第25話 引っ越し

「オーライ!オーライ! はい、ストップ!」

「ありがとう、優くん」


レンタカーの軽トラックを器用に操って、果歩は狭いスペースに車を停めた。


「じゃあ、荷物を運び出すよ」

「うん、お願いします」


今日は、引っ越し――

住み慣れたアパートを後にして、果歩が俺の家へやってくる。

質素な暮らしをしていたせいか、果歩の部屋には荷物が少ない。


それと相まって果歩のアパートと我が家が比較的近こともあり、引っ越し作業は午前中で終わりそうだ。


「やっぱり、男の子がいると早いね」


作業に勤しむ俺を見た果歩が言う。


「いやいや…… それより中の物は全部荷台へ乗せちゃうよ?」

「うん、お願い。じゃあ、私は雑巾がけしたら、大家さんに電話しちゃうね」


解体されたクローゼットが入った段ボール箱を荷台へ上げる。

そんな作業を数回繰り返し、荷物を運び出し終えた俺は、荷物にロープをかけ始めた。


「こんにちは、お疲れ様です」


そんな声がして振り返ると、大家さんと思しき人が果歩を尋ねて来た。

どうやら、大家と果歩による部屋引き渡しの確認らしい。

しばらく二人は部屋と外を行ったり来たりしていたが、大家が出した書類に果歩が捺印して鍵を返すと全ての工程は終了した。


「お待たせ、優くん」

「お疲れさま」


キュルキュルルッ、ブゥーン


エンジンが始動すると、果歩は名残惜しそうに自分が住んでいたアパートを見上げた。


「記念にアパートの前で写真を撮る?」

「良い?」


今にも車を走らせようとしていた果歩だが、俺が声を掛けるとサイドブレーキを再び引いた。


「じゃあ、これでお願い」


スマホを果歩から受け取り、笑顔でアパートの前に立つ果歩をパシャリ――

プレビュー越しに見えた笑顔は何処となく寂しそうだった。



 果歩は軽トラックを走らせて我が家を目指す。

歩けばちょっとした距離だが、車で行くには近すぎるといった距離感。


気付けば、あっと言う間に自宅へ着いてしまった。


「到着~」


果歩がサイドブレーキを引きながら告げる。

我が家の玄関は作業のために開け放たれており、リビングから母さんが迎えに出て来た。


「これで終わり?」

「はい、そうです。お手を煩わせてすみません」

「何言っているのよ。果歩ちゃんは優斗の相談役でしょ?」


そう言う母さんに、果歩は恥ずかしいのか目を逸らせて小さく「はい」と応えた。


「お疲れ様、果歩―― じゃあ、荷物は俺が運ぶからリビングで休んでいなよ」


荷台から荷物を下ろして二階へ運ぶ。

俺の部屋は階段を上がって、道路に近い六畳間だ。

そして、その隣が果歩の部屋。


二つの部屋は引き戸間仕切られていて、引き戸を開けてしまえば俺と果歩の部屋は一つの部屋になる構造だ。


ドサッ


荷物を置いて、窓を開ける。

部屋に舞う埃が窓からゆっくりと抜けていく中――


「よし! あと少し……」


俺は再び階段を降りて、軽トラックの荷台を目指した。

十数分後――


「終わったよ!」


リビングへ行くと、母さんと果歩が二人で話しながらお茶を飲んでいた。


「お疲れさま! すぐお茶を淹れるから座ってて!」

「自分でやるから大丈夫だよ?」

「良いの良いの、やらせて!」


いそいそと果歩が湯飲みを俺の前へ置いて、ポットから急須にお湯を注いだ。

少し時間を置き、湯呑へお茶が注がれる。


「果歩ちゃん、本当に気か利くわね」


満足気に母さんが何度も頷く。


「やだ、お母さんったら……」


そんな風景を見て、俺も少し和んだ。

休むこと小一時間――


「果歩、軽トラはいつ返すの?」

「レンタカー屋には明日の午前中まで借りるって伝えてあるけど」

「じゃあ、今日はゆっくりで良いんだ」

「うん、せっかくだし、今晩ドライブに行かない?」


遠慮がちに俺を見る目が可愛い。


「果歩ちゃん良いの? 軽トラじゃムードも何も無いじゃない。お父さんの車を使っても良いよ?」


母さんの癖に何を言う!


「ううん、大丈夫です。お父さんの車はいつだって乗れますし……」

「そ、そうね。でも、果歩ちゃん、変わっているわね」

「へへ…… 良く言われます」

「果歩、もちろん俺はオーケーだから」

「うん、じゃあ今のうちに荷物解いてくるね」


果歩はリビングを出て行くと、パタパタと階段を上って行った。

果歩の気配が消えると、母さんが俺の袖を引っ張った。


「優斗、絶対にあの子を逃がしちゃ駄目よ? 今時、あんな子いないわよ……」

「そ、そうっすね」



 夜空に月が低く輝き、俺と果歩は揃って家を出た。

十二月にもなると、当然、外は寒くて吐く息が白い。


 「じゃあ、優くん、行こうか」


ヘッドライトを灯し、静かに軽トラックが走り出す。

直列三気筒のエンジンは軽快に吹け上がり、地元の住宅街を抜けた。


国道20号線に出ると車の流れは速く、一段と車のスピードが上がる。


「安全運転で行くね」


そう言った果歩だったが、周りの車に合わせて、それなりのスピードで国道20号線から国道16号線バイパスへ進路を取った。


「どこへ行くの?」

「考えていないけど、海が見たいな」


そう応える果歩の顔は真剣だ。

そういえば京都から地元まで運転してくれた時もそんな顔をしていた。


しばらく国道16号線を走り、国道129号線へ乗り換える。

ここで俺も気が付いた。


「そうか、湘南へ行くんでしょ?」

「もうバレちゃったか・・・ そうだよ」


果歩がクスクスと笑う。

この道は家族で何度か通ったことがある。

夏休みに海水浴へ行こうとして、大渋滞にはまった記憶が蘇った。


「この道ってさ、昔、家族で海水浴に行ったときに通った道だよ」

「じゃあ、思い出の道なんだね」

「まあね。良い思い出じゃないけど、小学生の時に海水浴へ行った時に家族で通ったんだ」

「何でそれが良い思い出じゃないの?」


不思議そうに果歩が首を傾げる。


「夏休みだったからね。ずーっと渋滞でさ。子供だった俺はトイレへ行きたくて地獄を見たよ」

「うわー、それは大変だったね。大丈夫だった?」


彼女の声色から心配しているのが分かる。

だが、隠し切れていないんだなぁ? 

その緩んだ口元を――


「聞いちゃうかなぁ…… まあ、聞くよね。ごみ箱に捨ててあったペットボトルにしたよ。最悪の思い出だよ。だいたい、母さんなんて写真まで取ったんだぜ!」

「うあ…… でも、ちょっと可笑しい。あはっ! あははは…… ご、ごめんね」

「良いよ。もう果歩は家族なんだから……」

「あははは…… えっ?! 嬉しい。ごめんね、笑っちゃって……」


軽トラは渋滞にも捕まらず高速道路の入り口前を通過した。

ここまで来れば、あと一息で海沿いの道へ出る。

そんな時、果歩が静かに口を開いた。


「私ね、優くんや、お父さんや、お母さんに言えなかった事が有るんだ」

「なんだよ、唐突に。誰だって言いたくないことの一つや二つ、あるでしょ?」

「ううん、言うつもりだったの…… でも言い出し辛くって……」


なんて言えば良いのだろう。

経験豊富な大人なら、気の利いたセリフも思い付くのだろう。

こんな時、俺は自分が子供なのを悔しく思った。


「言いたいなら聞くよ?」

「じゃ、じゃあ…… い、言うね」

「バッチコイ!」


俺は果歩に向かってサムズアップしたが、そんな空気じゃないようで果歩は頬を膨らませた。


「もう! ちゃかさないでよ」

「ふへっ……」


怒られちゃった。


果歩は深呼吸した後、少し間を置いてぽつりぽつりと話し始めた。


「えっと、優くん。なんで私が親の話をしないと思う?」

「うーん、仲が悪いとか? でも、果歩って凄く良い人だからな…… 考え難いな……」


そもそも、果歩の人柄を知って好印象を抱かない人は少ないだろう。


「まあ、良い人っていうのは素直に嬉しいけど、親子仲が悪いって考えるのは普通だよね。ただ私の場合は違うんだよ。丁度、今ぐらいの時期かな…… 赤ちゃんだった私は児童養護施設の前で発見されたんだって」


彼女の告白を聞いた俺は言葉を失った。


果歩の操る軽トラが、道路を照らす水銀灯でできた回廊を走り抜ける。

いつの間にか海岸添いの道を走っていて、窓から見える景色は真っ暗だ。

それでも目を凝らせば真っ黒い海、そして時折、波の合間に漁火が見え隠れしていた。


――果歩は続ける。


「そこで私は十二歳まで育ったの。あまり、良い環境では無かったかな。嬉しいこともあったけど、嫌なことも沢山あったんだ。でもね、ある日、外部の人に向けたお遊戯会みたいなことをする日があってね…… もう分かると思うけど、私はそこでお爺さんとお婆さんに出会ったの……」


異世界物にある奴隷市での品定めシーンを連想した。

もちろん、そこには金品のやり取りは無く善意だけがあったと信じたい。

いずれにしても、あの老夫婦に引き取られたなら上出来だろう。


だから俺は――


「良かったじゃん……」


と応じた。

しかし、彼女が俺に伝えたかったのはそうではなかった。


「ううん。そこで共同生活していた子供たちは皆、優しい誰かに引き取ってもらうことを夢見ていてさ。私に声がかかった時、私より小さい子が『お姉ちゃんだけずるい』って泣いたんだよね。この時まで、私はそうした子たちを姉弟のように、可愛がっていたんだけど……」


まるで懺悔するかのように語る果歩の声のトーンが変わった。


「でも仕方ないよ。そういう施設だって際限なく子供たちを受け入れることはできないんだから……」

「うん。でもね、そういった事情は別として、私は家族が欲しくって結局、お爺さんとお婆さんに引き取ってもらったの」

「そっか、児童養護施設の子供たちを置いて行くのが辛かったんだな・・・・・」


やっと分かった。

仮とは言え家族がいるのにそれを置いて、一人だけ引き取られた自分を責めている。

加えて、どんどん幸せになる自分を責めているのだ。


「残された子達もきっと優しい誰かの家族になったさ」

「うん、そうだと良いな…… だからね、今回の話、すっごく嬉しくて、幸せ過ぎて、これで良いのかなって。苦しくなったの」

「そっか。まあ、ここだけの話―― そんな果歩だから、俺は君が好きになったんだと思うよ」


果歩の目が大きく見開かれた。

そこで、俺も自分が何を言ったか気付いて、取り繕おうとした。


「えっと…… 今の忘れてね?」

「嫌っ!」

「おい、忘れろよ! ここだけの話って言ったよね?」

「嫌だもん」


軽トラはゆっくりスピードを落として路肩に寄った。

ハザードを点滅させた軽トラを後から来た車がどんどん追い抜いて行く。


「私だって優くんのこと大好きだよ。これからもずっとずっと……」


果歩の顔が迫ってくる。

大きい瞳には、涙が零れそうなほど溜まっていた。


(こんな俺で良いのだろうか……)


俺は目を瞑った。

瞬間、唇に柔らかい感触が伝わる。

果歩の唇が動き、俺の唇を押し広げようと模索している。


意図を汲み取り唇を緩めると、そこから無遠慮に果歩が進入してきた。

絡み合う舌と舌――


追い抜いて行く車がスピードを落とせば、俺たちが何をしているか丸見えだろう。


果歩の唾液が口腔内へと流れ込み、俺はそのまま飲み下す。

美味しくはないが、吐き出すようなものでもなかった。


「はぁはぁ……」


唇を離した果歩が、肩で荒く息をする。

今度は俺の番だ――


無理やり引き寄せ、果歩の唇を乱暴に奪った。


「んぅ~」


果歩が小さく呻いたが、それは最初だけ。

拒むように俺の胸に置かれた手から力が失われると、後はお互い貪り合う獣になった。


どれくらい、そうしていただろう。


「はあはあ…… 気が済んだ?」

「う、うん。 優くん、ごめんね。無理やりこんなことをして。もし優くんに好きな子ができて、私が邪魔に……んむぅ……」


その先は聞きたくない、また強引に奪った。

そして簡潔に伝えた。


「言うな! これからは一緒だから」

「うん……」


しばらく抱き合って、笑いあい、もう一度唇を重ねた。

再び軽トラは走り出した。


ムードも何もあった物じゃない。


でも、なんか良い。

傷ついていた二つの魂が重なり合って溶けて行く――

そう思える夜だった。


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