死霊術師さんとおばあさん
次の次の日。
「おばあさまー! 今日はわたくしが新しい茶葉を持ってきましたわ〜!」
「お腹空きました」
「こんにちは。お加減は如何です?」
薬草を掲げてみせると、おばあさんは鼻を鳴らした。
「もう止めないから、勝手にやっとくれ」
「だってさ赤髪ちゃん。棚にあるお菓子全部食べていいよ」
「本当ですか!?」
「アタシが悪かったよ」
今日のおばあさんは、手元に毛糸玉と糸と針、そして縫いかけのローブを持っていた。
いや、新しいものにしては、それなりに使い込まれているように見える。昔から着ていたものを、補修していると言った方が正確だろう。
「年季の入ったローブですね」
「ああ。これは、元々ウチの婆様が着てたものさ」
「あらあら。それはそれは……」
服飾品の類いには目がない死霊術師さんが、ずいっとおばあさんの側に体を寄せる。おばあさんは少し意外そうな顔をしたが、特に拒否することなく、死霊術師さんにそのローブを預けた。
大きく広げたり、袖口を見たり、縫い目を確認したり。おれにはわからない拘りがあるのだろう。死霊術師さんは細かくローブを確認して、しきりに頷いた。どうでもいいけど、まだ素っ裸なので早く服を着てほしい。
「これは、本当に年季が入った品物ですわね」
「はっ! 古臭いデザインだって言いたいのかい? アンタみたいな若い娘には似合わんだろうね」
「まあ、そうですわね。わたくし、見ての通り美しいので!」
「死霊術師さん。胸張ってないで早く服着てください」
「ですが、このローブが大切に受け継がれてきたものであることは、見ればわかります。古着には歴史あり。大切に保管され、修繕されてきた衣服には、相応の価値があるものです。その価値は、デザインや機能性だけで測れるものではありませんわ」
「……へえ。少し見直したよ」
「死霊術師さん、良いこと言ってないで早く服着てください」
素っ裸のまま熱弁を振るう死霊術師さんに、赤髪ちゃんがまたナース服を投げつける。
きっとたくさんの思い出が詰まっているのであろうローブを抱えながら、おばあさんはゆったりと笑った。
次の次の、そのまた次の日。
「おばあさま〜! 今日の地雷はちょっと少なかったんじゃありません?」
「こんにちは。お加減は如何ですか?」
「……おばあさん、寝てるみたいだね」
あれだけ口うるさかった凄腕の魔導師は、嘘のように静かに眠っていた。
最初に出会った日から、ずっとベッドに伏せっていた彼女は、とうとう上半身すら起こせなくなっていた。
「……ああ、また来たのかい」
「おばあさん、無理は……」
「べつに無理はしてないよ。自分の体に残ってるもんはわかってるつもりだからね」
天井を見上げたまま、瞳はどこか遠くを見ている。
「一人で死にたかったんだ」
ポツリと。
おばあさんは言った。
それは、少し寂しい言葉だった。
「……肉親の方は?」
「孫娘が一人いたよ。これがまた、馬鹿な娘でね。アタシより才能はあったんだが、まあ本当にヤンチャな子だった。ちょいとケンカして出ていったっきり、ろくに帰ってきやしない」
しわくちゃの手のひらが、古ぼけたローブを握り締める。
彼女に贈るために、少しずつ、自由の効かない手で修繕していたに違いないそれに、死霊術師さんがそっと手を置いた。
「……待っていたのですね?」
「地面に仕込んだアタシの魔術を完璧に解除できるのは、あの子だけだからねえ。自慢じゃあないが、王都にいる天才賢者様とやらでも、解くことはできないだろうさ」
事実、その通りだったので、おれは堪らず苦笑した。
「死ぬなら一人で。死に目に立ち会ってくれるのは、あの子だけでいいって……そう思って閉じこもってたのに……まさかアタシの魔術を踏み抜いてくる馬鹿どもが、のこのこやって来るとは思ってなかったよ」
「照れますね」
「褒めてないよ」
声音が弱々しくなっても、おばあさんの言葉の切り返しはやはり鋭かった。
「本当に、最悪だよ。見ず知らずの他人に看取られるくらいなら、アタシは一人で死にたかったね」
「まあ、そう邪険にしないでくださいませ」
掛け布団の上に重ねられたローブの上から、死霊術さんの指が滑らかに下りて、優しく重ねられる。
「これはわたくしの経験談なのですが……人間という生き物は、死ぬ時に一人だと、どうしようもなく寂しいものですよ?」
「おや? アンタは、死なないんじゃなかったのかい?」
「ええ、その通りです。ですが、こんなに強くて美しいわたくしでも、死にかける時は死にかけるものなのです。とはいえ、そんなことは滅多にありませんが」
「かわいくない女だね」
「ええ、よく言われます。わたくし、美しい女ですので」
「アタシと同じだ。苦労するよ」
「はあ? 一緒にしないでいただけます?」
「ああ、一緒じゃあないね。若い頃のアタシの方が十倍は美人だったよ」
「まったく、かわいくないババアですわね」
やれやれ、と。
深く深く、乾いた唇から息が漏れる。
おれは顔を寄せて、おばあさんに問いかけた。
「お名前を教えていただけませんか?」
「いやだね」
これまた、ばっさりと切り捨てられた。
「墓はいらないよ。手間をかけるが、骨はそこらへんに撒いておくれ。家は住みたい人間がいるなら、ギルドを通じて村の人に譲ってもらおうか。耄碌したババアが迷惑をかけちまったからね」
「……わかりました」
「悪いね。けど、名前を聞けないアンタに、余計な重荷を背負わせるほど、アタシはボケてないんだ」
にひひ、と。
溢れるような笑い声は、びっくりするほどに若々しくて。
「アンタらは、名前も知らないババアの死に目に、偶然立ち会った。そういう覚え方をしといてくれ。アタシの最後のワガママだ」
それは本当に、すごくやんちゃな笑い方だった。
笑うだけ笑って、おばあさんは目を閉じた。
「おい」
「はい。なんでしょう?」
名前は呼ばれなかったが、死霊術師さんが自然に言葉を返した。
「あのローブは、アンタにやる」
「……よろしいのですか?」
「服は着るためにあるもんだからね。汚しても破ってもいいから、袖を通してあげとくれ」
「わかりました」
「頼むよ。アンタは……アタシの若い頃に、よく似てるからね」
そうして。
爆発がトレードマークの元気なおばあさんは、とても静かに息を引き取った。
いつの間にか、死霊術師さんは手を離していた。
「死霊術師さん」
「なんでしょう?」
「手。もう握ってあげなくていいの?」
「……ええ。やめておきます」
白い指先をひらひらと振って、死霊術師さんは呟いた。
「やっとぐっすり眠れたのに、わたくしが触って……うっかり起こしてしまったら、大変でしょう?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます