第41話 伝言


 俺は、自宅の玄関を出たところで気がついた。

 家の壁から炎が天を目指して登っている。

 やけに灯油の臭いが鼻をつく。

 あっという間に、家を燃やす炎が育ち、大きくなっていく。


 両脇に誰かいて、俺にしがみついているのに気付く。

 身体に力が入らないので、顔だけ起こして周囲を見渡す


 脇には、俺を抱くようにして里桜さんと愛利奈がいた。

 二人とも、俺の隣に寄り添うようにしている。



「里桜さん、愛利奈……?」



 かすれた声で、二人の名を呼ぶと、里桜さんがピクッと反応した。

 生きている……?


 見ると、玄関から俺たちがいるところまで二メートルくらいの間にずっと血の跡がある。引きずったような跡が。

 俺を二人で、這いつくばいながらここまで引っ張ってきたのか?



「先輩……よかった」



 里桜さんが、顔を持ち上げ俺の胸の辺りに頬を寄せた。



「一体何が……?」


「分かりません……暗闇の中、先輩のお母さんが誰かに刺さ……れて……」



 涙を流しながら、里桜さんは言った。うっ、うっと嗚咽を漏らし泣きそうになっていたけど、それをぐっと堪える様子で続ける。



「……もうお母さんは……。次に先輩が刺されたみたいで……私も……刺されて」


「そんな……」


「愛利奈ちゃんが体当たりして、その人はどこかいなくなって……でも……愛利奈ちゃん……傷が深くて……」



 見ると、愛利奈は俺に抱きつき眠っているような、安らかな表情をしている。

 ぴくりとも動かない。


 里桜さんと違い、愛利奈の身体はひんやりとしている……多分……もう……。

 ウソだろ? もう……死んでいる?

 俺の目に涙が溜まっていく。


 ダメだ、まだ泣いてはダメだ。

 里桜さんは生きている。



「先輩、愛利奈ちゃんからの伝言です。アイツは、私たちのミサンガを狙っていたと。先輩なら、きっと謎を解いて……くれるからと……」



 彼女の声は、少しづつ小さく、かすれてきている。

 一言一言、話すのが辛そうだ。


 見ると、俺の右肩から胸にかけて、布が巻かれている。簡易的な止血だ。

 俺が今でも意識を保っていられるのはそのおかげだろう。


 でも、愛利奈や里桜さんは、自らの止血をしていない様子だ。

 なぜ?

 どうして?



「里桜さん、もう喋らないほうがいい。それより自分の止血を——」



 里桜さんは一度顔を伏せる。そして、すぐに顔を上げる時には口元を緩ませていた。

 血があんなに出て辛いはずなのに。それが分かっていても俺は、その表情に少しほっとしてしまう。



「ううん……私は大丈夫……ですよ」


「いや、大丈夫なわけないでしょ。早く、俺なんか放って——」



 ぎこちなく微笑んでいる彼女の唇が、俺の言葉を強引に塞ぐ。

 顔を離すと驚いている俺を見つめ、里桜さんはか細い声で続ける。



「先輩……。私……。学校の屋上で……先輩の本心が聞けて……嬉しかった。本当にあっという間でしたけど……つきあえて、幸せでした……」



 そう言って、くたっと彼女は俺の胸にもたれかかる。

 流れ続ける血さえなければ、ただ眠りにつこうとしているように見えた。もうその瞳には何も映っていない。

 


「大好き…………」



 かすれた声が止まり、吐息が静かに漏れた。

 まるで眠るように、ゆっくりと瞼が閉じていく。


 微笑むように眠りにつくように、里桜さんの身体から力が抜け、体重がかかってくる。


 きゅっと、里桜さんの指が俺の服をつまんでいる。

 離れないように、最後の力で。


 里桜さんも愛利奈も、二人とも俺の隣で寄り添うように、大切なものを抱えるようにして動かなくなった。

 次第に、少しづつ、二人の身体が冷たくなっていくのを感じる。


 なんで、なんで俺を助けた?

 里桜さんも、愛利奈も。惨劇を止められなかった俺を……なぜ?

 命がけで……?



『先輩なら、きっと謎を解いて……くれるからと』



 俺に託された、たった一つの想いが頭の中でこだまする。



「ううう……うあああああああ!!!」



 ろくに声は出なかったけど、絶叫とも慟哭とも分からない、そんな声が俺の喉から漏れ続けた。


 やがて声がろくに出なくなる。

 俺は二人の頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫でる。


 救えなかったどころか、俺を助けるために里桜さんと愛利奈は命を落としたのだ。

 自らの命を省みず、ただただ、俺を救うために。 


 どうして二人とも、そんなに安らかな顔をしている?

 他人の俺のために、どうして……?


 俺がなんとかしてくれると……期待……ではなく、安心しているから?


 いつまでも、いつまでも俺は二人の髪をなで続ける。

 そして……空が真っ赤に染まり、遠くに救急車のサイレンが耳に入ってきたとき、目を閉じた。



……茜色に染まる夢が終わる。





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