若人の青春に身悶る悪魔

 少年に庇われた姫騎士と、彼女を守って追放が決まってしまった少年。

 そんな二人のやりとりを、気づかれぬように窓から眺めていた人間……否、悪魔は深い溜息を漏らした。

 アリエス・レイナルドは、魔王の勅命を受けて王国に潜り込んだ最上級悪魔……最も誇り高き、十二の使徒の一人である。

 恵まれた容姿。

 巧みな話術。

 そして、反則的とも言える魔法。

 有り余る才覚と能力によって、宮廷内の闘争を勝ち抜き、着実に権力を手にしつつある恐るべき最上級悪魔は、自らの執務室に戻り、扉を締めた瞬間に、叫んだ。



「アァッ……とうといっ!」



 悪魔は、ハジけた。

 己の内側に渦巻く、熱き情動。それを一声で発露させたアリエスは、励起する魔力によって全身の筋肉を膨張させ、身に纏っていた礼服を巡る魔力のみによって、破裂させた。

 より簡潔に表現すれば、上裸になった。


「リリアミラっ! リリアミラ! ミラぁ! ミラさぁん!? どこです!? いるんでしょうッ! 早く出てきなさいリリアミラぁ!」

「はいはいはい。おります、おりますからここに……ってあなた、なんで服脱いでるんですの!?」

「迸る感動と情熱が抑えらなかったのです……! この熱を、私は自らの内から発散させなければ、今にも爆発してしまいそうなのです!」

「うわ……」


 部屋の奥から出てきた少女……魔王軍四天王、リリアミラ・ギルデンスターンは、純粋な興奮によって上半身裸になっている同僚に引いた。それはもう、そのまま部屋の奥に引き戻る勢いで、大きく身を引いた。


「いや、あの……あなた……一体何をどうして、そんなに興奮しているんです?」

「愛ですよ」

「は?」

「愛……愛です! 互いを慈しみ、尊重し合う人間の麗しき心! その瑞々しい在り方を、私は今さっき、ありありと見せつけられたのです! ミラさぁん! あなたも議事堂でのやりとりは、私の耳を通じて一部始終、余すところなく隅々まで聞いていたでしょう!?」

「いや、まぁ……たしかに聞いてはいましたが……そんなに興奮することですか?」

「勿論! 無論! 当然です! あなたは人間だから理解できないのかもしれませんが! 我々悪魔からしてみれば、契約を介することなく、無償で相手を想うその行為……すべてが美しいのです!」


 うねうねと蠢きながら力説するアリエス。そろそろと距離を取るリリアミラ。二人は狭い部屋の中をぐるぐると回った。

 世界一くだらない追いかけっこだった。


「寄らないでくださいます?」

「ならば、私の感動を聞いて共有していただきたい! ここしばらく、宮廷内で権力闘争に明け暮れる腐った人間ばかり相手にしてきたので、すっかり失念していました。少年少女の青い春……その関係性が、かくも甘酸っぱく、心の内に沁み入るものであったことを! 尊い! 実に尊い! 五臓六腑に沁み渡る尊さですよ、これは!」


 第四の牡羊。

 アリエス・フィアーという悪魔は、人間を愛している。

 というよりも、を、愛している。

 人が、人に対して抱く好意。

 自分たちには存在しないその感情に、アリエスは最大の敬意を払い、最上の憧れを抱く。

 勝手に一人で盛り上がっている悪魔をじっとりと横目で眺めて、リリアミラは嘆いた。


「わたくしを良い様に囮に使って、使える人間の手駒と同胞も失って。何の成果も得られなかったというのに、あなただけそんなに楽しそうなのは、なんというかおもしろくありませんわね」

「ん……何を言っているのです? 成果なら存分に得られたでしょう」


 興奮と感動に身を震わせていたアリエスの声が、一段落ちる。


「貴方は、騎士団長と直接対峙することにより、戦力の分析ができた。特に、グレアム・スターフォードは今後、我々にとって最も脅威になるであろう男です。いくら情報を取っても取り過ぎということはありませんし、そのためなら同胞の犠牲も安いもの。違いますか?」

「……」


 酷薄なアリエスの言葉に、リリアミラは黙って目を細めた。

 リリアミラとアリエスは、仲間だ。魔王を通じて、それなりの付き合いになる。性格も趣向も、好むものも、おおよそ理解しているつもりだ。

 しかしそれでも、悪魔が持つ二面性は、時として理解し難いことがある。


「あとはまぁ……有望な若い魔法使いは仕留められず、聖剣の入手にも失敗し、貴重な人間の手駒も失ってしまいましたが!」

「いや、これやっぱり後半だめじゃありませんか?」

「でも! けれども! それでも! 私はこれ以上ない尊さを得ることができました!」

「魔王様に報告するのが楽しみですわね。きっと怒られますわよ」

「ひゅぅぁ……!? たしかに、魔王様に怒られてしまう……」

「ええ。精々、こってりと絞られると良いでしょ……」

「魔王様に踏んでもらえる……!」

「………」


 アリエス・フィアーは、魔王という存在を心の底から、病的なほどに愛している。


「ああ、いつか私も魔王様に、あのように愛していただきたい……!」


 そして、人間のように愛されることを、心の底から望んでいる。


「やれやれ。変態の悪魔にいつまでも付き合っていられませんわ。用も済みましたし、わたくしは帰らせていただきます。うっかり廊下で、あの強すぎる騎士団長とまた出会ったりしたら堪りませんし」

「ええ、ありがとうございました。機会があれば、また少年少女の愛について語りましょう」

「あなたが一方的に語っていただけなんですが……?」


 アリエスは弾け飛んだ自分の衣服の残骸をいそいそと拾い集め、その中から封筒を抜き出した。


「おお、よかった。これは無事でした。個人的に無理を聞いてもらった代わりと言ってはささやかですが……今回の謝礼です。受け取ってください」

「はあ……あなた、馬鹿ですの? 誰が魔王軍の財源を管理していると思っているのです? こんな端金でわたくしを顎で使えるというのなら、二度と……」

「以前、私の屋敷で魔王様がメイドをした時の写真です。転写魔術による撮れたてほやほやですよ」

「アリエス。あなたという悪魔は本当に最高ですわ。困ったことがあればまたいつでも仰ってください。わたくし、協力は惜しみませんわ」

「感謝します」


 悪魔と人間の間に愛は成立しない。

 が、二人の間には間違いなく奇妙な友情が成立していた。

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