西征(三)

 盛夏八月三日早朝。

 鳥籠とりかご[てんきゅう](※1)にて、樫の木に止まっていた無数の黒揚羽蝶が、一匹の鳥のような形を保ちながら、北へ向かって飛び去るのを見たと、女官が言い出した。

 真偽不明(※2)かつ前代未聞の現象を、宮廷の占い師は吉兆と断じた。これを伝え聞いた大公[ムゲリ・スラザーラ]は、初秋十月と定めていた西征の開始時期を晩夏九月に早め、その旨を各州へ伝えた。


 このため、九月十五日に都で予定されていた馬ぞろえは八月二十五日に繰り上げられ、本来参加するはずであった、西征軍の主力である東南州の兵馬は準備のために不参加となり、西南州の軍のみが摂政[ジヴァ・デウアルト] (※3)の閲兵を受けることとなった(※4)。



※1 鳥籠[天鷺宮]

 天鷺宮は、国主であるデウアルト家家長の宮殿の名。都人からは鳥籠と呼ばれ、宮殿に仕える者たちは鳥と通称されていた。


※2 真偽不明

 サレはウベラ・ガスムン宛ての書状にて、国主ダイアネ・デウアルト五十五世の夫である摂政ジヴァ・デウアルトの策謀であると言及しているが、その目的と証拠については触れていない。


※3 摂政[ジヴァ・デウアルト]

 生来病弱であった五十五世は、「短い内乱」がはじまる前から人前に出られる状態ではなく、摂政であった夫ジヴァが政務を代行していた。


※4 閲兵を受けることとなった

 この時点での各州の動きとしては、近西州は遠西州との州境にすでに兵を進めており、宿営地を造ると共に、補給路の確保を進めていた。

 東部州は、州を統括する州馭使ボンテ・ゴレアーナの体調が思わしくなく、その回復を待って進軍を開始する予定であった(結局、ゴレアーナは病死した)。派兵が遅れることにスラザーラは難色を示したが、その代わりとして大量の物資が届けられたので、その機嫌は直った。

 近北州は、半年前に行われた遠北州征伐に主力として参加したため、今回の遠西州の討伐については不参加を認められた。

 最後に遠北州だが、ムゲリの傘下に加わったばかりの遠北州は治安を維持するために兵が動かせず、また検地の最中であったので、同じく不参加が認められた。しかし、馬の産地として、軍馬の供出は求められた。この処置には、大公の支配を未だに受け入れていない者の多くいる、遠北州の戦力を削ぐ目的も加わっていた。

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