の棚小さくない?」

「ああ。それ今思ったわ」

「あたしも化粧品置きたいし、赤髪ちゃんも細々としたもの必要でしょ? 隣になんか背の高い棚置こうよ」

「そうだなあ」


 収納はいくらあっても困るものではないし、赤髪ちゃんの部屋用にいくらか家具もほしい。一緒に家の中をちょっと模様替えしてもいいかもしれない

 滑らかに櫛が通っていく金髪をぼうっと眺めていると、後ろ手にリボンを突き出された。


「はい」

「ん」


 リボンを受け取る。

 真正面に鏡。騎士ちゃんの頭はちょうどおれの頭一つ分くらい下にあるので、この体勢が一番髪をいじりやすい。ポニーテールっていう髪型はシンプルな見た目に反してわりと結うのが難しいので、丁寧に手櫛で髪をまとめていく。一緒に旅をしていた頃は、まだ小さかった賢者ちゃんや陛下はもちろん、騎士ちゃんや師匠の髪も時々結っていたので、髪型をいじることに関してはそれなりに自信がある。


「如何ですか?」

「うむ、よろしい。鈍ってないね」

「お褒めに預かり光栄です」


 なんてことない、いつも通りの朝のルーティン。

 それを終えて、おれは洗面所を出ていこうとして、



「あの、騎士ちゃん。なんでウチいるの……?」



 背筋に冷や汗を流しながら、固まった。


「気付くの遅くない?」


 コップと歯ブラシの位置をちょちょいと直して。

 騎士ちゃんは朗らかに笑った。

 それは朝に相応しい、とても気持ちの良いからっとした笑顔だった。


「賢者ちゃんから聞いたでしょ? みんなのいる場所と、勇者くんの家を転送魔導陣で繋げたって」

「あ、うん」

「あたしは屋敷の寝室と繋げたから」

「え、は……?」


 ちょっと何を言ってるかよくわからなかった。

 突っ立っているおれを意にも介さず、するりと騎士ちゃんは横を抜けていく。


「朝、二人で一緒に準備してると、昔に戻ったみたいで楽しいね」


 すり抜け様に、横顔が笑む。

 それは朝に朝に相応しくない、少しじめっとした、纏わりつくような笑顔だった。


「あ、勇者くん」


 ちょこん、と。

 金髪のポニーテールが、立ち止まって揺れる。


「朝ごはん。目玉焼きと卵焼きどっちがいい?」

「……卵焼きでお願いします」

「甘いの? しょっぱいの?」

「……甘いのでお願いします」

「うん。わかった」


 上機嫌に引っ込んだ金色の尻尾を見送って、おれは溜息を吐いた。

 忙しい一日になりそうだ。

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