第二百十九話 馬鹿で、青臭くて、人によっては酷く滑稽に見える生き方かもしれないけれど
◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第六神域『戦争工房』:『英傑戦姫』:空樹花音
後ろから何機かのタロスが発つ音を聞いた。
独特な噴射音が外の風と混ざり合い小気味よい音を奏でる。
「このいけ好かない
「そんな言い方、ないじゃないですか」
言い合いをしながらも、私達の視線は、前方に佇む鎧装騎神に注がれていた。
「凶一郎さんと虚さんは、ナラカさん達をこちらへ送り届ける為に囮になってくれたんでしょう?」
言いながら、だけど心の奥底では私は認めていた。
「えぇそうね」
認めざるを得なかった。
「だけどそれとこれとは、話が別よ」
先程タロス達に命令を下すついでにナラカさんが簡潔に話してくれた第三神域での出来事。
蘇った九柱の偽神達を従えた女神ミネルヴァと“烏合の王冠”の皆さんの激闘は、第六神域が制圧されたタイミングで彼女がこちら側へと
主なき第三神域で九柱を同時に相手取らなければならなくなった凶一郎さん達。
当然のようにヘラの“不和の林檎”が効いていて、彼等は圧倒的に不利な状況で戦わざるを得ず、ミネルヴァを追いかける事すらままならない状況まで追い詰められていた。
そんな中、凶一郎さんと虚さんが二人がかりでオリュンポスの九神達を引きつけ、その隙にナラカさんがユピテルちゃんを連れてここまで来た――――というのが、事のあらましなのだそうだが、しかし、それでも、それでもなのだ。
「敵だらけの
それだけの隔たりが、私達と、
幾千の砲火と隕石、そしてユピテルちゃんの黒雷が弾幕のように襲いかかり、その全てが彼女に直撃しているというのに全くの無傷。
数少ない戦果は、彼女が巨大な術式を撃つ為の
それはタロスの持つ【
その効能はプロトタイプの【
それこそ“不和の林檎”と重なれば、世界を破壊する理すらも防ぎきる程には圧倒的で。
「アイツらが来るまで耐えるわよ。兎に角時間を稼ぐの」
だからこの戦いは、端から耐久戦なのだ。
「(凶一郎さんは既にアレを視ている。
【
だから私達は、奪取したタロス達と協力して凶一郎さんの術式が完成するのを待ち、そして【始原の終末】が完成した暁には虚さんの『虚空』と凶一郎さんの《未来視》を合わせた“
「(……まさかブラフって事はないよね)」
彼ならやりかねないし、やらないかもしれない。
裏切りはしないけど、敵も味方も欺いて。
それで最後にはちゃっかり総取りするのが凶一郎さんのやり方だから、もしかしたらこの作戦にも何かとんでもない
「えぇ」
この
凶一郎さんは、必ず私達を勝たせてくれる。
そう信じさせてくれるから、ついさっきも彼の描いた奇跡を見たばかりだから
だから私は、私達は、安心して彼に命を預けられるのだ。
「やりましょう、みんなで」
ミネルヴァが動く。
音を置き去りにした女神の飛翔。
瞬きの内に宙空のタロス達が爆散し、更に追加とばかりにナラカさんへと槍を突きつけるが
「しっかり捕まってなさいおチビさん」
「
二人の少女を乗せた
空を切る女神の神槍。爆ぜる龍炎と黒雷は、ミネルヴァに傷こそ与えられないものの、確かに当たっていた。
そしてナラカさん達が彼女を惹きつけている間に
「くたばれオリュンポスっ!」
巨大化した十数人のヒイロさんが、一斉に <
空を駆る赤鎧の騎神に迫る伸縮自在の質量兵器達。
「これだけやっても、アンタのお堅い
隠密の外套<
顔の上半分を兜で覆ったミネルヴァは、外部情報の測量を視覚以外の方法で行っている。
霊力による探知、神ならではの超感覚、あるいは機械の補強によるものなのかもしれないが、いずれにせよオリュンポスの
そして<
“不和の林檎”下にある状況では、成る程確かに全体的な威力は下がるのかもしれないが、それでも数トンの質量が赤鎧の騎神にのしかかる。
不可視の質量爆撃――――それが一気にダース単位だ。
幾らミネルヴァが優れていようとも、これだけの拘束を受けて自由に動けるはずがない。
蛇のようにからみつき、女神の肢体に尋常ならざる重さをのしつけるその様は、初めて彼女に一矢報いたとガッツポーズをしたくなる程痛快だった。
更に
「『壺中天』
「外すなよ、アズール―――――火ァッ!」
アズールさんと納戸さんが、『壺中天』から取り出した大筒の
闇色の大筒から放たれた灰色の輝きが、動きの鈍った女神の身体へ降り注ぐ。
カイーナα
トロメアβと同じく凶一郎さんが四季さんから購入したこの特殊兵器の能力は『着弾対象周辺の空気分子の停止』である。
圧倒的質量の拘束と空気の牢獄。
物理的な動きを封じられたミネルヴァに対して、しかし私達は更なる封殺をけし掛ける。
「
「ダメ元だが、やってみるか――――行け、亡霊達」
新たに召喚された亡霊戦士の部隊が、ミネルヴァ周辺の
物理、霊力、精神の三方向からの多重拘束。
“不和の林檎”の穴をついた「攻撃をしない攻撃」は、確かにミネルヴァに通じたのだ。
「(後は凶一郎さんが来るまで耐え抜けば……!)」
「流石に
「偽物とはいえ、アレは双子龍の『龍麟』を受け継いでいますからね」
そんな折、私の耳に黄さん達の会話が流れてきた。
「龍の鱗を持つ者に、並大抵の精神操作は通じません」
「……黄、お前、ドラゴンとの戦闘経験あったっけ?」
「オジさんが留守の間に少しだけね」
壊れかけの機界の中心で拘束されたミネルヴァ。
蒼の空から差し込む光がオリュンポスの最高傑作を照らす。
彼女は黙していた。
当然だ。みんなで頑張ってここまで彼女を追い詰めて……
「(……本当に?)」
胸がざわめく。芽吹いた不安の正体は、黄さんの言葉に端を発するものだった。
龍麟。そう。彼女は龍麟を持っている。
正しくは、偽物の龍麟。
天陽龍アポロと滅月龍ディアナが保持していた龍麟という特性を模して造られた
「(そうだ。ミネルヴァはオリュンポス十二偽神のスキルを全て持っている。
その事に気づいた瞬間、これまで彼女に感じていた違和感の多くが一気に氷解した。
「(どうして彼女は積極的に動かなかった? 高速で空を飛び、私達が対応できない範囲から一方的に攻撃を続ければ、少なくともこんな展開にはならなかったはず)」
【
つまりミネルヴァは、一切のリスクを負わずに「戦闘に臨む事」ができた。
「(なんでミネルヴァは、マルスを殺したの? どれだけ彼女が機械的で合理的で血も涙もない
ならばその行為にマルスを壊すだけの価値があったとすればどうか?
マルスがいなくなる事でミネルヴァが理を得る事情、それは例えば
「(ミネルヴァの《仮想統合神格》が、もしも
辻褄は、合う。
ミネルヴァは
マルスの力も、ここまでは使わなかった。
――――今は使えると仮定した場合、果たして一体どんな事が起こる?
オリュンポス・ディオスが扱うスキルの数は膨大だ。
だって実質亜神級上位が十三柱いるようなものだから。
そしてそれら全てを扱える鎧装騎神の戦術パターンは、まさに無数、無尽、無限。
だけど……
「(今の状況、一見すると私達が上手く彼女を嵌めてミネルヴァの動きを封じているように見えるけど)」
みんなの力を束ねる事で私達は時間を得た。
凶一郎さん達が来るまでの時間、【始原の終末】が溜まるまでの時間、陣形を整える為の時間――――
「(その代償に私達は、沢山のリソースを使わされた)」
切り札であるカイーナαの使用、各人がミネルヴァを捉える為に使用した全力の術式の数々。ユピテルちゃんやナラカさんだって、彼女の大規模術式を防ぐ為に相当なカードを切っている。
「(対してミネルヴァは何も失っていない。ただ動けなくなっただけで、リソース面や肉体の損傷はほぼ皆無。奪われたのは、それこそ時間位の物で――――)」
「違う」
私は全てを悟った。
「時間は私達の味方じゃない」
敵のリソースを消耗させ、その間に彼女が自身をアップデートし続けていたとすれば
「ゼウスの《至高神の目覚め》、マルスの《
《
軍神が《
「……成立、する?」
動悸が鳴り止まない。嵌まっていく悪夢のピースが、嫌な予感を絶望的な確信へと変えていく。
私達は、共に時間を欲していた。
一方は神殺しの剣の完成を待ち、もう一方は時間経過による己の強化を狙っていたのだ。
だけどこれは全く等価じゃない。
私達の望む時間は、果てしなく多く、そして莫大なる労力を必要としていた。
でもミネルヴァはそうじゃない。
無敵の彼女は、私達に付き合うフリをして何もしなければ、それだけで勝手に二重強化の恩恵を受け続ける事ができたのだ。
「……ナラカさんっ!」
「あら、気づいたの?
ナラカさんの顔に驚嘆の色はない。
どうやら彼女は、気づいているみたいだった。
「このままじゃ、まずいですっ」
「何言ってんの、とっくの昔にまずいわよ」
――――どうしようもないのだと、ナラカさんは言った。
「いずれにせよスキルの性質上、必ずアレは強くなり続けるの。私達に出来る事は二つだけ。傷を負うか、霊力を割くか」
丁重な手つきでユピテルちゃんをファフニールの背中から降ろしながら、私達の副リーダーが命じたのは
「良く目に焼き付けておきなさい。お手本を見せてあげる」
ナラカさんが燃える。
ファフニールごと燃える。
世界を焼き尽くすような熱量を彼女は完全に制御してみせて
「来るわよ、神話がっ!」
そして彼女の“変身”に呼応するかのように、拘束されたミネルヴァが動き始めた。
『
割れる。割れる。彼女の周囲が割れていく。
『
<
『
多くのタロス達が十字の砲火を焚き、火龍と一体となったナラカさんが全霊の術式を練り上げ、ユピテルちゃんが出せる限りの全ての
『
十二の神格の名が示される度に、ミネルヴァの六翼に輝きが灯った。
「――――《
『
そして私達の目の前が、真っ白になった。
◆
比喩ではなく世界が壊れた。
第六神域という空間は無惨な破滅を遂げ、機械の理に支配されていた紅と蒸気の景色は、今や見る影もない。
蒼い空。聳え立つ逆さ城。
あれだけの規模を誇っていたタロスの団体も第三神域へと発った先遣隊を残して全滅し、残されたのは息も絶え絶えな人間と
『…………』
無慈悲に槍の穂先を構えた無敵の女神ただ
黄さんとユピテルちゃんは動かない。
納戸さんとアズールさんは、かろうじて立て膝をついている。
ヒイロさんは全身に負った火傷を治す為に荒い息で万能快癒薬を探していて
そしてナラカさんは
「ここまでは、計算通りよ」
一番重傷だった。
手はあらぬ方向に折れ曲がり、足元にはおびただしい程の血河が溜まり、美しい白肌の半分以上が黒く爛れ、自慢の黒角には修復不能な罅が入っている。
「ナラカ、さん」
あれだけの崩界が起こりながらも、私達が命を保っていられたのは、彼女が身を呈して庇ってくれたおかげなのだ。
その代償に、彼女はこんなにもボロボロになって
「ご、めんなさいっ、私が弱く……うっ!」
吐瀉物を吐きだすように、口から大量の黒血が流れ出した。
《
頭が熱で侵され、骨は軋み、関節の節々が凍えるように痛い。
涙が出た。
痛かったからじゃない。苦しかったからじゃない。私は
「龍の再生力舐めんじゃないわよ。こんなもん、ちょっと休んでれば直に引くわ」
「あの、ナラカさ――――」
「下がって!」
折れた右腕を無理やり前に向けて、ナラカさんは紅蓮の劫火をミネルヴァへ向けて放った。
女神は動かない。ただ槍を構え、ナラカさんが撃った最後の灯火を淡々と受け止める。
無敵の女神にとって、敵の攻撃はリソースを刈り取る作業である。
だから避けない。受けてさえいればやがて敵の霊力は尽き、一方の自身は《至高神の目覚め》と《
負けが分かっている根競べ。
勝ち目のない消耗戦。
故にこれは
「ねぇ、仔犬。一つ聞くわ」
ナラカさんが私の為に割いてくれた“時間”だったのだ。
「アンタはどんな自分になりたいの? 生き残る事だけを優先する仲間殺し? 王子様が助けに来るのを待ち続ける
焔の勢いが徐々に弱まっていく。
連戦の上、切り札の合体まで使って、身を呈して私達を庇ってくれて、ナラカさんはもうとっくに限界なのだ。
それなのに、その最後の力を
「色々と
ナラカさんが笑う。青ざめた顔で、けれどもらしくない位に歯を剥きだしてはにかみながら
「それでも、貫けば立派な生き様よ」
焔が消えた。全てを出し尽くしたナラカさんが、ゆっくりと、倒れる。
「良いじゃない、ヒーロー。真っ正面から誰かの為にってお節介焼いて疎まれる在り方が、とてもアホっぽくてアンタらしい」
「――――あぁ、ヒーローってのはいいもんだ」
そう言って私達の前に影を作ったのは桃地さんだった。
「だけどな、嬢ちゃん。ヒーローってのは時に逃げる事も肝心なんだ」
煙草をふかしながら、至極あっさり堂々と
「俺が時間を稼ぐ。その間に嬢ちゃん達はあいつら連れて、ここを離れてくれ」
「待ってください。そんな事をしたら桃地さんがっ!」
「大丈夫。俺はもう一度死んだ身だ。死者があるべき所に帰る事を生贄とは呼ばないだろ?」
大きく背中を広げた桃地さんは、槍の穂先を構えた女神に目がけて無数の霊魂を射出。それに対し、ミネルヴァは何を思ったのか今度は攻撃の構えを取り、槍の切っ先から紅の閃光を瞬かせ
「――――【
それは説得であり、請願であり、応援であり、そして
“後のことは、頼んだぜ――――あぁ、だけど、後でみんなに謝っといてくれ。最後まで格好つかなくて悪かったってさ”
遺言だった。
焼き尽くされる霊魂。
迫る
笑う亡霊。
震える心。
頭の中では分かっていた。
誰も死なせない為には、ここで桃地さんの提案に乗るのが一番だって。
心は泣いていた。
やめて、やめてと嘆きながら、どうして私はこんなに弱いのとメソメソ泣き喚く。
生きなければ、生きなければ、私はまだ死にたくない。
だからごめんなさい、本当に、本当に
「……ごめんなさい、お父さんっ!」
私は持てる力の全てを振り絞り、桃地さんを突き飛ばした。
迫る
万に一つも勝ち目など無い。
しかし、それでも、それでも
「それでも、私は――――っ!」
盾を構え、たった一人で最高傑作に相対する。
身体だけが、勝手に動いていた。
―――――――――――――――――――――――
・次回 「第二百二十話 」
更新は、4月17日月曜日の午前零時ちょうどです!
また、同日書籍版第二巻の方も発売致しますので、そちらの方もよろしくお願い致します(詳しい告知の方は、ツイッター概要欄及び作者近況ノートにて~)
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