3 赤い宮殿

 斜面はかなり急だけれど、俺たちは不思議と落ちるという感覚はなかった。


「さあ、みんな、登ろう」


 俺はみんなに声をかけた。

 それまで俺は登るといっても足場を探し、岩肌をつかんで、腕に体重をかけて、腕と足の力で脂汗を流して、転落の恐怖とともに登っていくことを想像していた。

 だけども実際は、足取りも軽やかに、急な斜面をぴょんぴょんと飛ぶように俺たちは登って行けたのだ。

 なにしろ肉体の中にいた時よりも、ものすごく体が軽くなっている。ましてやここでは地上の物質的引力というものの影響は受けないようだ。

 円盤で金星に行く途中に宇宙空間を飛行したとき、無重力になって体がふわっと浮くなどということは全くなかったのと同じだ。

 俺たちはムーの国章の楯を手に、勇者の姿で飛ぶように山を登って行った。

 かなり高い山のように見えたけれど、頂上まではあっという間だった。

 そしてそのいただきに見えたのは、燃えるような赤い壁の宮殿だった。いくつもの巨大な直方体がばらばらに組み合わされたような外観だ。

 俺は仲間を引き連れて、その宮殿へと近づいた。はやる大翔が不意に俺の前に出る。


「大翔、俺がリーダーなのだから俺より前に出るな」


 大翔はばつが悪そうに苦笑すると、俺の後ろに戻った。

 すぐにがけの上の赤い宮殿の入り口の扉の前だ。岩と岩の間に大扉はあって、その上に宮殿はそびえている。

 不思議な形で、どこの国ふうというのが全くない。日本や大陸などの東洋風でもなければヨーロッパ風でもなく、また中東系の国々のそれとも全く違う。

 宮殿全智を、紫の靄が包んでいる。触れると実に不快な思いになる靄だった。

 まずは、どこから入るかだ。当然、扉は閉まっている。

 この城を守るべき妖魔たちは、迫り来るある神霊界の御神霊たちを迎え撃つことに専念し、本体の宮殿は手薄になっている。

 俺たちはその宮殿の足元を、しばらく徘徊してみた。

 すると、閉じられている入口の扉の下にわずかに隙間があるのが見えた。なにしろ俺たちは今、この世界の標準の御神霊の大きさよりもはるかに小さい。匍匐ほふく前進すれば通れそうだ。


「悟君、だいじょうぶか?」


 俺は心配になって聞いてみた。なにしろ彼だけ、実に体格がいい。早い話が太っている。


「何とかなるでしょう」


「そう。ここは想いの世界。念じればたいていのことはできます」


 拓也さんもそうフォローしてくれた。いつもは一人だけ僧侶の作務衣を着ているので目立っていたけれど、今はみんな同じ勇者の戦闘服だ。それでも彼は体格で目立っていた。

 女子の戦闘服はスカートだ。かなり短いスカートだけど、スカートの中は見えてもいいものを穿いているので心配はいらない。

 全員がなんとか這って中へ入り込むと、中は暗かった。

 俺たちはほんのわずかな光をもとに、通路を奥へ奥へと進む。

 建物の中に入ったはずなのに、なぜかそこは洞窟の中のようだ。

 上の方を見ると、時々妖魔が巡回しているけれど、小さくなっている俺たちには気付かない。

 とにかく妖魔が行ってしまうまで、俺たちはさらに小さく身を潜め、やつらが消えたらまた素早く前進した、

 真っ暗だけれども見える。今、物を見ているのは肉体の目ではないから、物質の光は必要ない。

 そして、体が小さいだけに大きな体よりも進む距離が短く、進み方も遅いかというとそういうこともない。俺たちは肉体の二本の足で歩いているのではないのだ。

 足で歩いているという肉体感覚を捨てるのは実際かなり難しいのだけれど、でもそうすればまるでスケートで氷の上を進むようにスーッと前進できる。

 だがそのうち、俺たちの頭上を飛ぶ妖魔の数が急に増えた。


「みんな、気をつけて!」


 チャコが声をかける。

 見上げてみると、無数の妖魔が終結して俺たちの方へ飛んでくる。そして邪悪などす黒い光線を、俺たちに向けて発してくる。

 あれに当たったらひとたまりもないだろう。

 俺たちは手にしたムーの国章の楯をかざす。妖魔の光線はたちどころに俺たちの縦にはじかれた。

 これで防御は問題ないけれど、攻撃ができない。なにしろ俺たちは説得に来たのであって、戦いに来たわけではない。だから何ら武器は持っていない。


 ――愛とまことが武器です。


 婆様はそう言っていたけれど、それは相手が御神霊や人霊の場合だ。今、俺たちを攻撃してきているのは妖魔である。


「このままじゃ、僕たち、やられてしまう」


 楯で妖魔の光線を防ぎながら、新司が泣きごとを言った。


「なんとかこっちからも攻撃しないと、いくら防いでもやつらの攻撃はきりがないですね」


 杉本君も必死だ。妖魔の光線が手の楯に当たるたびに、美穂はいちいち悲鳴を上げていた。


「そうだ。みんな、回復魔法のときと同じ要領で手を妖魔に向けて!」


 俺はパッと閃いたままに叫んだ。俺たちの手のひらからは、浄化の光が束となって妖魔に向けて放射された。今は回復魔法ならぬ浄化魔法である。

 それを受けた妖魔はたちどころに浄化され、邪悪な光から美しい黄金の光の塊になり、そしてすぐに消滅する。

 俺たちは相手の攻撃を交わしながらも、こちらからどんどん浄化の光を浴びせて妖魔を駆逐していった。

 戦いに来たわけではないのに、戦ってしまった。

 でも相手は妖魔、その正体は御神霊でも人霊でもなく怨みや怒りなどの悪想念が形となった思凝霊である。だから実態がない霊であり、その悪想念と戦っているのである。

 大部分の妖魔は、おびただしい数でこちらに攻めてきている神霊界の御神霊たちの軍勢との戦いのために出払っているので、今ここに残っているのはそれほど多くはなかった。

 ただ、そのグロテスクな形態が、どうにも気持ち悪い。しかもその一体一体がかなり巨大なのである。それは俺たちの方が小さいのだから仕方がないことだった。

 妖魔の数もだいぶ減り、俺たちはやつらと戦いながらもだいぶ前進してきた。

 すると今度は行く先に、おびただしい数の赤い光の点が浮いて俺たちを阻んでいる。

 赤い光の点は二つずつがセットになっているようで、やがてそれはおびただしい数の憎悪の表情を浮かべた巨大なキツネの群れだと分かった。


「何者ですか! 侵入者は許しません!」


 キツネはしゃべった。俺たちは同時に同じことを閃いて、キツネに向かって楯をかざした。その楯からも光が出る。防御の武器である楯が攻撃にも使える。

 キツネたちがたじろいだけれど、すぐに俺たちの前の通路をふさいだ。通路に座っているのではなく、少し空中に浮いている。

 そしてどのキツネも尾が数本ある。


「キツネがいっぱい!」


 ピアノちゃんが恐怖の声を挙げた。島村さんも言う。


「九尾のキツネの本体は御神霊との戦いを外で指揮しているから、こいつらはその分身だろう」


 それにしては確かにおびただしい数だ。

 俺たちは先程の妖魔へと同じように、キツネにも浄化の光を放射してみた。だが、妖魔と違ってキツネにはすぐには効かない。だけれど、光を浴びて少し苦しそうにするという反応はあった。

 それでもキツネは俺たちの行く手を遮っており、やつらがいる限り俺たちは前には進めない。

 困っていると、チャコが楯を地に置いて両手を頭上で合わせた。そしてすっと合わせた手を開く、すると、その両手のひらの間に光の玉が出現した。

 なんだか遠い昔に、こんな光景を見たことがあるような気がする。

 光の玉がある程度大きくなると、チャコはそれをキツネに向かって投げた。

 命中したキツネは光に包まれ、たちどころに消滅した。

 もとが分身にすぎないのだから、消えるのも早い。

 それを見た俺たちもハッと気づいたように、皆同じように楯を置いて両手で頭上に光の玉を作り、次々にキツネに投げた。

 こうしてキツネの数もだいぶ少なくなったころ、その向こうに巨大な石の扉があるのが見えた。


「あの扉を守っていたのか」


 悟君がつぶやく。


 ――何ごとです? なんだか騒がしいですね!


 するとその扉の向こうから、あたりに響くような大きな声がした。女の声だ。


 ――何か用があってこられたのなら、どうぞお入りなさいな。


 すると、音もなく扉は開かれた。

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