最強の剣士VS迷宮の主

 イト・ユリシーズは、困惑していた。

 ダンジョンの中で助けた少女が、自分のことを魔王だと言い出した。

 何を言っているんだろう、というのが正直な感想である。

 そんな告白を、馬鹿正直に信じる人間はいない。イト自身も、少女の言葉を馬鹿正直に信じるつもりはなかった。


「……」


 だが、何故だろうか? 

 理性ではない、自分の中の直感。本能とでも言うべき部分が、目の前の赤髪の少女が「ただの女の子」ではないことを、雄弁な警告として告げていた。残念ながら自分のそういった勘がよく当たることを、イトは知っている。

 そして、なによりも。

 この子が、本当に勇者と知り合いだったとして。

 この子が、本当に魔王の関係者だったとして。

 それでも、自分がよく知るあの後輩の勇者は、一も二もなく、たとえ元魔王の少女であったとしても、関係なしに手を差し伸べて助けてしまうんだろうなぁ……と。

 他の何よりも強い、そういう確信が、イト・ユリシーズの中にはあった。


「……はぁ」


 堪らず、ちょっと深めの溜息を吐く。


「お、おねえさん?」

「うーん。なんだろうなぁ。いや、なんだろうね本当に。ワタシ、わりと思ったことはそのまま口にするタイプだけど、さすがにそんな衝撃の事実を口にされると、何を言ったらいいか悩むというか……うーん」


 年甲斐もなく流してしまった涙を軽く指先で拭って、イトは自称元魔王の少女の肩に、手を添えた。


「あのね、アカちゃん……」


 言葉を紡ごうとした。

 しかし、それ以上は続かなかった。

 背後から、濃密な魔力の気配を感じたからだ。


「アカちゃん、危ないっ!」

「え?」


 一瞬の硬直のあとの、瞬間の反応。

 少女の頭を抱きかかえ、地面に転がったその刹那。イトと少女がいた場所を、火の矢が数発、横切っていった。

 少女の肩が、恐怖と驚きで強張った。


「お姉さん……!」

「いやぁ、危ない危ない。アカちゃん、申し訳ないけど……ちょーっと、ワタシの後ろに下がっててね。どうやら、ボスっぽいのが出てきたみたいだからさ」


 殺気は感じられなかった。イトの反応が間に合ったのは、魔力の気配に脳ではなく脊髄が反射したからだ。

 闇の中から、浮上するように。全身を黒のローブで覆い隠した人影が現れる。

 今までとは、まったく別物の気配。

 かといって、階層のボスクラスのモンスターとも違う。明らかに、それ以上の魔力。


「このダンジョンの主さん、ってことでいいのかな?」

「……」


 答えはない。妙な雰囲気だ、とイトは思った。

 多分、人ではない。かといって、悪魔でもない。だとしても、モンスターにしては理性的で落ち着きがありすぎる。


「……なぜ庇う?」


 ようやく、固い口が開いた。

 どうやら、言葉は理解できるらしい。

 イトの質問には答えなかったにも関わらず、純黒の人影は、気安く問いを投げてきた。


「なぜ、っていうのはどういう意味かな?」

「言わなくても、わかるだろう。騎士の長よ。お前が背後に庇うそれの正体は、魔王の残滓だ。お前たちが、憎むべきものだ。私という存在が今、それを狙っていることが、それの正体の証明に他ならない」

「……っ」


 振り返らなくても、少女の表情が固いものに変化したことが、イトにはわかった。


「で、つまり?」

「その赤髪の少女を引き渡せば、お前だけは見逃してやろう」

「ほほう、なるほどなるほど。一丁前に交渉のつもり?」

「取らなくて済む命であるならば、取らないほうが良い。少なくとも私は、その方が好ましい」

「やさしいね。やさしくて、涙が出てくるよ」

「強がりはよせ。今の貴様は、剣の一本すら持ち合わせていないだろう」


 最悪だな、とイトは思った。

 かつての魔王軍の第一位。その名前が刻まれたダンジョンの最奥で、得体の知れない敵が異常なほどに執着を見せる存在。気持ちでは否定したいのに、状況と現実が、背後の少女がただの女の子ではない事実を、明確に突きつけてくる。


「去れ。イト・ユリシーズ」

「断る。キミの方こそ、さっさと消えてくれるかな?」


 手刀でも、自分の魔法であれば首の一つや二つは、簡単に落とせる。距離はあるが、詰めきれないほどではない。

 イトは小声で、背後に向けて囁いた。


「アカちゃん。目を瞑って」

「え?」


 閉じた拳を、前に突き出す。

 さすがに、返事まで確認している余裕はない。

 イトは開いた指先から、視界を塗り替えるような閃光を解き放ち、敵の不意を打った。

 相手がどれだけ強かろうと。

 得体の知れない存在であろうと。

 そんな事実は、イト・ユリシーズがそれを斬れない理由には成り得ない。


「……っ!?」


 一手目。左の閃光魔術で、敵の目を潰す。

 二手目。陽動代わりに右から炎熱系の魔術を撃ち放ち、同時に距離を詰める。

 そして、三手目。手を伸ばせば届く距離は、イト・ユリシーズという騎士にとって、必殺の間合いだ。

 すらりと伸びたその指先は、敵にとってはギロチンの刃に等しい。躊躇なく、イトは右の手刀で黒いローブの首から上を斬り落とした。

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