悪魔と真実

 正直に言えば。

 子どもの皮を被ったその悪魔が口にした事実を聞いて、おれは動揺した。間違いなく、心が揺れ動いた。

 コイツが、黒幕なのか。コイツは、いつからおれの側にいたのか。そもそも、何の目的で、あの子をおれと近づけたのか。

 様々な疑問が、頭の中でぐるぐると、ぐるぐると渦巻いて、その結果、


「うるせえ」


 困惑よりも、怒りが勝った。

 芝居がかった目の前のバケモノのセリフが続く前に、手と足が前に出た。自然に体が動いた、と言った方がいいかもしれない。

 ソレは少なくとも、見た目は子どもの姿をしている。だが、目の前に溢れ出る異常な魔力の気配は、明らかにソレがバケモノであることを示していた。故に、先手必勝。

 的が小さい。しかし、容赦する必要はない。肩を掴み、膝を顔面に入れようとして、


「手が早いね」


 次の瞬間には、おれの体は十数メートル後ろに飛ばされていた。

 物理的に、ではなく。何らかの特別な力によって、だ。


「っ!?」


 奇妙な浮遊感から、重力が体に戻って、着地。足が触れて、台座が倒れる。そこに飾ってあったはずの花瓶が、何故か少年の手元にあった。

 空間転移の魔術、ではない。高位の魔導師であれば、短時間で自身や他者の転送も可能だが、いくら短距離とはいえ、これだけのスピードで転送魔導陣を構築できるとは考えにくい。


「……魔法か」


 正体を現してから、はじめて。得体の知れない子どもの表情に、純粋な驚きの色が浮かんだ。


「へえ、びっくりしたなぁ」

「今の一回でわかるなんて、すごいすごい」


 パチパチ、と。なんの重みもない軽い拍手の音が響く。

 剣は、部屋の中に置いてきた。拳で戦うしかない。しかし、相手は二人。殴ればなんでも壊せる師匠ならいざ知らず、鈍っているおれの腕では一撃で致命傷を与えるのは難しい。

 不幸中の幸いというべきか、ここは船内の狭苦しい廊下だ。接近はしやすい。片方を組み伏せて、関節を決めれば……


「いろいろ考えてるみたいだけど」


 視界が、暗転した。


「それじゃ遅いよ」


 目の前に、朗らかな少女の顔があった。

 咄嗟に交差させた腕に、先ほどのお返しとばかりに、拳が叩き込まれる。みしり、と骨の軋む嫌な音と共に、全身が勢いのままにふっ飛ばされた。

 突き当りの壁に、衝突。息を吐いて、膝をつく。少し遅れて、床に落ちた花瓶が割れる音が響いた。


「……ガキのくせに、パワーあるな」

「だって、ガキじゃないもん!」

「人を見た目で判断しちゃダメだって、習わなかった?」


 空間を操作する類いの魔法であることは、確かだ。しかし、タネがわからない。


「一発入れた程度で、調子に乗るなよ」


 強がりと一緒に、血が混じった唾を吐き捨てる。


「こわい顔して凄んでみせても、ダメだよ勇者さま」

「こっちの魔法マジックは、タネが割れてない。でも、そっちの魔法マジックは、全部タネが割れてるんだからさ」


 間違いない。コイツらは、おれたちの魔法を知っている。厳密に言えば、おれの魔法を把握している。


「ぼくたちは魔法が使える。きみは魔法が使えない」

「これじゃあ、勝負にならない。子どもでもわかることだよ」


 子どもの姿で、バケモノはさぞ楽しげに嘯いてみせる。


「生憎、こっちは世界を救った勇者なんでね。今さらちょっとばかし格の高い悪魔が出てきたところで、なんとも思わないんだわ」

「強がりもそこまでいくとおもしろいね」

「滑稽だね」


 間合いを取っても意味がない。あの空間操作系の魔法の正体を看破しない限り、攻撃の主導権は常にあちらにあると言って過言ではない。


「仲間が来てくれるの、待ってるんでしょ?」


 しかも、頭までよく回るときた。もう本当に、勘弁してほしい。


「ぼくたちとお話をして、時間を稼ぎたい気持ちはわかるけど」

「無駄だよ、仲間はこない」


 小さな手を繋いで、バケモノは少しずつ歩み寄ってくる。


「だって、きみのパーティー、


 なんでもないことのように、悪魔は言ったが、


「お前ら……」


 言葉が、続かなかった。

 戯言だと。切って捨てるには、その一言はあまりにも強烈だった。


「勇者さま、勇者さま」

「世界を救ってから、ずーっと勇者さまのことを見ていたよ」

「いつも、遊んでくれてありがとう」

「魔王様の呪いは、辛かったねぇ」

「でも、もう大丈夫だよ」

「わたしたちが、勇者さまをその呪いから解放してあげるよ」

「……お前らが何を企んでいるにせよ。あの子は、渡さない」


 呪いから解放する、とコイツらは言った。

 基本的に、高位の呪詛の解呪は、それをかけた術者にしかできない。

 必然的に、二匹の悪魔は自分たちの目的を声高に宣言していた。


 魔王の復活。それが、このふざけた悪魔の狙いだ。


「あの子は渡さない?」

「そんなこと言って、勇者さまだって、もう気がついているんでしょう?」

「何に?」

「またまたぁ。とぼけちゃってぇ」

「残念ながら、お前らの正体に気がつけなかったくらい、鈍感なんでね。あんまり察しがいい方じゃないんだ」

「無知を誇れるのは、人間の美徳だね」


 少女が笑い、少年が言う。


「あの子、記憶喪失じゃないよ」


 あまりにも、あっさりと。それを言われた。


「……」


 驚きはなかった。

 わかっていなかった、と言えば嘘になる。


 ────ここがどこなのか。今が何日の何年なのか。自分が誰なのか。そういうことを、まったく覚えていないんです


 本当に記憶喪失であるのなら、まず困惑があって然るべきだった。何を覚えていて、何を忘れているのか。あんなにも落ち着いて自己申告できるわけがない。


 ────聴覚だけでなく、視覚にも作用する呪い……ということは、感覚器官だけじゃなく、魂そのものに作用するような……


 明らかに、魔術の知識があった。呪いがどういうものであるかを理解し、おれの体にかけられたそれを、冷静に分析していた。


 ────でも、本物のお姫さまに会うなんて、多分はじめてですよ

 ────わたし、こんなにきれいで良いお洋服を着るの、はじめてだったので

 ────勇者さん勇者さん! わたし、海見るのはじめてです

 ────勇者さん勇者さん! わたし、ドラゴンに乗るのはじめてです! 


 はじめて、と。繰り返し言っていた。

 最初は誤魔化していた。だけど、途中からはもう誤魔化せなくなっていた。

 あんなにも、キラキラと顔を輝かせて。自分がそれを見るのが、触れるのが、はじめてであることを、彼女自身が確信していたのは明らかだった。

 悪魔の言葉の根拠は、あの子と過ごした時間の中にいくらでも転がっていて。

 だから、反応が遅れた。


「殺しはしないよ。そういう契約だからね」

「最後に一つ、教えてあげる」


 気がつけば、手を触れられていた。


「ぼくは『双子ジェミニ』」

「わたしは『双子ジェミニ』」


 声が、はじめて重なって。


「「ぼくたちわたしたちは『第六の双子ジェミニ・ゼクス』だ」」


 名前が、聞こえた。

 聞こえてしまった。

 その事実に、おれは目を見開いた。


「お前、名前を……なんで」

「さあ」

「どうして、でしょう?」


 答えを、掴む前に。


「────哀矜懲双へメロザルド


 告げられた魔法によって、おれの視界は闇に閉ざされた。

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