第79話 父の教え

 冬休みであることを利用して、家事の一切を引き受け、母には療養に専念してもらった。


 心配された体調は、目立った悪化は起こらず、三日後の今日は、僕から見てもわかるような回復を見せている。


 相変わらず発作的に起こる咳が残っているが、熱も上がらず、その他の不調はないらしい。今も僕とホムが作った夕食を残さず食べ、父とともに幸せそうな笑みを浮かべている。


「……ごちそうさま、リーフ。あの特製フライパンで焼いた鶏肉は、外の皮目はパリパリなのに、中はとてもふっくらとしていて美味しいわ」

「ありがとうございます、母上」


 食欲がきちんと戻っていることに安堵しながら、僕も笑顔で頷いた。ソースにはすりおろした玉葱とみじん切りにした玉葱を飴色になるまで煮込んだものを合わせてみたのだが、それもパンで拭うようにしてきれいに食べられている。父の皿も、母と同じようにもう随分前に空になっていた。


「今日のソースも手間暇がかかっていて絶品だったな。あの深みと香りにずいぶんと食欲を刺激されたよ」

「ふふっ、私もなのよ」


 相槌を打ちながら立ち上がった母の横に周り、空の皿を受け取る。


「……無理は禁物です、母上。家のことは、僕とホムに任せてください」


 夕食の片付けをしようとする母を制し、食卓の定位置に押し戻す。母は笑顔で頷き、僕とホムの頭を交互に撫でた。


「ありがとう、リーフ、ホム。二人がいてくれて助かるわ」

「お役に立てましたなら光栄です、ナタル様」


 ホムが恐縮した様子で深々と頭を下げる。


「…………」


 そんなホムを、父が険しい顔で見つめているのが気になった。


「なにか気になることがありましたか、父上?」

「ああ、いや……。最近、ホムンクルスの闇取引が横行していてな……」


 娘とそのホムンクルスにそうした話を聞かせて良いか迷ったのだろう、父は歯切れ悪く答えながら、実際に起こっている闇取引の概要についてざっと教えてくれた。


 どうやら、ホムンクルスが高値で取引される奴隷マーケットのようなものが組織ぐるみで行われているらしい。


「少女の姿で可愛らしいホムンクルスは珍しい。ホムが狙われる可能性は高いだろうな」


 父がなにを言わんとしているかということはわかったが、敢えてそこには触れずに解決策を模索することにした。覚醒から三日、そろそろ肺呼吸にも慣れたことだろうし、次のステップに進むタイミングでもある。


「では、念のために護身術を覚えさせた方がいいですね、父上」

「……そうだな。今のうちに教えておこう」


 明日は父も久しぶりの休みだ。良い機会なので、父に護身術を教えてもらうのが良いだろう。母との交流は料理や家事で上手く時間を使えているが、仕事で家を不在にしがちな父からはほとんど何も学んでいないのだから。


「……ありがとうございます。父上が指導くださるなら、ホムも心強いことでしょう」

「はい。よろしくお願い致します、ルドラ様」


 ホムンクルスの闇取引という話は不穏だが、いいタイミングで、ホムに武術を教える機会に恵まれた。護身術を身につけておけば、いざというときに、護衛に使えるだろう。本当の脅威は神人カムトや女神なのだが、そんな話は誰にも信じてもらえないだろうから、良い口実が出来た。




 翌日の早朝。父に起こされた僕とホムは、庭で近接格闘術マーシャルアーツの基本を学ぶことになった。


「……これから教える内容は、護身のためのものと考えてもらいたい。軍人が戦闘において使用する技術であり、敵の殺傷を目的としていることも忘れないでいてほしい」


 こうして父が仕事で使っている技術を教える姿は、まるで学校の先生のようだ。多分、部下もたくさんいるようだし、普段からこうして誰かを教育する機会も多いんだろうな。


 軍事機密に密接に関わる父の仕事は、これまでほとんど知る術がなかったのでなんだか新鮮だ。


 父はまず、近接格闘術マーシャルアーツの概要を僕たちに説き、武器を持った相手を制圧する方法や、投げ技などの非殺傷戦闘の基本を教えてくれた。


「最も重要なのは基本姿勢だ。戦闘が必要な場面では、まず身を守ることを最優先とすべきとされる。なぜだかわかるか?」

「ホム、答えられるかい?」


 およその予測はついていたので、ホムで答え合わせをしてもらうことにする。ホムは少し考えてから、父の目をまっすぐに見つめて答えた。


「……冷静に任務を完遂するためには、敵から受けるダメージを最小限に抑える必要があるからです」


 ホムには感情抑制を入れているが、肉体的なダメージはそれだけで制御できるものではない。原理を理解していれば、行動に移すのも早くなる。ホムは答えながら、父が自然に取っていた戦闘の基本姿勢を真似た。


「そのとおりだ。実際に攻撃を受けた場合、冷静さを保つことが困難になる。受けたダメージが深刻な場合は反撃さえままならない」


 丁寧に言い聞かせながら、父はホムの基本姿勢を少しずつ修正していく。


「基本姿勢のポイントは、まず、顎を引くことだ。しっかりと引き、そこに攻撃がこない様に両手を目線の高さに上げる。いつでも動けるように、膝は軽く曲げるんだ。……もう少し肩幅に合わせて足を開くといい、初動を速くできる」


「……こうでしょうか、ルドラ様?」


 父の指導を受けながら、ホムが基本姿勢を調整していく。僕も見よう見まねで基本姿勢を取ってみると、ホムの姿勢の弱点が見えた。


「初動を速くするのが目的なら、体重を前後の足に均等にかけた方がいいぞ、ホム。前後にも左右にも動けるよう、意識するんだ」


 僕の指摘に合わせて、ホムがステップを踏みながら自身の姿勢を調整していく。それを見ながら、父が満足げに頷いた。


「そう。それなら、いつ相手から攻撃されても、防御できる体勢になる。顎を打たれなければ、頭部へのダメージはかなり軽減できるからな」


 なるほど。僕は実際に戦うわけではないけれど、この姿勢だけは覚えておいてもいいかもしれない。


 次に父は、基本の受け身を前後左右、様々な角度で行って見せ、常に顎を引いて臍部さいぶを見、腕全体で衝撃を和らげるように指導した。


 僕はどうしても尻餅をついてしまったが、ホムは父の言うことを見る間に吸収し、父と同じ動きを身につけた。


「なかなか筋がいいな。では、基本的なパンチなどの打撃、蹴りをやってみよう」

「かしこまりました。よろしくお願い致します」


 父から本格的な攻撃のレクチャーを受けたホムが、鏡で映したようにその動きを自分のものにしていく。殴打や蹴りなど、基本的な打撃技を教わると、次はその応用、絞め技や投げ技へと進んでいく。


 父は攻撃だけではなく、必ず防御や抑制もセットでホムに教え込み、ホムは父を相手に打撃や絞め技、投げ技から逃れる方法を学んだ。


「……いやはや、驚いた。ホムがここまで優秀とは……」


 基本姿勢こそ理解に少し手間取ったものの、その後は全ての動きをあっさりと呑み込んだホムは、父の真似を完璧にこなしていく。呑み込みの早いホムに、父の表情はいつしか少年のような輝きを見せていた。


「……これほどの逸材が、我が軍にいたならばと思うと、軍人の血が騒ぐな。ホムンクルスの戦闘力はどれほどのものか、手合わせしたいものだ」

「構いませんよ、父上」

「……いいのか? いや、しかし、娘ほどの年頃のホム相手に拳を振るうのは、さすがに気が引けるな」


 その心配はない。ホムが傷ついたところで、回復させればすむことなのだから。それよりも心配なのは、ホムが加減できるかどうかだ。これは、ある意味で試しておきたいという好奇心が僕の方にも湧いた。


「……ホム、父上を傷つけずにできるかい?」

「仰せのままに、マスター」


 基本姿勢を取りながら、ホムが父に拳を向ける。父も表情を軍人のそれに変化させ、ホムとの手合わせが無言のままに開始された。


 結果は想像していたよりも、ずっとスマートなものだった。


 父の攻撃に対して、ホムはひたすら防御に徹する。かと思えば、後退しながら安全な場所まで父を誘導しており、足払いで転倒させた上で、喉元に寸止めの手刀を入れた。


「信じられない……。この見た目でこの力……」


 すっかり息を切らせた父が、肩で息を吐きながら大の字で庭に寝転んでいる。


「しかも、たった一度教えただけでこれだけの戦闘センス見せつけられるとは……。まるで、カナド人を相手にしているようだ」


 カナド人というのは、大陸の北部にある草原地帯に住む遊牧民族だ。彼らは生まれつき高い身体能力を持ち、魔獣を狩猟してその日の糧とする戦闘民族でもある。この街の西側にもカナド人街と呼ばれる一角があり、特にカナド通りと呼ばれる大小様々な店が軒を連ねる大通りは大いに賑わっている。


「ありがとうございます、ルドラ様。ですが、リーフ様をお守りするにはまだまだ足りません」

「リーフをマスターとして慕っているんだな、偉いぞホム」


 真顔のホムが口を滑らせたのかと慌てたが、父が素直に言葉のまま受け入れてホムの頭を撫でたのでほっと息を吐いた。


 それにしても、父がカナド人と見紛うほどの身体能力をホムが有しているというなら、僕が描いた術式は正しく機能したということだろうな。あの感電騒ぎで、酸素吸入装置が短時間とはいえ止まっていた影響は、そろそろ除外しても良いのかもしれない。

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