そして、勇者は追放される

 総じてやはり、アリエス・レイナルドという大臣は好きになれそうにないと、おれは結論付けた。

 なるほど。彼の言っていることは、たしかに正論だ。

 しかし同時に、どうしようもない嫌悪感が喉の奥から込み上げてくる。これなら、さっきのように上辺だけ虚勢を張って怒鳴るような詰められ方をされた方が、よっぽどマシだ。母国の立場をちらつかせながら、責任の取り方を追求する言い回しは先程のハゲジジイよりも、遥かに陰険でやり辛い。


「……自分が、学友たちを助けたいと思い、行動したのは、自分自身の判断に依るものです。国のことは関係ありません」

「詭弁だ! こいつは最初から隙を突いて聖剣を奪い、自分のものにしようとしていたに違いない!」

「言われてるよ親友」


 レオが小声を添えて、おれを肘でつつく。

 こっち見んな。たしかに、おれはちょっと欲しいなって思ったけれども。

 それにしても、わざわざ呼び出しておいたわりに、おれたちのような外野の意見は最初から聞く気がないらしい。アリアに対して、さらに調子づいた大人たちの追求の声が止まらない。


「そもそも、だから受け入れるのは反対だったのだ!」

「やはり、所詮は妾の血筋か! 盗人根性が丸出しではないか!」


 一言。それが、痛烈に耳に木霊した。

 肩が強張ったのが、自分でもわかった。

 それは少しだけ、聞き捨てならない一言だった。


「ちょ……ダメだよ親友」


 レオの静止を振り切って、前に出る。何事か、と視線がおれに集中する。


「お言葉を返すようですが」


 しかし、剣のように真っ直ぐに。横に伸びた腕が、前に出ようとするおれを押し留めた。

 おれを止めてくれたのは、品のない言葉を浴びた張本人であるアリアだった。

 その横顔を見て、思わず固まる。頭が冷える。

 凛とした顔立ちが、綺麗だった。氷のような怜悧な表情を崩さないまま、薄い朱色の唇が言葉を紡ぐ。


「この身は皆様が仰る通り、国と国の信頼関係を保つために、担保として預けられたものです。気を遣って言葉を濁してくださっていますが……言い換えてしまえば、体の良い人質です」


 あえて言及が避けられていた部分に、アリアは自ら踏み込んだ。

 冷たい語気に、強気な笑みを添えて。


「逆にお尋ねしたいのですが……自分を人質扱いする母国に対して、義理立てする必要があるとお思いですか? そこまで、国のことを想っていると? 買い被っていただいて恐縮ですが、この身はそこまで清廉ではありません。ええ、何分……ですので」


 正しく、空気が凍った。

 アリア・リナージュ・アイアラスの、蒼い瞳は揺らがない。

 おれが内側に抱いていた熱は、それらの言葉だけですっと冷めてしまった。

 少し前までのアリアなら、下を向いて押し黙るだけだったかもしれない。あるいは、激情に身を任せて剣を抜き放っていたかもしれない。

 だが、今。おれの隣にいる女の子は違う。

 月並みな言葉だけれど。

 上から目線の言葉になってしまうかもしれないけど。

 強くなったな、と。そう思った。


「くくっ……ふふふ……はっははは!」 


 そして、奇しくもそれは、相手にも刺さったらしい。

 場にそぐない笑い声が、鋭利な容貌から漏れ出る。

 くつくつと肩を震わせて、年若い大臣は周囲の老人たちに気を遣うこともなく、笑っていた。


「れ、レイナルド殿!?」

「なにを……?」

「くくっ……いや、失礼。ご無礼をお許しください。アリア殿下」


 殿下、と。

 周囲を手で制し、レイナルドはアリアの名前に敬称を付け加えた。


「……いえ、こちらの返答が、お気に召していただけたのなら、なによりです。冗談を言ったつもりは、毛頭ありませんが」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。重ねて、ご無礼をお詫び申し上げます。そこまではっきりと胸の内を曝け出されては、こちらとしてもこれ以上追求することはできません」

「レイナルド……しかし!」

「他意はなかった、と。そう言い切れるのかね!?」

「野暮ですよ、みなさん。私は今、殿下を通じた国と国の信頼関係の話をしておりました。それを、こうも冷ややかに、興味がない、と。鮮やかに切り捨てられてしまっては、もはや反論は無意味。良いではありませんか。我が国にとっても、その方が都合が良い」


 しかも、と。

 次にレイナルドは、冷え切った視線を老人たちに向けた。


「皆様方が、揃いも揃って品もなく当て擦った生まれという出自を、他意がない論拠として逆に提示されたのです。これが戦の場であったなら、我々の完敗と言っても相違ないでしょう。違いますか?」


 侮蔑。軽蔑。

 その発言には人を見下す感情が、たっぷりと含まれていて。もはや押し黙るしかなくなった彼らを見て、レイナルドは薄く息を吐いた。


「とはいえ、貴方は聖剣の所持者になってしまった。その責任は、別に取っていただく必要があります。理解していらっしゃいますね?」

「はい。もちろんです」

「結構。では卒業後、貴方には少なくとも五年間、我が国に騎士として仕えることを確約していただきます」

「……」


 おれの方を振り向いた唇が、言葉を紡ぐ。


 ごめんね。


 短く、唇がそういう形に、動いた。

 アリア・リナージュ・アイアラスは強くなった。

 騎士として。一人の人間として。たくさんの人のことを想い、たくさんの人に想われて、強くなった。

 きっと、それはとても良いことで。

 きっと、それはとても喜ばしいことで。

 けれど、だからこそ。

 強くなったこの子を守りたいと、おれは思う。

 手をあげて、目配せをする。それだけで、グレアム先生は観念したかのように手を振った。

 構わない、という許可だ。


「失礼します。自分からも、よろしいですか?」


 割り込んで、言う。


「そもそも彼女が責任を問われている、使用許可もなしに聖剣を使った、というお話ですが……許可なら下りています」

「なに?」

「おれが許可しました」


 視界の片隅で、さらに先生が天井を仰ぐのがわかった。

 いやほんとに、ごめんなさい先生。


「貴様、何を言って……」

「彼女は、です。そして、彼女に聖剣を渡したのも、おれです。現場における判断の責任を問うのであれば、それらの責はすべて、自分にあります」


 自分でも、驚くほど平淡な声が出ていた。

 騎士の責任は、主が取る。

 無茶な理由を、無理に通して、理屈に変える。


「そしてなにより……あの場で聖剣を引き抜き、彼女に渡して使うように指示したのはおれです。そうだよな? アリア」

「……」

「アリア・リナージュ・アイアラス。嘘偽りなく、答えてくれ」

「……はい。その通りです」


 アリアは、嘘を吐かない。


「レオ・リーオナインも、それを目撃し、聞いています。そうだな?」

「はい。彼が彼女に聖剣を渡す一部始終を、自分は見ておりました。責任を追求するなら、すべては彼にあるかと。自分は、アリア殿下を擁護するために、この場に馳せ参じた次第です」


 爽やかな笑顔で少しも見ていないことぬけぬけとほざくイケメンはめちゃくちゃ殴りたかったが、しかし今だけは我慢しよう。打ち合わせもなしに合わせてくれたのが、本当に有り難い。

 さすがはおれの親友だ。


「処分を、お願いします」


 大人たちが、頭を抱えていた。

 いいね。どうか存分に頭を抱えてほしい。

 あちらの狙い……というよりも、レイナルドの狙いは、最初から明白だ。

 

 アリアがこの国にやって来たきっかけ。三年間という、人質期間の延長。そんなこと、させるわけがない。

 こちらを見下ろすレイナルドの目を、見返す。アリアがもしも、生まれに関する発言で言い返さなかったら、さらに十年でもふっかけるつもりだったのだろう。あるいは最初から、アリアの発言を認め、身内を諌めて共感を誘い、提案を飲ませる腹積もりだったのかもしれない。


「その場合、きみには相応に重い罰が下ることになりますが、理解していますか?」

「はい。理解しています」


 そっちは最初から優位に立って交渉しているつもりかもしれないが、おれはそもそも交渉する気がない。

 ざまあみろ、というやつだ。


「つまり、きみは彼女の分まで、自分が責任を取ると。そう言うのですね?」

「はい」

「ちょっと待ってください! あたしは」

「アリア」


 近づいて、軽く肩を叩く。


「大丈夫だから」

「……」


 ずるい封じ込め方だったが、今のおれにはこれしかできない。


「わかりました。良いでしょう」


 微笑を浮かべて、レイナルド大臣が、おれの肩に手を置く。

 気安く触れないでほしかったが、払い除けることもできず、言葉を待つ。


「アリア・リナージュ・アイアラスの処分については見送りましょう。彼女は自由だ。その代わり、貴方からは騎士の資格を永久に剥奪し、今後、この議事堂に立ち入ることを禁じます。これは、あなたが二度と、騎士としてこの国の政治的なやりとりに干渉できないことを意味しています」


 微笑には、そのまま笑みを返した。

 元々、政治に関わる気はない。


「貴様を、騎士学校から追放する! 即刻、この場から出て行け!」


 レイナルドの言葉を引き継いで、おれの処分を告げる太い声が響き渡った。





 議事堂を出て、すぐ。

 追いつかれたアリアに、腕を掴まれた。


「なんで……こんなことしたの?」


 なんで、と言われても。

 その答えは、決まっている。


「アリアはおれの騎士だから。だから、絶対に渡したくなかった」


 たとえ、相手が国であっても。


「ばか……」

「ごめん」

「ばか……ばか! ばか!」


 仕方ないから後は任せろ、と言いたげにレオが苦笑いしたので、その好意に甘えることにした。

 力が込められていない腕を、振り払う。振り返ることはしない。

 強くなった女の子は、泣いている顔をきっと見られたくないだろうから。

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