第二百十話  例えるならば、きっと






◆ダンジョン都市桜花・第百十八番ダンジョン『天城』最終層・杞憂非天・第四番神域『火天日肆』




 一つの戦いが終わり、五次元をまたぐ偽りの龍達は消え去った。


 深紅の境界線ラインが格子状に並ぶ白球の底。少女があれだけの暴威を振るったにも関わらず、神域エリアの外観はまるで無疵むきず


 その埒外の頑強さに一抹の怒りを覚えながらも、ナラカは外面だけは澄ました顔を貫いた。


 ここで、不機嫌な顔をするのは色々と違う。


 相棒の炎龍の背に彼を乗せ、数キロメートル先の白球の底目的地へとゆっくりと(それでも十秒足らずのフライトであった)下降した少女は、着地を済ますなり出しぬけに「話をしよう」と切り出した。



「なんだよ、改まって」


 彼の発したその言葉には言外に「こんな時にどうした?」というニュアンスが含まれていた。


 だけどその声には、ナラカの事を「迷惑だ」と突き放すような苛立ちの色はまるでなく、むしろ「こんな時に切り出されるような話なのだから、是が非でも真面目に聞く必要がある」という、あまりにも彼らしい誠実さが滲み出ていて



「……うん、その、さ」



 だから少女は言い淀んだ。


 言い淀みながら、アタシは一体どうしたいのだと改めて自問した。


 ぐるぐると、一瞬にも満たない時間の中で、様々な選択肢が少女の脳内を駆け巡る。


 何を言うべきか。はたまたいっそのこと「やっぱりなんでもない」とスッパリ全部なかった事にするべきかしら。


 考えて、考えて、熟慮に熟慮を重ねた結果




「好きよ、凶一郎。アンタの事、一人の男性として愛してる」




 やはり真っ先に思い浮かんだのは、そういう選択肢だった。


 告白。今自分が患っているこの狂おしい程の感情を直接彼に伝えて、そしてあわよくばを願う行為。


 聞けば良くある事なのだそうだ。冒険の終わり、最終階層守護者との決戦の只中ただなかで、パーティーメンバーに告白する――――それは冒険者ならば一度は憧れるロマンティックなシチュエーションで、現にあの女はそれを実行に移して彼を得た。



「(……そうね、ここで言ってもあの女の後追いにしかならないのよね)」



 “言った自分”を幻視しながら、少女は心の中で溜息をつく。


 焼き増しが悪いわけではない。結果さえともなえば、二番煎じだって上等だろう。


 だが今ここでアタシが彼に思いの丈を伝えたとしてもそれは後追い――――つまり後塵を拝する結果にしかならない事を少女は理解していた。


 排して、敗する。客観的に鑑みて、ここで仕掛けるのは無謀と呼ぶ他にない。


 負けが分かっている告白。

 勝ちの目のない愛してる。



 ――――想い出作りとして割り切るのならば、それでもいいだろう。

 ――――あるいは彼を傷つけた自分への罰ならば、これほど効果的なものはないのかもしれない。



 だが、いずれにせよその行為によって得られるものは慰みだ。自己満足の極みでしかない。


 少なくとも今の段階では、まだ。



 コクハラという言葉がある。相手の都合を考えず、脈のない状態で告白する事を迷惑行為ハラスメントとして捉えた一つの“造語”だ。


 その定義の曖昧さから如何様いかようにも解釈が成り立つ点と、そもそもの問題として【あの女のように、告白をする事で二人が幸せになる】ケースもそれなりにある為安易に“共感してもらえる主張”として使えないという点から、コクハラは皇国においてあまり浸透しているとは言えない。



 かくいうナラカもあの理事長代理メガネチビが得意気に話しているのを聞いて初めて「へぇ、そういう考えもあるのね」と知った口である。



 しかしながら、少女はその時僅かながら納得を覚えたのだ。


 その主張全てを鵜呑みにするつもりはないけれど、少なくとも告白をされた側が相手を拒絶する時に途方もない労力を要する事だけは確かなのだ。



 自分を好いてくれた相手を傷つける――――こちらが何かしたわけではないのに。相手の一方的な要求に無理やり付き合わされているというのに。


 「いいよ」か「ごめんなさい」しかなくて。


 断れば強制的にそれまでの関係性が歪になって。

 

 あぁ、無論。中には相手を傷つけずにその場を収める「上手い」人間もいるのだろう。



 しかしながらその“円満に振る”という行為を成り立たせる為には、必ず「された側」の「無尽の配慮」が求められるもので、要するに――――



「(ここでアタシが告白スッキリしたら、きっとアンタを苦しめる)」



 彼は誠実だ。

 そして重婚を是認する皇国の民としては驚く程に一途である。


 今日において個人の恋愛観という非常に多様的で、それ故に複雑だ。


 性別、種族の好みは無論の事ながら皇国においてはこれに加えてパートナーを一人に定めるか、複数のパートナーと関係を持つのかという点についても人によって分かれる。



 かく言うナラカは良い男ならば共有してもいいと思っているし、逆にあの女なぞは言うまでもなく独占至上主義者だ。



 そして彼もまた、心に決めたパートナーだけを愛したいと考えている。



 だから清水凶一郎に告白するという行為は、ともすれば彼の恋愛観を土足で踏みにじる事になりかねない。



 彼は振る。

 間違いなく振る。

 唯一の彼女アイツを想い、そして告白者アタシに対しても最大限の敬意と誠意を払いながら、だからこそ断るのだ。



 ありがとう、と言葉を選んで。

 でもごめん、とはっきり伝えて。



 その結果少女達の間で巻き起こる化学反応は、否が応でもこの戦場に悪影響マイナスを及ぼすだろう。



 『常闇あの時』は、それで良かった――――だって、蒼乃遥は成功したのだから。


 だけど『天城ここ』では、それは通じない――――だって、火荊ナラカは間違いなく失敗するだろうから。


 失敗して、ギクシャクして、互いに集中力を欠いたまま勝ちを得られるほどオリュンポス・ディオスは甘い相手ではない。


 特に最後の三柱は、これまで合いまみえて来た神々やつらと比較してもなお、次元が違う。



 間もなくだ。間もなく奴等がやって来る。この“偽史統合神殿”に最大の脅威が訪れる。


 それは彼をして、に頼らなければならない程の絶望であり、事と次第によってはレイドパーティーの全滅も有り得る程の未曾有の悪意。



 彼は言った。あるいはアイツが、蒼乃遥がいればまた状況は違っていたのかもしれないと。


 だけど言った。アイツがいたら多分、自分の願いは叶えられなかったと。



 その話を耳にした時、ナラカは思ったのだ。


 これだ、と。


 これこそが今のアタシにできる最大の挑戦であり、反抗なのだと。


 強すぎるあの女では叶えられない奇跡がある。


 だって奇跡ソレに頼らなくたってアレは勝手に勝つだろうから。


 だけどアタシ達には奇跡ソレに頼らなくちゃならない理由よわさがあった。


 そしてその理由こそが、一番大事なカケラなのだという事を今のナラカは知っている。



「とりあえずアンタ、脱ぎなさいな」

「はっ!? お前何言って……」

「変な勘違いしてんじゃないわよ。<骸龍器ザッハーク>を切れって言ってんの」



 あぁ、と納得の行った顔で頷いた彼は、<骸龍器>を解いた。


 骸の龍人としての彼が紫黒の光と共に溶けていき、そして灰色の眼をしたアタシの好きな彼が……



「少し休むわよ。大丈夫。アンタの働きを考えれば誰も文句なんて言いやしないわ」

「いや、そういうわけには」

「クロノス、ポセイドン、カオス、アポロン、アルテミス」


 現時点において彼が戦いに携わった神々の数は実に五つ。おまけにあの五次元踏破おいかけっこで訪れたウーラノスやガイアまで含めれば、およそ八割の神域で彼は戦いを繰り広げているのだ。


「どう考えてもやり過ぎよ」

「そんなの、お前だって似たようなもんじゃん」

「だからアタシも休むの」



 ファフニールが地に伏せ、その赤い翼を少女達の前に広げた。


 ブルーシートならぬレッドシート。炎龍の瞳が好きに使えと、悪戯っぽく輝いた。


「(随分と気が利くじゃない)」

「(主様の恋路を特等席で見られるのだ。このくらい安いものさ)」


 この龍も随分と気安くなったものだ。ナラカは、ふんっと小さく鼻を鳴らしながら炎龍の翼にしゃがみ込み、彼もそうするようにと促した。



「それにアンタ、仔犬には偉そうなこと言って休ませたじゃない。その時アンタ達の代わりに三柱の兵器カミを抑えていたのが一体どこの誰なのか、よもや忘れたとは言わせないわよ」

「分かったよ」



 ついに折れた等身大の彼が、ファフニールの翼にぎこちなく座りこむ。



「五分。いや、三分だけだぞ」

「だめ、最低でも五分は座ってなさい」

「でも虚が……、あいつ今も一人でカオスと戦ってて」

「アレは殺しても死なない男よ。何だかんだ言いながら今もピンシャンしながら元気に跳ね回ってる事でしょうよ」



 言いながら、他のメンバーに七分程休んでから合流すると《思考通信》を用いて伝える。彼の術の一般的な有効範囲は二キロメートル圏内であるが、規格外の感知能力を持つ黒雷の少女を経由すれば、疑似的な遠距離通信も不可能ではない。



「(大したお子様よね、ほんと)」


了承うんこ』、と短いメッセージが脳内に届いたのを確認したナラカは、ゆっくりと息を吐き、そして球状の天を仰いだ。



 これで時間は出来た。


 後はのらりくらりとお喋りでもしておけば、それなりに彼を休めさせてあげられる。


 「好きよ」ではなく「休みなさい」


 我ながらどこまでも事務的で、実利的。


 だけど悔いはなかった。


 

 少なくとも、今ここで刹那的な自己満足かいらくに身を任せて告白するよりも余程良い。



 想いなんて伝えなくても、支えることで満たされる愛もあるのだから。


 ――――だから、『天城ここ』でのアタシはこれで良い。


 胸を張って彼の“夢”を応援できる。



「ねぇ」



 あぁ、けれど。







 それは敗北ではなく。

 妥協でもなく。

 ましてや諦感あきらめでもなくて。




「逆鱗って、知ってる?」

「……アレだろ。龍の顎の下に生えてる触れてはならない場所アンタッチャブル

「半分正解ってとこかしら」


 アタシは諦めない。今は遥に遠くても、壁や障害が幾つあろうとも──いつかきっと、火荊ナラカはアンタの元まで辿り着く。



 だから今は



「逆鱗って言うのはね、力の溜まり場なの。だから妄りに触れられると、力が乱れて色々な歯止めが利かなくなるってわけ」

「まさに、逆鱗に触れるって奴だ」

「えぇ。そうね。でも」



 彼の右手を取る。

 温かくて、ゴツゴツしてて、いつまでも触っていたくなるようなそんな安心感に包まれた手。



「だからこそ、逆鱗に触れて、それでも生きて帰った者には龍の力が宿ると言われているの」



 子供じみた嘘をつく。

 逆鱗。触れてはならない龍の秘所。

 そんなところを触らせるって言うのはね、そんなの言うまでもなく



「願掛け代わりに触っておきなさい。アタシはまだ半人前だから鱗なんて生えちゃいないけど」



 引き寄せた彼の右手が、アタシの顎の下とキスをする。



「いずれ龍生九士すらも飛び越えて、真龍へ至る予定の女の逆鱗よ。ご利益があるに違いないわ」



 今はこれくらいであなたの事を勘弁してあげるから愛してる






 いつか、二つの扉が現れる


 赤い扉と白い扉。


 一つを潜れば一つを失い、その喪失は永久不変の別離わかれとなる。



 ならばその時に至るまで精一杯、翔け抜けよう。



 煌々と輝きながら、この情熱あい


 瞬くような刹那いっしゅんに、ありがとうと



遥か彼方のかれに想いを馳せながら、少女は今日も光り続ける。



 あぁ、本当に。どうしようもなく愚直おろかで、狂おしいほど愛おしい



 そんな、星のような恋をした。





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