雪、とけて(七)

 初夏七月。

 思いもよらぬ形で、薔薇園[執政府]と鳥籠[宮廷]が混乱している最中、あれやこれやと言い訳をしながら、和議の約定の履行を遅らせつつ、サレは近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]からの書状を待っていた。

 近北公の動静については、都中の者たちが上下問わず、気をもんでいたが、公は州都スグレサから動こうとはしなかった。


 この時、サレとウベラ・ガスムンを悩ませていたのは、近北公の「病気」であった。

 遠北公[ルファエラ・ペキ]がサルテン要塞を攻めた際、近北公の手で根絶やしにされていたはずの、近北州内の反ブランクーレ派が蜂起した。

 名のあるいくさ人はだれひとり参加していない、百名足らずの蜂起であったが、近北公は強い危機感を持ち、自分がきっかけを作った一人である、西南州の政変を放置して、州内の統制強化を優先する考えを側近たちに示した。

 いつもの「病気」にかかってしまった主を説得中である旨(※1)、ガスムンがサレに書状で知らせて来た。


 近北州軍に、西南州へ早急に来てもらわなければ、サレは身の破滅であったので、寝ても覚めても、そのことばかり考えて、夢の中に、目の下のくまの濃いお方が、毎夜出るほどであった。


 和議の約定であった、コステラ=デイラの防壁の撤去だが、遅々と進まぬ状況にモウリシア[・カスト]がしびれを切らし、赤衣党を使って、撤去を急いだ。

 それは約定違反であったが、サレは強く言える立場ではなかったので抗議はせず、その代わり、赤衣党がやってくれるというのならば、緑衣党は不要と言い出して、作業をやめさせてしまった。

 受け入れ先を協議中という名目で、緑衣党はコステラ=デイラに残っていたので、赤衣党はその襲撃におびえながら、作業を行うことになった。

 また、コステラ=デイラの防壁が頑丈であったうえに、陽に陰にサレの邪魔が入ったため、赤衣党による防壁の撤去は進みが遅かった(※2)。


 そのような状況下で、ラウザドから、米俵に入った硝石が着々とコステラ=デイラの米蔵に収められていった。

 実は、少数の兵で、コステラ=デイラを守るために必要な火縄[銃]の火薬が尽き欠けていたので、サレは何としても、ラウザドから硝石を運び込む必要があった。

 なぜ、火薬が足りなくなったのかと言うと、まず、籠城に必要な量について、サレの見込み違いがあった。それにくわえて、不慮の火薬庫の爆発が加わり(※3)、彼は対応を迫られていたのだった。


 コステラ=デイラへの米俵の輸送は、公女の名で行われたうえに、金を与えた貴族たちの協力もあって、青年[スザレ・マウロ]派は手出しができなかった。

 倉庫への搬入に際して、赤衣党の検視役に、他で保管中の古米から配るので倉庫に入れるのだと言い訳をしたり、別の検視役を買収したりと、いろいろな手を使って、事が漏れるのを防いだ。


 しかし、この謀略は、予定の半分の硝石を持ち込む前に、モウリシアの蛮行のために失敗してしまった。

 緑衣党に、太陽の旗(※4)を挿した荷駄を護衛させ、ラウザドから「塩の道」を通って、都に近づいたところで、モウリシアが直に指揮する赤衣党の襲撃を受けた際、事が露見した。

 この瞬間から、都では大混乱が生じ、サレはまた、コステラ=デイラに閉じこもるために、不眠不休で戦った。


 憤怒した今の大公[スザレ・マウロ]は、サレおよびコステラ=デイラを粉砕するために、直属軍のすべてを投入しようとしたが、塩賊が襲来の準備をしている、近北州軍がセカヴァン平原に現れた、バージェ[ガーグ・オンデルサン]候に不穏な動きがある、などのうわさ(※5)に浮き足立った鳥籠[宮廷]に止められたので、全軍の投入は諦め、サレ鎮圧の指揮はモウリシアに委ねたままにされた。


 三日三晩の戦いの果てに、その時まで取っておいたオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]の、人を越えた活躍もあり、サレは何とか、ふたたびコステラ=デイラに籠ることができた。

 また、作業に手慣れた緑衣党の働きで、コステラ=デイラの防壁の強度も、問題のない水準にまでどうにか回復された。

 この時のみなの働きにサレは深く感謝し、いくさが終わったあと、せめて自身が見聞きした範囲の者たちだけでも、身銭で謝意を伝えようとしたが、三日間の記憶がすっかり抜けてしまっており、だれがどのように働いたのか、まったくおぼえていなかった。


 サレの約定破りにより和議は破棄された(※6)。

 それを受けて、今の大公は、ちょくせつてんきゅうに乗り込んで鳥籠を落ち着かせると、コステラ=デイラ攻めの指揮を直接執ることにした(※7)。



※1 いつもの「病気」にかかってしまった主を説得中である旨

 ガスムンのクルロサ・ルイセ宛ての書状には次のようにある。

「米に虫がわくのを防げぬように、すべての近北州民を自分の味方にできぬことなどは分かりきっているはずなのに、病人が聞く耳を持たず困っています。全戸の調査となれば、スザレ・マウロ討伐よりも金がかかるかもしれません」


※2 赤衣党による防壁の撤去は進みが遅かった

 赤衣党は、貴族の子弟と帰順した塩賊を中心に構成されていたが、貴族の子弟は土木作業に従事することに消極的で、なかには拒否する者すらいた。

 そのため、元塩賊の党員が中心に撤去を行ったが、彼らは重要な箇所からではなく、作業がしやすいところから撤去を行った。

 それに加えて、都の慢性的な木材不足という事情があったにせよ、物惜しみをして、木材を再利用するために、解体作業に時間をかけるという愚もおかした。

 マウロおよびカストが上の状況を認識していたにせよ、部下に任せて放置していたにせよ、重大な失態であった。

 その原因は不明であるが、彼らが裕福な貴族出身であったためであろうか。

 ちなみに、ラウザドのオルベルタ・ローレイル宛ての書状にてサレは、「私なら、なるべく早く防壁を無力化するために、夜に乗じて燃やしたでしょう」と、半ば冗談めいた文句を残している。


※3 不慮の火薬庫の爆発が加わり

 この爆発については、赤衣党としていくさに参加した者の証言がある。ただし、カストが陣頭指揮を執る総攻撃の最中であったため、その騒音にかき消されて、攻撃側で気がついた者は少数であり、責任ある立場の者へ報告は届かなかった。

 火薬の取り扱いについては、ローレイルから何度も注意喚起がされていたが、サレは重要視せず、死者が出るほどの惨事を招いた。後に、サレはローレイルに対して、謝罪の書状を送っている。


※4 太陽の旗

 スラザーラ家の家紋を指す。


※5 うわさ

 すべて虚報であり、サレが流したのであろう。


※6 サレの約定破りにより和議は破棄された

 当然、ハランシスクの家督放棄の件も霧消した。一報を聞いたボルーヌ・スラザーラは心労のあまり気絶した。


※7 コステラ=デイラ攻めの指揮を直接執ることにした

 この和議の一件については、他の史料を参照にしつつ、多くの史家がサレの動きについて疑問を呈している。とくに和議の約定として防壁の破却に応じている点を問題視し、策を弄さず、籠城を続けていたほうがよかったのではないかと、指摘する史家が多い。その他にも、トオドジエ・コルネイアの身柄引き渡しやハランシスクの家督放棄の提起などは、無駄な動きであった。

 サレの妄動の原因については、極度の緊張状態の継続や過労のために、正常な判断を失っていたためだろう。

 そして、そのような状況下にサレを追い込んだものとして、近北州軍の南下の遅れを挙げる者が多数である。

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