5、山武姫神の分魂神

「私はあなた方を知っています」


 そう言われても俺たちはあなたを知らない……。

 山武姫神の侍女か何かだと思ってた御神霊は、一歩前に出るともう一度繰り返した。


「ずっとあなた方を知っているような気がしたので、ひそかに見ておりました。そうしたら、あなた方は……かつてミヨイ国におられましたよね」


 そう言われて、俺はその御神霊の顔をもう一度よく見てみた。

 下から見上げる角度だからはっきりとした人相は分からないけれど、その若い女性は俺もどこかで見たことがあるような気がした。


「思い出したようですね」


 その女性の御神霊から、声が発せられた。聞き覚えのある声だ。


「私の分魂が、だいぶお世話になったようです。一度収容したあの分魂は、今はまた現界に誕生していますけれど」


「ああ、あなたは!」


 俺より先に声を挙げたのはエーデルさんだった。


「あなた、タミアラ国の執政補佐官。名前はアステマ・サーエ」


 女性の御神霊はにっこりと不気味に微笑んだ。


「正確には私ではなくて、私の分魂ですけれど。本体神が任務を果たして現界から帰って来た分魂を収容した時点で、その分魂が現界で体験してきたこと、つまりその現界での記憶はすべて共有します。私の分魂は三次元現界ではタミアラの執政補佐官でした。その時の記憶はすべて私の中にもあります。あなたは」


 その女性は俺を指さした。


「敵対するミヨイ国の執政補佐官でしたね」


 俺はぞくっとした。やはりアステマ・サーエのご本体は山武姫神の侍女のような立場にある御神霊の分魂だったのだ。

 アステマ・サーエが分魂というのは、その顔を見ても何となくわかった。この御神霊に対する既視感は、そこにあったのだ。

 なぜなら、二百万年前の記憶の中のアステマ・サーエはもうかなり中年女だったけれど、この御神霊は若い。その一方で神霊界の御神霊すべてがそうであるようにこのかたも例外ではなく、あくまで外見は人間界の二十歳前後だ。

 それにタミアラの執政補佐官のアステマ・サーエとは直接会ったことはなく、外交スクリーンで話したときにディスプレイ越しにその顔を見たことがあるだけだった。だが、なんとなく面影はある。

 分魂が入っている人間は、顔つきが御本体の御神霊と同じになるようだ。

 俺はもう一度、その女性の御神霊の顔を見上げた。そしてまた、あることに気づいた。

 前に婆様との会話の中で、アステマ・サーエはタミアラ沈没で死んでご本体に収容されたけれど、今この時代に再び分魂として降ろされているということだった。そしてそれがあのハッピー・グローバルという教団の二代目の女子大生教祖、城田佐江であるらしいということにもなる。

 俺の既視感は、むしろこっちだったのではないかと思う。

 俺は城田教祖の顔をあまりはっきり見ていなかったけれど、あとでウェブサイトで検索したときに見たプロフィール画像が、この女性の御神霊と年齢的にも同じ外観でよく似ている。

 そして霊的な記憶がさらに鮮明になる霊界にいるからこそ思い出したことだが、俺は並行世界でも城田に会っていた。

 並行世界では城田佐江は俺と同じ高校の一つ先輩で、転校してきたばかりの俺を宗教に勧誘して入信させようとしたあの人だ。

 並行世界ではその教団の教祖でも何でもないただの信者という感じだったけれど、あの時点では初代教祖である父親がまだ在世で、二代目を継いでいなかったのか、あるいは並行世界とこちらでは設定が変わってしまっているのか……わからない。


「この者は、私の分魂神」


 山武姫神が、自分の玉座の後ろの例の美神をまるで紹介するような形で俺たちに言う。

 そもそも分魂神って何だ? そう思って俺は拓也さんを見たけれど、拓也さんも首をかしげている。そんな俺たちの想念が伝わったのだろう、山武姫神は言う。


「あなた方のような分魂は、本体の神霊より離れた後は三次元限身カギリミ現界で人類の胎児に宿り、人として生まれ、現界で任務を果たし、それが果たされれば現界での死とともに神霊界に戻り本体の御神霊に収容される。でも、時には限身カギリミ現界に降ろすことを目的としないで分魂を生じさせることもあるのです。この者は私の分魂。そのような分魂はやがて一つの神格として独立して、本体の神霊とは別の新しい神霊となるのです。それが分魂神」


「まあ、そのようなところでございますわ。それで、あなた方のお話は私もお聞きしましたけれど」


 山武姫神の分魂神は、そこで声を挙げて笑いだした。


「まあ、よくできた話ですこと。話としてはおもしろいのですが、でも残念ながら前の天帝の引退はそのすべてのいきさつを私はその場に居合わせてこの魂でしかと拝見し、すべて実体験で記憶しております。そんな、誰かに操られていたなんて。ねえ、姫様」


 話を振られた山武姫神もうなずく。


「たとえ『大根本様』のであろうとどなたのであろうと、そんな戯曲の筋書き通りに演じさせられていたなんてあり得ません。私はちゃんと自分で考え、自分の意志で行動しておりました。私は私、決して誰かに操られたりはしません。申すも畏れ多いですが、たとえそれが『大根本様』であろうとですわ」


「私も、私の意志で岩戸に入る前の天帝に、炒り豆に花が咲くまで出て来るな、つまり永遠に出て来るなと呪詛をかけておきましたから」


「あ」


 何かに気づいたように、拓也さんは俺を見た。そして、想念だけを送ってくる。なんだかいわゆるテレパシーのような感じだ。こんなことが本当にできてしまう世界なんだ。


 ――後ろの女御神霊は、古記録には磐十台神、もしくはウシウドの神などという名で出てきますね。そうすると“ろ”の国と因縁深く、今の世界超大国のローシートゥ共和国に大きな影響を与えている可能性もあります。今の大戦も数年前にローシートゥが西隣の小国で、かつてはアツォートゥ連邦の一部だった小国に侵攻したのが発端。つまりそれも……


「何をごちゃごちゃとうるさいですね」


 山武姫神の言葉がそれを遮った。俺たちの間での想念でのやり取りも、御神霊にはうるさい雑音に聞こえるのだろう。


「とにかく、畏れ多くも『大根本様』のお名前まで出して、その書かれた筋書き通りの演技を我われがしてたなんて、これは『大根本様』に対しても無礼でありましょう。『大根本様』どころか、あなた方の誰かが描いたシナリオですね」


 そして山武姫神は、指を鳴らした。

 するとその隣に天使の羽を広げた別の男の御神霊がたちまち登場した。

 そしてすぐに羽をしまった。


「話は聞いておりましたよ」


 その男御神霊は俺たちを見おろした。そして全員の顔を次々に見てうなずいていた。


「やはりこの分魂たちは、あちらの手のもの』


「前の天帝ですか?」


「そう」


 山武姫神に尋ねられて、男御神霊はうなずいた。


「前の天帝をいちばんそばで警護していた護衛の十二の神将が、この者たちと同じ顔をしておりますな。男が七、女が五、男女の数も合ってます。姫様もご覧になったことはありませんか?」


「ああ、そういえばいましたね。あの勇者たちですね。今は前の天帝とともに岩戸に封印されているはず。よくも分魂を下ろしましたね。だから、この者たちも勇者気取りの格好をしているのですか。まあ、愉快だこと」


 山武姫神はまた笑う。完全にばかにされている。どうも不愉快だ。


「それにしては、剣もやりも弓も持っていませんね。持っているのは楯だけ。しかも、その楯に描いてある紋様はあの敵であったミヨイの国章。忌々いまいましい」


 磐十台神は最初は見下して、そのうち怒気とともにそう言い放った。


「この者たちをどうしましょう?」


 あとから来た男御神霊が言う。


「どうしましょうかね。踏み潰してしまいますか?」


 山武姫神はもったいぶっていた。俺たちは、さっと身構えた。

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