第100話:炎の精霊と桜

 桜たちは俺を放り捨てた後、お酒を浴びて機嫌よさそうに枝を揺らして踊っている。

 パンツ一丁で取り残された俺は、落ちていた服を拾ってため息をついた。


「はぁ、しょうがねぇなぁ。酒は諦めてとりあえず飯にするか」


「そうですね」


 気を取り直して、踊る桜たちから少し離れた場所にビニールシートを敷いて、俺達はお弁当を食べ始めた。


「ふふ、アレクの卵焼きは甘くて美味しいですね」


 ジェルは俺の作った卵焼きを口に入れて幸せそうに目を細めている。

 さっきは酷い目に遭ったが、その笑顔を見たらまぁいいやって気持ちになるから不思議だ。


 桜に酒を奪われたので、ジェルに紅茶をわけてもらって一息つくと、急に桜たちが激しく枝を揺らしてザワザワし始めた。


「おや、あれはなんでしょうか?」 


 ジェルが指し示した方を見ると、桜たちに向かって人間ぐらいの大きさの炎の塊がゆっくりと近づいている。


 桜たちは炎が怖かったのか、我先にといった感じで慌てて逃げて行ったが、その中でなぜか逃げずにその場で立ち止まっている桜の木があった。


 桜は恐る恐るといった感じで炎の塊に枝を伸ばす。

 すると炎の塊からも、人間の腕らしきものが炎に包まれながらも差し伸べられる。

 だが、双方が触れるか触れないか、というところで枝に付いていた花が燃えて、枝が焦げてしまった。


「ごめんなさい……! ごめんなさい、ごめんなさい…………!」


 炎の塊は鈴を転がしたような美しい声で何度も謝りながら、その場に座り込んでシクシクと泣き始めた。 

 見た目は炎に包まれていてよくわからないが、どうやら若い女の子のようだ。


 桜の方は触れると燃えてしまうのでどうすることもできないでいるらしく、炎に向かって枝を伸ばそうとしては引っ込めている。


「なぁ、おい。大丈夫か?」


 心配になって声をかけると、彼女は自分が炎の精霊で、目の前の桜の木は自分の恋人なのだと説明した。


「種族を超えた恋愛ってやつなのか」


「はい」


「触れたら燃えちまうのは辛いな……」


「昔は大丈夫だったんです。でも私の魔力が強くなって炎がどんどん抑えられなくなって、とうとうこんなことに……」


「魔力のせいなのか」


「はい。魔力を制御する練習はしているんですが、なかなか上手くいかなくて」


 そう言うと彼女は再び泣き始めた。確かに近くにいるだけで焚き火みたいに熱い。これでは触れただけでさっきみたいに燃えてしまうだろう。


「ねぇ、アレク……」


 隣で一緒に見守っていたジェルが、おずおずと俺に声をかけた。


「どうした、ジェル?」


「彼女の炎の原因が魔力の暴走であるなら、倉庫で見たあの翡翠の腕輪がもしかしたら使えるかもしれません」


 ――あぁ、そうか! あの魔力を封じ込める腕輪なら炎を抑えてくれるかもしれない。


「なぁ、精霊さん。俺達に良いアイデアがあるから、ここでちょっと待っててくれないか?」


 俺とジェルは急いで店の倉庫に戻って、翡翠の腕輪を持って戻ってきた。


「お待たせ。これ、よかったら腕にはめてみてくれないか?」


 俺は腕輪を彼女に手渡した。彼女は軽く首をかしげながらも、緑色のそれを腕に通す。

 すると、彼女を包んでいた炎がシュウゥゥゥと音をたてながら消えていき、その中から真っ赤な髪の可愛い女の子の姿が現れた。


「あっ――私の炎が……消えた!」


「その腕輪は魔力を封じ込める力があるんです。あくまで一時的なもので、外すと元に戻りますから気をつけてくださいね」


 自分の手足を見て驚いている精霊に向かって、ジェルは優しい声で丁寧に説明を続ける。


「その腕輪は差し上げましょう」


「え、でも……」


「いいですよ、ワタクシには不要の物ですから。でも、それに頼りきりなのはいけませんよ。自分の力で魔力を制御できるように、これからも鍛錬たんれんを続けてくださいね」


「……はい、ありがとうございます!」


 目を潤ませながらお礼を言う精霊に、桜の木が寄り添って枝を伸ばした。

 もうどれだけ近づいても花は燃えたりなんかしない。


 薄紅色に包まれた彼女の笑顔は満開の桜に負けないくらい綺麗で、とても幸せそうだった。

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