スラザーラ内乱記注解

ハランシク・スラザーラ(五)

　控えの間で待機していたサレのもとへ、見覚えのある摂政[ジヴァ・デウアルト]の女官が近づいて来て、庭のひとつへ案内された。

　公女[ハランシスク・スラザーラ]は、出された物に一切口をつけるなと釘を刺しておいたのに、茶を飲み、菓子を食いながら、部屋の中にいた、天文学に詳しい貴族を捕まえて(※１)、あれこれと質問をしていた。

　庭では、露壇に置かれていた椅子に摂政が坐っており、その横には[オルネステ・]モドゥラ侍従が立っていた。

　サレは女官にうながされるまま、摂政の前に立ち、芝生の上で片膝をつき、一礼した。

「[南衛（なんえい）]府（ふ）監（かん）宛ての詔（しょう）書（しょ）を返す。あと、今の大公[スザレ・マウロ]宛てのものも、私の添え状をつけて、おまえに預ける。府監から、大公どのにお渡ししてくれ。儀礼上、問題はあるが、お上[ダイアネ・デウアルト五十五世]より、一刻も早く和議を結べとのご下命だからな」

　摂政の言葉を受けて、盆に載せた三通の書状を恭しく捧げ持ちながら、モドゥラ侍従がサレに歩み寄って来た。

　盆が自らの前に置かれると、サレは「畏まりました」と、再度、一礼した。

　無言で、サレの様子をしばらくながめていた摂政だったが、おもむろに立ち上がると庭に降り、サレに近づいた。それから手を払い、モドゥラ侍従と女官を遠ざけた。

　つづけて、身をかがめると、サレの耳元で次のようにささやいた。

「お上が、残り少ない命を削って書かれた詔書だ。ゆめゆめ疎（おろそ）かにするな。本日、天（てん）鷺（ろ）宮（きゅう）からの帰り道で、大公どのと話をつけてこい。その際はできるだけ、おまえが譲歩するのだ。公女の、そのお心を含めた安全の確保と、おまえのコステラ＝デイラでの地位の保全、このふたつ以外は望むな。……そうしなければ、今回の争いにつき、中立を保ってきた宮廷が、青年[マウロ]派に肩入れをする名目ができる、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]に対してな」

　摂政の言に対して、サレは深く頭を下げ、「仰せのとおりに」と答えた。

　サレが話を受け入れると、摂政は腰を落とし、彼の肩に右手をのせ、「叶わぬことだとはわかっているが、お上の魂が月に召されるその日まで、都は安らかであってほしいのだ」と、独り言のようにつぶやいた。

「いいか、ノルセン・サレ。これはおおきな貸しだぞ。お上からおまえへの」

　「はっ。重々承知しております」とサレが顔を上げると、摂政は微笑を浮かべていた。

「承知したのは結構だが、おまえは、だれに借りを返せばよいのかわかっているのか？」

「いえ、いや、それは……」

「……内親王にだよ。私とお上の間にできたお子に、おまえは借りを返すのだぞ。いいな」

　摂政というお方は、都（みやこ）人（びと）から妖怪と言われ、自身の栄達のために国主を利用していると噂されていたが、彼なりのやり方で、妻子を愛しているのだろうと、かけられた言葉の音調から、サレは感じ取った。

　話し終えて立ち上がった摂政がふいに、「コルネイアは天鷺宮から逃げたぞ。いまは行方知れずとのことだが、府監はどこに行ったと思う？」と、サレにたずねてきた。

　彼はひとつ息を呑んだあと、数瞬考えたのちに、「北でございましょう」と、摂政を見上げた。

「そうだとした場合、今から結ぶ和議に、どれほどの意味があるのだろうな？」

　そう言うと、摂政はサレの返答を待たずに、露壇から鳥籠[天鷺宮]の中へ戻って行った。

※１　天文学に詳しい貴族を捕まえて

　ハランシスクは引きこもりであったが、各地の学識を持つ者との書状のやりとりは活発的に行っており、この貴族も、知り合いのひとりであったのだろう。