ハランシク・スラザーラ(七)

 しょうしょに対する返書は、翌日九月六日に今の大公[スザレ・マウロ]により、国主[ダイアネ・デウアルト五十五世]に上書された(※1)。

 返書に対して、国主は摂政[ジヴァ・デウアルト]の力を借りて、どうにか裏書をしたが、それ以降はもはや、死ぬまで筆を持つことすらかなわなくなったとのこと。


 翌々日の九月七日。

 青年[マウロ]派は、コステラ=デイラに使者を出し、鳥籠[宮廷]が返書を受け入れたことを伝達するとともに、和睦が成ったので、その日のうちに兵を引き上げた。

 良識[トオドジエ・コルネイア]派も誠意を示す必要があったので、兵の引き上げを確認した後、さっそく、南門から、防壁を低くする作業に入った。


 さらに九月九日。

 青年派がめていたコステラ河の流れをもとに戻し、水路の水かさが元に戻ると、コステラ=デイラのみやこびとは、ようやく和議が結ばれたことを実感した(※2)。



※1 国主[ダイアネ・デウアルト五十五世]に上書された

 返書に加えて、約定書の写しと、添え状が三通つけられた。

 添え状を出したのは、マウロ、サレ、ハランシスクの三名。ハランシスクの添え状については、サレが代筆した。


※2 ようやく和議が結ばれたことを実感した

 こうして、サレの妨害により、一度は失敗した、良識派と青年派の和議はなった。

 都の治安を巡る緑衣党と赤衣党の対立、執政官位と徳政令の問題、サレによるコステラ=デイラの防備増強、マウロとハエルヌン・ブランクーレの確執、青年派と遠北州の同盟。

 これらが複雑に絡み合っていくさが生じたわけだが、なぜ始まって、なぜ終わったのかについて、都人の間では、正確に理解できなかった者は少数であっただろう。

 そして、それは、後世の史家にとっても似たようなものであるが、彼らの、このいくさに関する評価をいちばん難しくしている要因は、意図の読み取りづらい、サレのいくつかの行動にあった。

 いくさは、遠北州と同盟した青年派の、コステラ=デイラへの攻撃からはじまったが、なぜ、マウロがそのような行動に出たのか、出ることができたのかについては、サレのそれを検証することが肝要であり、その中に、このいくさが生じた真因があると私は考える。

 このいくさが起きた一番の原因はサレにあり、また、彼の選択によっては防げたとするのが私の主張だが、マウロおよびカスト、そしてブランクーレにその責を負わせる論について、全否定するつもりはない。

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