紅蓮の舞踏

「ドラゴンは抑える。悪魔をやって」


 武闘家の短い指示を聞いて、沸き立ったのはむしろ悪魔達だった。

 あの化物がドラゴンに掛かり切りになるなら、まだ勝ちの目はあるのではないか。付け入る隙が生まれるのではないか、と。


「じゃあ、よろしく」


 そんな安堵を、突撃する騎士が切り裂いていく。

 迂闊に彼女に触れた悪魔は、瞬間に燃え上がった。逆にその剣から逃がれようとした悪魔は、骨の芯から凍りついた。

 人数が減ったからスピードが落ちた、わけではない。人数が減ったからこそ、その連携はより濃密に洗練され、まるで撃ち放たれた矢のように。

 女騎士と勇者の進撃は、むしろ勢いを増して、加速していく。


「結局、2人になっちゃったね」

「ご不満か?」

「ううん。たまにはいいんじゃないかな」


 頭兜の下で、勇者には気づかれないように、アリアは笑う。

 いつぶりだろうか。彼の隣で、剣を振るうのは。

 いつぶりだろうか。彼が隣で、背中を預けてくれるのは。


「勇者くんのテンポを、一番知ってるのはあたしだもん」

「じゃあ、合わせてくれ」

「うん。わかった」


 戦いとは、本来楽しむべきものではない。勝利という究極にして唯一の目的がある以上、それに向かって突き進むのが、戦いに望む騎士の正しい在り方だと、アリアは考えている。

 あるいは、鍛錬や研鑽の過程に意味を見出しているムムはまた違った答えを導き出すかもしれない……というか、現在進行系で明らかにドラゴンを殴り倒すことを楽しんでいるのだが。少なくともアリアは、戦いを楽しむことはないように、己自身を律してきた。

 勇者と再び肩を並べて戦う、この瞬間までは。


 ────ああ、楽しいなぁ。


 久しく感じていなかった、喜びがあった。

 彼と共に戦場を駆ける高揚が。彼と共に次の一手を探る思考が。彼と共に敵を斬り伏せる興奮が。

 それらすべてが、アリア・リナージュ・アイアラスという騎士の全身を、熱く熱く燃え上がらせる。


「勇者くん」

「なんだ!?」

「不謹慎なこと言っていい?」

「聞くだけ聞く!」

「ちょっと楽しい」


 背後で勇者が、苦笑いを浮かべる気配があった。

 戦場の中心で、アリアと勇者はダンスを踊る。

 密着するような近さで背中を預けあって、身の丈を優に超える大剣を振るっているにも関わらず、その刃は襲い来る悪魔だけを的確に切って捨てる。むしろ、お互いの死角を補い合って、美しく舞い続ける。

 それは、互いの呼吸を完璧に把握していなければできない動きだった。

 彼と彼女は、互いの呼吸を完璧に把握しているからこそ、それが可能だった。


「楽しむ余裕があるなんて、随分と余裕じゃないか!?」


 最上級悪魔の声は、アリアが想像していたよりも、ずっと近くで響いた。

 ジェミニの魔法に、間合いという概念は存在しない。他の悪魔と入れ替わる形で2人の目の前に一瞬で転移した少年は、犬歯を剥き出しにしながら拳を振り上げた。

 小柄な子どもの体から繰り出される、けれども直撃すれば確実に肉を貫くであろうその殴打から、騎士は勇者を庇って守る。


「騎士ちゃん!?」


 頭部に、直撃。頭兜ヘルムの前面が衝撃で砕け、破片が頬を切った。フェイスガードが半分に割れて、鎧を着込んだ体が大きく仰け反る。

 確かな手応えに、ジェミニは薄く笑った。


「……問題ない」


 だが、騎士はその体を、大きく仰け反らせただけだった。割れたフェイスガードの中から覗く騎士の視線が、悪魔と交差する。

 おそろしいほどに、冷たい人間の瞳だった。

 背筋が冷たくなる感触に、ジェミニは薄く汗を流した。

 切り返し。上半身が跳ね上がるのと同時に、大剣の分厚い刃がジェミニの肌の表面を撫でる。斬撃を避けて、もう一撃。拳を叩き込もうとしたジェミニは、しかしそこで思い留まって、『哀矜懲双へメロザルド』で転移した。


「残念。惜しかったな」


 追い詰められていたはずの騎士は、少しも息を乱さずに、そんな言葉を口から吐いた。

 十分な間合いを取り直したジェミニは、逆に荒く息をしながら、騎士を殴った拳を見た。その肌は爛れ、黒く焼け焦げている。頭を殴り抜いた瞬間に、彼女に触れたからだ。


「意外と冷静だね。もっと長く触れてくれれば、


 ほどけた金の長髪が、風を受けて広がる。騎士は、真顔だった。

 脱ぎ捨てられた兜が、凍った地面に落ちる。その周囲の氷が、一瞬で溶け消える。


「意外と悪辣だな」


 わざと打たせたのか、と。悪魔は歯噛みした。

 彼女の魔法の肝は、おそらくという認識そのもの。数秒でも接触してしまえば、あるいは体を掴まれてしまえば、瞬間に体を燃やし尽くされてしまうだろう。

 ジェミニは理解した。勇者を殺すためには、彼の隣にいるこの女が、最も邪魔な存在だ。

 とはいえ、その魔法特性を理解してしまえば、やり様はいくらでもある。踏み込むのが危険なら、こちらから踏み込まなければいいだけのこと。


「それなら、片方を引き剥がさせてもらうよ」


 女騎士に視線を合わせ、魔法によって位置の入れ替えを行おうとした、その瞬間。

 分厚く張られた氷の壁が、騎士と勇者の姿を覆い尽くした。


「なっ……!?」


 対策に、対応があった。


「同じ手は、二度は食わない」


 騎士が呟く。

 見ただけで、対象を捕捉できる。ジェミニの魔法は、間違いなく強力だ。しかし、いくら強力でも『視界に入らなければ能力は発動できない』というタネは、すでに割れている。


「タネが割れた手品ほど、つまらないものはないな」


 勇者が呟く。

 刹那、氷の壁が、内側から溶け出して、ジェミニは目を見開いた。

 出力最大。剣から迸る炎の刃を限界まで延長したアリアは、それを躊躇いなく振るった。たった一閃で、数え切れない悪魔達がその身を焼き裂かれ、地面に沈んでいく。

 身を低くして横薙ぎの斬撃を避けたジェミニの頭上を、熱気が掠めていった。


「無茶苦茶な攻撃を……」


 しやがって、と。言い切る前に、ジェミニはそれに思い至る。


「上に跳べば良かったのに」


 地面に膝をついてしまった。凍った地面に、長く触れてしまった。

 蛇が獲物に纏わりつくように、ジェミニの脚を霜が這い上がる。敵の攻撃から逃れるための脚が、地面に縫い付けられる。


「しまっ……」

「その、ご自慢の魔法でも────」


 その声音に、愉悦はない。

 勇者に向けて語りかけていた時のような、喜びは欠片もない。


「────ら、転移はできない」


 騎士は、ただ勝って殺すための、事実を敵に突きつける。

 派手な連携を見せれば、片方を落とさなければという思考に囚われる。片方を落とせないのであれば、せめて引き剥がして各個に撃破しようと考える。引き剥がそうとするならば、悪魔は必ず魔法を使う。

 いずれも、それらすべてが、勝つための冷たい駆け引きの上。

 戦いの勝敗は、力だけでは決まらない。

 戦いの勝敗は、数だけでは決まらない。

 互いの持つ手札を把握し、読み合い、狙いを通す。その先に、力の差、数の有利を覆す勝利がある。


「やっちゃえ、勇者くん」


 その騎士は、隣に立つ勇者の思考を完璧に把握し、呼吸を理解し、言葉がなくても考えを読み取って、実行に移す。勇者にとって、最高の騎士という言葉は唯一人、彼女のためだけに存在する。


 『紅氷求火エリュテイア』アリア・リナージュ・アイアラス。


 誇りを掲げる剣には、情熱と冷厳が矛盾なく宿る。

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