コステラ=デイラ(六)

 六月の中頃には、頼りになりそうな縁戚の者たちは皆、コイア・ノテの乱に絡んで死に絶えていたことがわかった。

鹿しゅうかんの警固の職につけば暮らしは楽になるが、それは後が怖い。政争には巻き込まれたくない」

 我が身ひとつで一族郎党を養い、借金を返していく必要から、サレは仕事を求めた。

 商人たちと話しあっているうちに、いちばん割が良いと思われたのは、西南州南岸の塩田と都をつなぐ、「塩の道」に現れる塩賊退治であった。

 コイア・ノテの乱後、稼ぐ手立てを失った平民や軍を離れた兵などが塩賊となり、集団で武装して、「塩の道」で旅人を襲ったり、商人の荷駄を奪ったり、勝手に関所を設けるなどしていた。また、「塩の道」付近の集落を襲う事例も多発していた。

 塩賊を取り締まる力が、大公[ムゲリ・スラザーラ]死後の混乱で多数の兵を失っていた薔薇園[執政府]になかったため、西南州の治安は急速に悪化していた。


 ポドレ・ハラグに相談すると、「汚れ仕事ではありますが、背に腹は代えられませんからな」と賛同してくれた。

「塩賊を退治すれば褒賞金が出るし、彼らの財貨の一部も懐に収めることができる。・・・・・・弱い者たちから奪い取った財貨のおこぼれで、糧を得るのには嫌だが仕方がない」

「よいではありませんか。財貨に経歴が書いてあるわけではなし。……うまくやれば、薔薇園からお役をいただけるかもしれません」

「父上と兄上の件からそれは難しいだろうが、オントニア[オルシャンドラ・ダウロン]を遊ばせておくわけにはいかないしな」

 コステラ=デイラで暮らし始めると、すぐに西征でのオントニアの勇名は忘れ去られ、暴力ざたばかりを起こすならず者として、都人の眉をしかめさせていた。

 良かれと思って連れて来た、ホアラで田畑を持たぬ若者たちも、オントニアに感化されたのか、元からそのような気質であったのかはわからないが、オントニアのまねをして都人に迷惑をかけることが多かった。

 しかし、オントニア以外の若者は、サレやハラグのしつけで大分落ち着いてきたり、放逐したりして、サレ家の名を傷つけることは稀になっていた。

 やはり問題はオントニアであった。

「力が余っているのだ。あれはいくさがなければ死んでしまう男だ」

とサレはある程度理解を示し、オントニアが暴れた酒家に自ら謝りに行くなどしていた。

「頭を下げるのはただですが、店を直したり、けが人を治療をしたりするのは金がかかりますからな。塩賊退治でいくさ場に出しておくのがいちばんでしょう」

とハラグが他人事のような響きを持たせて言った。

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