蒼穹の剣士は、勇者を愛しているだけではない
「……で、先輩。空が見えたのはいいんですけど、ここからどうやって上まで登るんです?」
「…………」
迷宮一つを切り捌くことなど、イトの魔法の前では造作もない。
「先輩?」
「……」
「ねえ、先輩」
が、切り捌いたあと。地下から登って出なければ、脱出したことにはならない。
さっと刀を鞘に収めたイトは、すっと無言のまま懐に手をやって、ばっと小石を頭上に向けて投げた。
「今だーっ! 勇者くん! 早くへメザって! へメザらないと出られないから!」
「あんた絶対斬ったあとのこと考えてなかっただろ!? あと変な略し方すんな!」
叫びながら、勇者は投げ上げた小石と、自分たちの位置を入れ替える。
結果的に、二人の体は少し浮き上がることになるわけで。
「よしっ! これあと十回くらい繰り返そう!」
「本気で言ってんの!?」
「いけるいける! 多分出れるって!」
「ふざけんな! 斬ったあとがノープラン過ぎる!」
そんな馬鹿なやり取りをしながら行う脱出は、決してスマートではなく、ロマンチックでもなかったけれど。
ああ、楽しいな、と。
イトはそう思った。
なんとか地表に辿り着いて、肩で息をしながら、二人で笑い合う。
それはほんの少しだけ、昔に……学生の頃に戻ったようだった。
「はぁ、はぁ……まったく」
「あー、よかったよかった」
歓声が聞こえた。
地上で二人を救出しようとしていた、冒険者たちが駆け寄ってくる。
それに向かって手を振りながら、また二人で顔を見合わせて、笑顔を交換する。
何度でも、いつまでも。こうしていたいな、と。
イトはそう思った。
「……ありがとうございます。先輩」
「……うん。どういたしまして、後輩」
イト先輩、と。
彼に呼んでもらう名前は、自分の本当の名前ではなかったけれど。それでも、彼に名前を呼んでもらえるのは、嬉しかった。
人の縁は、いつか途切れてしまうもの。人の想いも、いつかは断ち切れてしまうもの。
だからこそ、自分が生きている限り、永遠に繋いでおきたいその気持ちを、人は愛と呼ぶ。
彼はもう、人の名前を呼び、人の名前を覚え、人と縁を繋ぐことはできない。
それでも、もし。彼の身に魔王が遺した呪いがなかったとしたら。彼は自分の心に刻んだ名前を決して忘れず、繋いだ心を断ち切ることなどなかっただろう。
空を見上げる。そう、あの空と同じだ。
彼ほど大きな心を持っている人間を、イトは知らない。
彼女は、世界を救った勇者を愛している。
彼に好意を寄せる者が多いのはわかっている。
それでも、イト・ユリシーズは叫びたい。
────ワタシの愛が、最も果てしない。
なーんて、きっと彼を想う誰も彼もが、その思いを胸の内に秘めているのだろう、と。
イトはこちらに向けて手を振りながら走って来る、勇者のパーティーメンバーを見て思った。
────うん。やっぱりもう、我慢なんてできそうにない。
この気持ちを、胸の内に秘めることが愛だというのなら。
そんな愛なら、切り捨ててしまえばいい。
思い切って、イトは口を開く。ずっと気になっていた、それを聞く。
「ところで、後輩」
「なんですか先輩」
「今、好きな人とかいたりする?」
「……その質問には、黙秘権を行使します」
ぷい、と。そっぽを向く。彼の拗ねた横顔には昔の面影があって。
そういうところが、変わらないのが愛らしかった。
「うんうん。そっかそっか。そりゃあ仕方ないね。わかるわかる。人間誰しも、答えたくないことの一つや二つはあるもん」
「はい。そういうことです。わかっていただけたようでなによ……っ!?」
イトは、支えていた勇者の肩を、さらに強く抱き寄せた。
彼の左腕が折れていて助かった。肩を貸している状態なら、抵抗しようがない。
彼の右足が折れていて助かった。片足しか動かない状態なら、逃れようがない。
首の後ろに手を這わせて、頭の後ろを鷲掴む。
先ほど交わした、慎ましやかな
貪るように。この場にいる全員に、ありありと見せつけるように。
彼のすべてを、自分のものにするために。
イト・ユリシーズは、世界を救った勇者に、本日二回目のキスをした。
「っ……!?」
「……ふぅ」
息が切れるまで、離さなかった。
あれほど高まっていた冒険者たちの歓声が、しんと静まり返る。
世界を救った賢者は、わなわなと震えながら杖を取り落とした。
世界を救った騎士は、絶句して口元を覆った。
世界を救った武闘家は、目を輝かせて「ほほう」と呟いた。
世界を救った死霊術師は、頬に手を当てて「あらあらまぁまぁ」と声を漏らした。
そして、かつて魔王だった赤髪の少女は、その髪色に負けないほどに、頬を真っ赤に染めた。
「三回目。二度あることは三度ある、なんてね」
これで通算、三回目だと。
生意気に、昔よりも高い位置にある彼の顔を間近で見上げて、イトは宣言する。
「まどろっこしいのは嫌いだし、回りくどいのも好きじゃないから。だから、単刀直入に言うね?」
一拍の間を置いて。
「ねえ、勇者くん。ワタシと結婚しようよ」
吹き抜ける青空のような、爽やかな笑顔に。
その力強い求婚の声に。
一部始終を見守っていた冒険者たちの歓声が、爆発した。
その盛り上がりから置いてけぼりを喰らったのは、世界を救ったパーティーだけだった。
「な、な、な……!」
「あ、あ、あ……!?」
「ううむ。これは……」
「意外なところから、ダークホースが飛び出してきましたわね〜!」
忘れてはならない。
世界を救い終わった勇者の物語は、
────婚活でもしたら?
そんな、些細な一言から再び動き始めた。
これは、世界を救う物語ではない。
これは、悪の魔王を倒す物語ではない。
だって、そういうお話は、もうとうの昔に終わってしまったのだから。
だからこれは……救った世界の、その先を生きる勇者のこれからの話であるべきだ。
「……先輩。冗談じゃない、ですよね?」
「もちろん」
今一度、確認しておこう。
これは、名前を失った勇者が、救い終わった世界で己の生き方を探す──
「わたしが絶対、キミを幸せにしてあげる」
────愛と勇気と冒険の物語である。
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