悪役令嬢転生小説に転生してみた

天宮さくら

悪役令嬢転生小説に転生してみた

 私の名前は笠井美菜。底辺に近い中小企業でなんとなくOL業をして生きている。月収十数万。給料少なすぎもっとくれよ! って思うくらいに仕事はストレスマックスだし、同僚はどこまでいっても冴えないダルい胡散臭い。毎日が薔薇色とは正反対の灰色濁色ばかりで、表面は繕っているけれど中身は毎日ムシャクシャしてる。

 そんな私の最近の夜のお楽しみは、悪役令嬢に転生してそこからのし上がる主人公の物語。世に言う悪役転生小説だ。それをじっくり丁寧に読み込むことが、楽しくてたまらない。

「マジこれヒット。楽しすぎるでしょ」

 そう呟きながらページを捲る。捲ると言っても私が買ったのは書籍ではなく電子だから、たいして音もないし重みもない。気軽に指を横にスライドさせれば次の展開が繰り広がる。こんな簡易な作業でページを捲れるのだから、技術の進化はホント助かる。

 私は小説の文字を追いかけつつ大好きなポテチを数枚口に運ぶ。パリッという軽い音が、ページを捲る音の代わりに私の周囲を賑やかにしてくれる。

「いいな〜悪役令嬢転生! 私もやりたいわ」

 悪役令嬢転生小説の良いところは、中身はサイテー、でも社会的地位はサイコーなところ! そのギャップが原因で他人に非難されまくって、そして悲劇的な最後を迎える悪役令嬢。ここから這い上がるしかないってだけで、将来は明るい未来しかない。悪役令嬢の生まれは貴族で決定だし、どんなに口悪いこと言っても「あいつは悪役だから」で許される。羨ましい! 私が他人の悪口を言えば「あいつは性格悪いブスだから」と陰口ばかりになるに決まってる。それに比べて悪役令嬢はどんなに悪口言ったって許されるし、正論言って他人から非難されたって動じない。むしろカッコいい。羨ましすぎて仕方がない。

「いいな〜………未来がわかれば、私だってどこまでも強気でいけるのにさ」

 悪役令嬢転生小説の特徴は、なんといっても未来を知っていてそれを変えようと努力すること。

 考えても見てよ。悪役って言われるのはさ、その生き様が聖人とはまるで逆だったってことでしょう? 悪役令嬢っていうだけで、物語のスタートからそいつの人生は終わってるってこと。ザ・エンドを迎えちゃってるワケ。それがさ、転生小説になるとコロッと変わるの。そこまでの生き様がものすっごく悪にまみれていたのなら、それを知って乗り越えようとする主人公がいる。その主人公は元になっているキャラが悪役だから、どんなに弾けた行動したって問題ない。全部許される。「あいつなら仕方ね〜よな」ってみんなが認めてくれる。その上で正義をなすのだ。そしたらマイナススタートからのプラスアルファになって、たちまち彼女は世界のヒーロー! 眩しくって仕方ない。

 未来がわかるのは最強だ。それさえわかれば日常冴えなくて最悪な人生歩んでいる私だって、その世界で最強最高の華やかヒロイン。イケメンが私に勝手に惚れてくれて、国を一つ預けてくれたりするのだ。

「私も悪役令嬢転生、してみたいな〜………」

 そう呟きつつ、私はごろ寝から熟睡へと移行した。



「最近はどいつもこいつも転生転生。マジでアホばっかりじゃない?」

 人を馬鹿にしてるような言葉が耳に届き、閉じていた瞼を開ける。目を開けた景色は会社の会議室だった。モノトーンでくすんでいて汚らしくって狭い、会議室じゃなくて棺桶でしょって思わず文句を言いたくなるような小さな箱。最悪で最低なお目覚めだ。

「何、あんた?」

 目の前には、見た事のない女がいた。髪は下品などっピンク。上半身は軍服で下半身は超絶ミニスカートにロングブーツ。おまけに頭には小さな冠を載っけてる。安っぽいアイドルスタイルに思わずふいてしまう。

「何その格好! マジダサいんですけど!」

 あまりの場違いで思い違いな見た目に笑けて仕方ない。

 私のツッコミに、目の前の女は対して興味なさそうな視線を寄越した。その視線は侮蔑にまみれていて、こいつマジクソ、と心の底からの感情が湧き上がる。

「私からすれば、他人の人生ばかりを羨んで生きてるあんたの方が何倍もダサいんだけどね。ま、それは置いといて」

 女の手元には私の一番のお気に入りの悪役令嬢転生小説・書籍版があった。その名も『私ってば悪役令嬢に転生して国の一大事を変えちゃった?!』。世情が荒れつつある時代の中、国の一番の悪役令嬢に転生してしまう主人公。その未来は国民からの謀殺で締め括られる。だから転生した主人公はそれを避けるために全力で行動を起こすのだ。

「あんた、この主人公になりたいの?」

 女が私のお気に入りの本を片手で持って雑に振った。バサバサと本が揺れる。乱暴に扱われて、私はこの女に殺意を覚える。

 ───マジ、死ね。

 私の大好きな物語。私がなってみたいなと淡く願う物語。それを雑に扱われるのは、本当に許せない。

「何よ。あんた、私のこと馬鹿にしてんの?」

 女を睨みつける。けれどこいつは怯まない。

「まあね。ま、それでも私は運命の女神様だからさ」

 は? 何言ってんの、このアマ。

 私は目の前の女をまじまじと観察する。どこまでいっても馬鹿っぽい格好。他人の気持ちをガン無視する、空気読めない系女。その発言はアイドルみたいに媚びたりしない。自分しかないって感じ。

 それが、女神様?

「………何馬鹿なこと言ってんの? あんたみたいな女が女神なわけないじゃん」

 私の言葉に怒り狂えばいい、赤面して暴れ回ればいい───そう思って言ったのに。女は私の願いに反して笑みを見せた。

「そうね。宿命、運命、奇跡、偶然、可能性。全部を全部、いい加減に見据えているあんたなら、私の存在は眩しくって本質を見定められない。馬鹿にする気持ちが湧き上がるのも無理はないってね」

「何馬鹿なこと言ってんの? あんたみたいな見た目の女に何ができるってのよ。どうせ自分の体を他人に売って日銭を稼ぐぐらいしかできない頭なんでしょ?」

 それを思えば私はマシだ。貧しい中小企業の事務員だけど、自分の体を売ることはない。他人に媚を売って生きているわけではない。こんなしがないアイドル業で生計を立てていそうな女よりも、日々退屈だけど自力で生きてる私の方が幾分かマシだ。

 そう、思ったのに。

「そういうあんたは自分を売ることなく日常に自分を埋没させている。それは私よりもかなり惨めな生き方だと思うけどね。さて、と。ジャッジメーント!」

 女が手をパンパンと叩いた。乾いた音が会議室に響く。

「魂と心の狭間で出会ったあんたにちょっとしたラッキーをプレゼント! 悪役令嬢転生、やってみる?」

「は? 意味わかんない」

 そう言い終わる前に、会議室の電気が消える。暖かな空気を吐き出していたエアコンが突然機嫌を変えて冷風ばかりを叩きつけた。

「そうだなー、ま、試しにこの小説の主人公くらいがいいんじゃない? あんたが一番愛して夢見て憧れてるこの小説。他人を貶すことでしか自分を確認できない中身を持つ女が、とある聖女を迎え入れたら一国を救う女神になれる。ホント、空想の産物でしかないね。あんたにピッタリ。最高だよ」

「馬鹿にしてんの?!」

 暗闇の中でそう叫ぶ。さっきまでは閉じられた空間だったのに、気づけば声は遠くにいってしまって、どんなに待っても戻ってこない。

「バカにしてないよ。むしろ、どうでもいいって思ってる。でもそれもあんたに相応しい評価じゃなくって? 他人を羨むばかりで自分を顧みない。ああホント、素敵な結末だね。それじゃお元気で。楽しい転生ライフ楽しんで」

 どこまでも私をバカにする女に何かヒドいことを言ってやろうとするけれど、椅子ごと物凄い勢いで後ろに引っ張られていく。その重力で私は気を失った。



 瞼を開ける直前に聞こえた会話はとても物騒で不穏だった。

「ねえ、大丈夫かしら? 私たちの責任にされない?」

「よせよ。放っておけ。どうせ死んだって誰も悲しまない。それよりも証拠を隠滅しようぜ」

 その言葉を聞きながら私は徐々に意識を取り戻す。そして思い出すのだ、これは『私ってば悪役令嬢に転生して国の一大事を変えちゃった?!』の主人公・奈美が悪役令嬢・レミーに転生してすぐの場面。小説の元になった有力貴族の娘・シャンリーがうっかりで屋上から身投げをすることになり、それを何故か頭で受け止めてしまったという衝撃展開で物語は始まる。そのことでレミーは気絶するのだ。

 ………確か、奈美はここで気丈に振る舞うんだっけか。じゃ、それに倣って私も気丈に振る舞わなきゃ。

 そう考えてヨッコラセと上半身を起こす。その行動に、部屋の隅にいたメイドと執事がびくついた。

「えっと………何が起きたの?」

 小説で読んだ時に受けた印象よりもずっと頭が痛いし首も痛い。この衝撃って下手したら死んでるんじゃない?! って腹たつレベル。

 説明を求めて見たメイドは、小刻みに肩を震わせている。その様子にホンのちょっと、小気味の良い気持ちになる。

「何さ、そんなに震えちゃって。ねえ、何が私の身に起きたのさ?」

「あの………その、屋上からシャンリー様が足を踏み外して、それで………」

「それで? 何? ちゃんと言ってくんなきゃわかんないんだけど」

 私は怯えるメイドを睨みつける。その行為にメイドの顔は真っ青になった。

 それを側から見ていた執事がメイドを庇うようにして彼女の前に立つ。その振る舞いに私は自然と舌打ちをした。

「レミー様は屋上から落ちたシャンリー様をその頭上で受け止められたのでございます。シャンリー様は王子の妃候補のお一人、その方を助けられたということは、国王からお褒めの言葉を預かるに相応しい名誉ある行為に他ありません!」

 必死に私を褒めようとする執事に、それまでメイドに抱いていた加虐心がスッと収まる。

 ………私ってばダメダメ! こんなことじゃ悪役令嬢転生でこの国一の女に成り上がれないじゃん!

 私はゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着ける。

「ふぅ〜ん、そうなんだ。教えてくれてアリガト。下がっていいわ」

 そう言って私はメイドと執事を下がらせる。医者っぽい男が最後まで去り難そうに私を見ていたけれど、必死に帰れと合図を送るとやっと部屋を出ていった。

「さて、と。どうしよっか」

 私はこの小説の仕組みをよぉ〜く知っている。だからこの先の展開だって丸わかりだ。

 シャンリーがどうして屋上からうっかり飛び降りることになったかというと、それはあのメイドと執事の悪戯が原因だ。本当はあいつら、屋上にレミーを呼びつけて殺そうとしたのだ。それをなんとなく察したレミーがシャンリーを無理矢理屋上に行くよう差し向け、そしてシャンリーは騙されて屋上から落ちた。レミーは屋上に騙されて行ったシャンリーの結果がどうなったのかが気になって、ちょっと窓から頭を出したところでずどんとシャンリーが頭上に落ちてきた。不運極まりない。

『私ってば悪役令嬢に転生して国の一大事を変えちゃった?!』の今後の展開はこうだ。本来の物語の進行は、悪役令嬢はシャンリーを殺そうとした罪を着せられて処刑される。その処刑を見てレミーに虐められ続けたメイドや執事、そして領民たちは大歓喜。シャンリーはめでたく王子と結婚しめでたしめでたしだ。

 悪役令嬢らしい最後だけれど、奈美がレミーに転生したストーリーは結末をガラリと変える。実はシャンリーは忌み嫌われるレミーの存在を利用して、王子からの寵愛を勝ち取ろうと画策していたのだ。あのメイドと執事も実はグル。運よくレミーが死ねば万々歳だし、死ななければそれを使って哀れな女を演じる。サイテーなのはレミーではなくシャンリー。それがこの小説の面白いところ。

 だから『私ってば悪役令嬢に転生して国の一大事を変えちゃった?!』のラストは、レミーはシャンリーの狡さを国民全員に知らしめて、王子を魔の手から救う。そして王子はシャンリーに対して淡い恋心を抱いていた自分を反省し、国を支えるにふさわしいレミーを妃として迎え入れるのだ。

 つまりレミーは、それまでの嫌われ者から勝ち組に鞍替えすることに成功したのだ。

「となると、あのシャンリーの化けの皮、さっさと剥がしてやらなくっちゃ」

 私は小説に書かれていた物語の進行を思い出す。どうしたらシャンリーがボロを見せてその悪役っぷりを披露することになるのか。小説を読みながら考えた以上の暴露を、私は表現してみたい。そうすれば実際の小説よりも短時間で王子様の寵愛を受けることができるに違いない。

 ………でもここで一抹の不安が胸に押し寄せる。

 小説に書かれていた展開と違う動作をしたら、小説とは違う結末を迎えてしまうんじゃないか? 王子様ではなく別の貴族に愛されてしまうんじゃないか? 正直、この小説に出てくる男はクソばかりで、選択肢は王子様一択。それ以外はあり得ない。だって性癖がサイテーだったり性根が腐ってたり見た目最悪だったりな男ばかりで、選択肢として死んでいる。全部全部、論外ばっかり。私に相応しいのは底辺だったりモブだったりする貴族なんかじゃない、王子様。それ以外はどーでもいい。

「ま、せっかくの転生だもの。なんとしてでも勝ち取らなきゃ」

 窓から顔を出して外を見る。その空は私が知っている空とはまるで違う、薄雲のかかった緑色をしていた。



「どうしてこうなったのさ。意味不明すぎるんだけど」

 私は屋敷の中で窓の外を眺めながら呟いた。

 外は混沌としていた。街の至る所で火炎瓶が投げられ放火が続いている。馬車で移動する貴族は袋叩き。殴り殺された浮浪者は物凄い数になっているそうだ。そんな物騒な街になってしまったため、ここで商売していた国民は一斉に他国へと移民申請し、国境はカオスになっている。

 国民たちが国王に対して暴動を起こしたのだ。

 そういえばこの小説のベースになっている世情は酷かった。王子様はめちゃくちゃイケメンで優しくて紳士で完璧な男性だけど、その父親である国王は浪費家で暴君だ。自分の欲望を満たすことだけに集中していて国民はいつもどこか飢えている。贅沢をしようものならそれを処罰しようと騎士たちが目を光らせている日常だった。だからいつ暴動が起きて国家が転覆してもおかしくない国だったのだ。それを私は忘れていた。

 それを、小説の主人公・奈美は理解しているのかいないのか、天性の感性でもって国民たちの怒りを買うことなく行動をし続けた。贅沢を良しとする貴族を説教し、私服を肥やす領主を痛めつけ、贅沢太りをする国王を非難した。そのことで一時牢屋に入れられたり危うく暗殺されかけたけれど、それでも挫けることなく周りを説得し続け国民からの信用を得た。そのことで国民たちはなんとか怒りの矛先を収め、国王は王子様に国を譲り、そして安定した。

 ………正直、私は奈美がやったようなな面倒なことをするだなんてゴメンだった。国民なんて所詮一般人だし、非力で搾取されるだけの哀れな存在だ。彼らは生まれが悪かった。だからどんなに文句を言ったってそのことに何の意味もない。そう思っていたから私は奈美のように無駄に正義は振りかざさなかったし、悪を正そうともしなかった。そうしたいのならそれを願う貴族がすればいい。私の目標は王子様だけ。それ以外は眼中もない。

 ほんの少し、主人公と違う行動を取ることが怖かった。でも下手に動いて未来を曖昧にするよりも、そして牢屋に入れられたり暗殺されかけたりするよりも、私が取る方法は楽で安全。未来を知っているからこそ無駄もない。安心安全平和で素敵。

 未来を知っている私には怖いことなんて何もない。

 と、思っていたんだけど。

「国民の暴動なんて小説になかったし。これ、ホントに転生してんの?」

 窓の外では着飾った貴族らしき女が馬車から引き摺り出されてボロを着た男どもに嬲られていた。女は金切り声を上げてるし、男どもは盛っている。まったくもって獣染みた行動だ。反吐が出る。私はそれを見ながら手元に置いてあるクッキーを頬張った。

 私が食べているクッキーは隣国から取り寄せた高級小麦粉で作られている。ベテランのシェフが持ちうる技術を全部詰め込んで作ったお菓子のひとつ。美味しくないわけない。お陰様で私はここに転生してから十キロ以上太ってしまった。だからレミーが元々着ていたドレスは全部仕立て直しするハメになった。仕立て直しなんて生ぬるいことしないで新品を買いたかったんだけど、布が手に入らないとかで断念せざるを得なかった。悔しすぎる。

「レミー様!」

 甲高い声を上げてメイドが部屋に入ってきた。そのことで私の機嫌はサイテーになる。睨みつけるけれど、メイドは動転して怯える様子もない。ホント腹立たしい。

「うっさいなぁ! いきなり何よ!」

 怯え続けるメイドを椅子に座ったまま問い詰める。その際の体重移動で椅子が軋んだ。その音が私の神経を逆撫でする。

「あの、外から、国民が」

「は? 外の奴らが何だって言うのよ!」

「だから、国民がっ!」

 ゴスン、と人生で初めて聞く音が耳に届き、メイドが前のめりに倒れた。その頭は凹んで中身がうっすら見えた。あっという間にメイドの頭から大量の血が流れ出てカーペットをどんどん汚していく。

 メイドの後ろには、汚らしい格好をした男どもが立っていた。

「この暴食アバズレ! お前なんか死んでしまえばいいんだ!」

 男どもが手に何かを持って部屋に雪崩れ込んでくる。その何かがすぐにはわからなくて周囲を必死に見回していたら、あっという間に取り囲まれた。

「あんたら、私を誰だと思ってるのよ! この国で一番恐れられている」

「知ってるよ! この国で一番国民の有難さを知らないアホでバカでブスで暴飲暴食のブタだ!」

 男どもが私を捕らえようと飛び掛かる───失礼極まりない。私は貴族でお前らは一般人。私みたいな高貴な人間に気軽に触れていい人種じゃない。

 それが常識なのに、男どもは私を無理矢理ロープで縛って家から引き摺り出した。

 男どもは私を引き摺って広場へと連れてきた。周囲には炭が舞ってとにかく煙たい。下手したら肺をやられちゃうじゃん、と怒りが湧いて仕方ない。

 でも、その怒りも目の前の物を見てサッと冷える。

「ウソ、でしょ」

 そこには背の高い棒が二本。上の方に分厚い板が取り付けられていた。その板は木で出来てはいなくて、鉄。それが周りの炎で反射して鈍く光る。その光で、鉄には大量の血がついているのに私は気付いた。

 ………断頭台だ。

「イヤだ! バカ! 離せよ! こんなのおかしい!」

 必死に抵抗する。でも男どもは少しも力を緩めない。私の腕が千切れるんじゃないかってくらいに強行的に引っ張って、その痛みで涙が出る。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

「なんで私が殺されなくっちゃいけないんだよ! 意味わかんない!」

「お前が自分しか見てなかったからだ! これはその報いだ! さっさと死にやがれブタ!」

 必死に抵抗しても抗えない。断頭台に首がセットされる。手首を拘束される。どんなに体を動かしても断頭台はびくともしない。

「国民よ! 悪が断罪されるこの瞬間、目を離すなよ!」

 側にいた男が何かを手放す。それを見て、私は最後の一声を叫んだ。

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」

 そして上から物が落ちてくる音がした。



 はっと目を覚ますとそこは事務所だった。いや、正確には違う。あのパチモンアイドルのいる、事務所の会議室だ。

「あれ? もう終わったの? 早すぎない?」

 見るとあのピンク髪のアバズレが空いたスペースで屈伸運動をしていた。

「もうちょっと粘れよ。せっかくの夢見た転生だよ? それがこんなにあっさり終わっちゃうなんて、あんた、実はメッチャ馬鹿?」

「お前! ふざけんなよ!」

 私は勢いよく椅子から立ち上がる。その勢いでコロの付いた椅子が事務所の端っこに転がっていった。

「こんなの私が知ってる『私ってば悪役令嬢に転生して国の一大事を変えちゃった?!』じゃない! インチキだ!」

 机を蹴飛ばしアバズレに近づく。少しはビビればいいのに、アバズレは冷めた目で私を見る。それが尚更許せない。

「お前、私のことナメてんの?!」

 アバズレの襟元を掴む。揺さぶって睨みつける。それなのにこれっぽっちも揺るがない女に、こいつちょっとヤバいってほんの少しだけ恐怖を抱く。

「………あのさ。あの結果はあんたが今得られる結果なの、わかんない?」

「はぁ?! あれのどこが結果なワケ? 本来ならレミーは上級貴族であんな死に方する女じゃなかった! それなのに」

「だからそれはあんたの結果なんだって」

 面倒臭そうにアバズレが私の手を叩く。それに腹立って、私は右手を振り上げた。

 ───コイツ、マジ許せない。

 思いっきり張り手をする。痛いとか辛いとか言って泣き喚けばいい。メイドたちはこの張り手で大騒ぎだった。お前もそうなればいい!

 なのに、振った掌には何も当たらなかった。

「だからさ、あの小説は奈美じゃなきゃ無理なんだよ」

 振りかぶった掌を信じられない気持ちで見ていた私の背後に、何故かアバズレがいた。そいつは私の肩に手を乗せて耳元で囁く。

「全部が全部、あんたが今まで培ってきた結果の集大成。それに文句言うのはお門違いじゃない?」

「………っ意味わかんない!」

 体を捩ってアバズレを振り払う。少しでも傷付けばいいのに、と思うけど、相手は少しも怯まない。軽やかに後ろに飛び去り私を観察している。その口元が笑んでいるのが、心底許せない。

 アバズレが長い髪をモデルみたいに揺らす。その美しさに嫉妬する。

「わかんないかな? あれは真っ直ぐで正直で正義しか心にもたない小説のアイドル・奈美じゃなきゃなせない大事業だったってワケ。あんたみたいに自分の欲望をコントロールできない女じゃ、同じような結末は得られないよ」

「なんでだよ! 私はちゃんと悪役令嬢レミーに転生して、未来を知っていて、その対策をしながら行動していて、それで」

「それで、小説の主人公とは違う行動を取ってばっかりだったじゃない。ラクしたいとか端折りたいとか面倒臭いとか、ズルすることばっかり考えて。ついでにあの国じゃ高級菓子だったクッキーをたらふく食い荒らしてさ。そんな貴族を惨殺したいと願う国民の方があんたよりも何倍、私は憐れだよ」

 アバズレの言葉に、一瞬戸惑う。

 ───こいつが指摘していることは、間違いじゃない。確かに私は効率重視で行動した。でも、それにしたってさ。

「………どうして? 私は全部知っていて、間違わないように行動したんだよ? それなのに、どうして殺されなくっちゃ………ならなかったのさ!」

 首に痛みが走る。手で触れるけれど、そこに傷は存在しなかった。

 ………信じられない程の衝撃だった。あれが落ちた瞬間、体が弾んだ。頭が吹っ飛んだのが信じられなかった。体が重く感じるのに、その体が遠くにあった。その光景の意味を理解する前に、全部が全部真っ暗になった。

「そんなに言うならさ、もう一度やってみる? それだけの自信だもん。今度はそこそこ成功するかもしれないし」

 アバズレの言葉に、反射的に首を横に振る。

 ………あんな惨めで怖くて意味不明な思いは、もう二度としたくない。今度は成功するかもだなんて曖昧な言葉で、もう一回なんてやりたくなんかない!

「人を馬鹿にすんのも大概にしろよ! あんたの口車になんか乗ったりなんかするもんか!」

 私は全身の力を使って全力の声でアバズレに対抗する。

「お前みたいな人の心もわからない女に、私の恐怖がわかるもんか! この人でなし! 悪魔! 冷酷女! お前なんか死んじまえ!」

「その言葉、そっくりそのままあんたに返すよ」

「はあ?! なんで」

 アバズレが、ここでようやく顔を曇らせた。そのことで私はほんのちょっと優越感を取り戻す。

 でも、それも一時のことだった。

「あんたが転生した国民は、あんたが今言った感情を抱いていたよ。あんたが虐めたメイドもそう。執事だっておんなじ気持ち。ねえ、どうしてそれがわかんないのさ?」

「だってあいつらは私と違って身分が低くて」

「身分が低ければ感情がないの?」

 ない、と言いたくなったけど、でも言えなくて。

 だって本来の私はしがない事務員。目立った今のない女。それはあの国民となんら変わりがない、といえばそうかもしれなくて。

「あんたは自分以外、みんなが悪で間違っていると思ってる。そういう世界に引きこもってる。その価値観を他人に押し付けている。自分が変わるよりも他人が変わる方が簡単だって思ってる。だから平然と他人を傷つけることができるんだ。その報いを受ける段階になってもそれに気づかない。まったく、救いようがないね」

「だって………自分は変えられない! 変えられるわけないじゃないか!」

 どんなに頑張ったって今の仕事以外に何かに就ける自信はないし、誰かが私を心底愛してくれる自信もないし、私が世界に衝撃を与える何かを出来る自信もない。それなのに、どうして他人を変えようと思っちゃいけないんだ!

「それはあんたの思い込み。何もしようとしない人間に、変化の可能性はまるでゼロ。首を落とされてもまだわからない? あんたは他人を自分の土台にすることしか考えていなかったんだよ。だから平気で他人に転生しようとする。他人が培ってきた努力を掠め取ろうとする。それが卑しい行為だって、気づかない?」

「私はっ!」

「変えられない。変わらない。変わろうともしない。変わるべきでない。なら一生、転生し続けな。同じループを繰り返せば、多少は何かが積み上がるでしょう」

 女が右腕を真っ直ぐ私に伸ばす。指差した先に、私がいる。

「やだっ! あんな思いは、もう」

「さよなら。どうか君に、多少の学びがあらんことを」

 そして、私は後ろに吹っ飛び、そのままどこかへと飛ばされた。



「っ! たぁーっ!」

 目が覚めるとそこは自分の家だった。ポテチを食べながらそのまま寝入ってしまった私の頭上になぜか目覚まし時計が落ちてきたのだ。目覚まし時計は狙ったのかよと悪態を吐きたくなる角度で私のおでこにぶち当たり、酷いことにそこから血が出ている。

 私は腹が立ってそれを壁に投げつけようとして………やめた。

「なにさ。………まあ、私が落ちやすいところに置いたのが悪いんだけどさ」

 私は落ちてきた目覚まし時計を机に置いた。それを見ながらしばらく考える。

「あの女、私のこと散々馬鹿にしてさ」

 時計の針がカチカチと動く。その音が妙に耳に残る。

「………そんなに、私、間違ってる?」

 私は『私ってば悪役令嬢に転生して国の一大事を変えちゃった?!』の内容を完璧に把握していた。先を知っていて、だから主人公よりも効率良く王子様をゲットしようと頑張った。

 ───それがダメなの?

 社会は効率が一番だ。面倒事は外部発注、採算取れないことは外部委託、他人と会って文句言われることはパートに任せて、人手任せは派遣社員に丸投げだ。それが世の中の賢い人間のやることでしょ?

 でも、それじゃダメだってアイツは言った。

 他人に自分の痛みをわかってくれって叫ぶくせに、自分は他人を見捨ててた。他人は全員間違っていて、私は全部正しいと思ってた。それが自分で自分の人生を狭めてた。首を切られても、甘えて理解しないでズルしようと思ってた。

 ───それじゃ私、一生ここから出ていけないのかも。

 ぐるりと首を回して部屋を見る。物がいっぱいいっぱい押し詰められて、山になって迫ってる。埃臭い中に半乾きの洗濯物を干しててさ、壁掛け時計は針が止まってる。寝っ転がっても手が届くように、天井の電灯のヒモに追加で自分でヒモを付けた。それがだらりと机に垂れ下がってる。

「こんなんじゃ、そりゃ、王子様来ないよね………」

 あの世界に降り立った時を思い出す。煌びやかな洋服、豪華な天井画、威厳のある建物の装飾、そして国を収める国王の横暴さと、その風格。この部屋とはまるで違う遠い世界。それを私は転生というズルで、しかも先を知っているというチートを使って、簡単に手に入れようと怠けまくった。

 だからプラスで十キロ太って、国民は暴動という行動に出て、そして貴族の首を切り落とした。

 ───自業自得、だよね。

 私は大きく息を吐いた。自分のこれまでを振り返って、そして今を思う。

「あーあ………くそ。あんなアバズレの言葉がこんなに響くだなんてさ」

 開きっぱなしのポテチの袋を輪ゴムで閉じる。たったそれだけの行為なのに、人生初めての行動な気がして気持ちがふわついた。

 ───こんなちっぽけなことだけど、それでも私、変われるのかな。

 アバズレは言った。あんたはあんな目に遭っても変わろうとしないって。それって逆説的に言えば、変わろうと思えば変われるってことでしょ? ならさ、私もここから少し、変わっていける? たとえば夜に不健康なことをしないとか、さ。

 私は少し笑って、シャワーを浴びにお風呂に行った。

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